「お兄ちゃーんっ!! 朝ごはんできたよ〜っ!!」
呼び声に顔を上げると、森の方で妹 ―― リアンが手を振っていた。手に取った砂だらけの本をパンパンと払って背負った籠に入れてるうちに、白い砂を踏み鳴らしながら走ってきてた妹が僕の右腕を掴む。
「ねぇ、早く! 冷めちゃうよ?」
「ちょっと待って、リアン。まだ流れ着いた本、全部拾えてないから」
そう言うと、腰に手を当てたリアンが、僕と同じエメラルド色の瞳で見上げてくる。
「えぇ〜? 遅いよお兄ちゃん。また転んだんでしょ〜?」
ちょ…っ! また、って!!! た、確かに僕はよく転んだりぶつかったりするけど、いつもそうだってわけじゃないってことを知らせるために、慌てて前方の浜を指差す。
「転んでないよ! 今日はいつもより数が多いんだって!」
いつもなら漂着している本は5冊くらいあれば多い方なのに、今日は8冊集めた今もまだ点々としてるんだから。
「ほんとだ。めずらし〜い!」
それを見て僕の言葉が嘘じゃないって分かったリアンは、十数歩先にある本に駆け寄る。僕は、頭の後ろで手を組みながらその背を追う。
「あーあ。リアンが手伝ってくれたらご飯も早く食べれるんだけどな〜?」
「……素直じゃないお兄ちゃんは手伝ってあげませんー」
「手伝って!」
そっぽを向いた横顔に間髪入れずにお願いしたら、金茶の長い髪をサラリとさせたリアンはニコリと笑って頷いた。
ここは、世界の真ん中。海のヘソって呼ばれる場所。…って言っても、本当に世界の真ん中にあるかは知らないんだけどね。だって、僕はここから出たことがないんだもん。
右も左も前も、見渡す限りの青の中。白い砂浜に四方を囲まれたここには、これまた小さな森と小さな泉、小さな岩山があるんだ。
たった数時間で1周できるようなとこだけど、ね。地下にはすっごい“もの”があるんだ。
それは…『書庫』。
広い広い海底洞窟いっぱいに、天井まで届くような本棚が数え切れないくらい並んでる。棚に余るほどあるんだけどね、整理し切れてない本が床に積み上げられてて……それもまた圧巻なんだ。
ここのこと『本の墓場』って呼んでる人も世界にはいるらしいけど、僕には宝箱にしか思えない。だって、毎日毎日読んでも読みきれないくらい色んな本があるんだよ!? 宝の山にしか見えないよ!!
お陰で眼鏡が手放せなくなっちゃったんだけど、それでも読むことはやめられない。
だって、大好きだからね。
ふたりで並んで本を回収を続けてしばらく。ようやく最後の…と取り上げたそれは、茶色い紙に包まれていた。
見覚えのあるそれが待ち望んでいたものなのか確かめるためにひっくり返して見れば、隅っこに小さな「R」の文字。水に濡れても消えないそれは、僕らへの目印 ―― 父さんからの贈り物。
僕とリアンは飛び上がって喜んで、大急ぎで地下に下りた。
僕たちの父さんは世界中を旅する冒険家なんだ。物語や冒険譚が好きで好きでたまらなくて、僕くらいの歳には『書庫』にあるの読み尽くしちゃってたんだって。それでも読み足りなくて。でも、新しい本はいつ来るかは分からないからね。待ってられなかった父さんは、自分から冒険しに行っちゃったんだ、ってじいちゃん言ってた。
数ヶ月に一度届く定期便には必ず、父さんの冒険譚が入ってる。僕たちはいっつもそれを楽しみに待ってるんだ。
だって、顔も覚えてない父さんだけど、それを読むと一緒に旅してるような気持ちになれるんだもん。
朝ごはんも食べずに開けた包み紙の中には、いつもみたいにちょっと汚れた白い表紙の本が1冊。じいちゃんに「食べてからにしなさい」って言われなかったら、そのまま読んじゃってたかもしれない。
大急ぎで朝ごはんを掻き込んで、僕とリアンは本を読み始めたんだ。
それは、冒険譚と言うより物語に近く、まるでおとぎ話のような不思議な話。旅の事実を記したいつもの文体とは違って、僕らは首を傾げた。
でも、すぐに話に引き込まれて、主人公の“少年”と一緒に物語の中を旅する。
舞台は、四方を海に囲まれた小さな島。海底洞窟に広がる巨大な書庫を、光る魚のウロコを入れたランプを持って探検する話。
右に曲がり、左に曲がり、真っ直ぐ進んで少し戻って、グルリ回ったその場所にあったのは……『始原の海』と呼ばれる場所。
「これ、絶対この島の話だよね」
「……うん」
これまで、本さえ読めたらそれで満足だった僕。でも、父さんが書いたこの『書庫』が舞台の冒険は、僕の目を本以外のものに向けさせる。
「ね、行ってみよう。この『始原の海』に」
「えぇ!?」
「だって、父さんが見たものをこの目で見れるかもしれないんだよ?」
じいちゃんにこの島から出ちゃだめだって言われてるし、僕も出る気はなかいから今まで考えたことはなかったけど。この島で父さんが見たものと同じものが見れるって思ったら、読んだことのない本を読むときよりもわくわくして堪らなくなったんだ。
でも、妹は不安げに少し俯いて言うんだ。
「けど、おじいちゃん、迷子になるから遠くには行っちゃだめって……」
「じいちゃんは行ってるだろ?」
「『書庫』の管理人してるおじいちゃんだから行けるんだよ?」
「この本があれば迷わないから、大丈夫」
「でも…お兄ちゃんすぐ転んだりぶつかったりするでしょ?」
「うっ」
言われた僕は言葉に詰まる。
暗い『書庫』の中で本を読み漁ってるせいか、僕の視力は驚くほど悪くなった。……って、目が悪くなる前から、他のものに気を取られたりして、よく本に躓いたり、棚にぶつかったりしてたんだけどね。視力が低下してから、ますます酷くなった気がする。
その度にじいちゃんには呆れられるし、リアンには笑われるから…気にはしてるんだ。それでも、やっちゃうものはやっちゃうんだから仕方ない。
「ケガしたら危ないし、おじいちゃんに怒られるよ?」
「だ、大丈夫大丈夫! ちゃんと絆創膏持ってくし!」
ケガしないことは約束できないけど、したって問題ないってことをアピールしつつ僕はリアンをつつく。
「リアンだって本当は行きたいんだろ?」
知ってるんだ。怒られるのが大嫌いで怖がりな妹だけど、“冒険”に興味があるってこと。だって、そうじゃなきゃ僕と一緒に父さんの本を読んだりしないだろ?
しばらく上目遣いでこっちを見てきたリアンは、観念したようにコクリと頷く。
「一緒に行こう!」
「うん…っ!」
***
ポケットには砂糖菓子。
光るウロコをランプの中に。
後は少しの勇気だけ。
さぁ、冒険のはじまりだ!
アルファのゲーを右に曲がって。
デルタのエスで左を向く。
エプシロンのテーを右に見ながら。
ラムダのウーまで真っ直ぐ進む。
左に曲がってローのジェーまで行ったなら。
右に折れてタウのユーを探しましょう。
そこから真っ直ぐカイのヤーへ。
右に曲がってオメガが見えたなら。
探すはバツの印のハーのとこ。
***
案の定ぶつかったり転んだりしながらも、たどり着いたオメガのハー。その向こう側には海底洞窟の石壁があって、そこに人がひとり入れるくらいの小さな横穴を見つけたんだ。
目的地である『始原の海』はこの先。
『書庫』は点々と置かれた光苔のお陰でほんのりと明るいけど、その横穴には光るものは何にもなくって。ランプがなかったら、僕もリアンも前に進むのが怖くなるくらい真っ暗だった。
「お兄ちゃん…怖いよ……っ」
「し、しっかりつかまってな。もうちょっとだから」
妹と一緒に自分も励ましながら、恐る恐る進むことしばらく。シンとしていた空間に、水が流れる音がし始めた。
ここは海底だ。そんな音が聞こえることなんて一度だってなかったのに。
リアンと顔を見合わせながら少しずつ近づいていく。
ザァザァと次第に強くなっていく響き。雨というより嵐のような、海の波とは違う激しい流れ。
それが、耳を押さえたくなるような轟音に変わった頃、道の先から柔らかい光が漏れているのが見えた。
一歩そこに足を踏み入れた瞬間、全ての音が消えた。
僕もリアンも、目を見開いて動くことができなくなる。
壁には青白く淡く光る水晶がいっぱいでキラキラしてて、1ヵ所穴が開いた壁の向こうには、その光を反射して輝く大量の水が下から上に流れてた。
これが上から下に流れ落ちてたなら“滝”って言うんだろうな…って思ったんだけど。こんな海の底に……それも、逆向きの“滝”があるなんて。
呆然とそこを見つめてると、水の中に光とは違う何かがあることに気がついた。淡い光に照らされてるとはいえ、太陽の光が届かない場所だからか水の中は暗くてよく見えない。引き寄せられるように近づいて見たそこには……文字がたくさん泳いでた。
それが何なのか考える前に、ここに入ったまま立ち止まってたリアンの声がする。
「お兄ちゃん、あれ…」
ハッとして振り返ると、僕たちの間 ―― リアンが指差した先の地面に、1冊の本が落ちていた。
ゆっくりと近づいて拾い上げたそれは絵本みたいで、表紙には『エイムの冒険』と可愛らしい文字が描かれており、片羽を背負った少年が立っていた。
僕の ―― “エイム”の名前がついた本。
惹かれるままにパラリと開いたページには、さっき見かけたフレーズが。
***
ポケットには砂糖菓子。
光るウロコをランプの中に。
後は少しの勇気だけ。
さぁ、冒険のはじまりだ!
***
片羽の“エイム”は自分の力で飛ぶことができなかった。
軽々と空を飛ぶ仲間たちに笑われながらも、歩いて出かけた旅の途中。“エイム”は同じ片羽の“リアン”って女の子に出会うんだ。
仲良くなったふたりは手を繋いで、ふたりの翼で空を飛ぶ。
そうして誰にも見つけられなかった“夢”を探し出したふたりは、新しい土地で幸せに暮らしましたとさ。
……読み終わったとき、何でかポタリと涙が出た。
だって、僕は知ってたから。“夢”が“レーヴ”って言うことを。
父さんの名前と同じだってことを。
絵本を閉じてリアンに渡し、代わりに受け取った父さんの本を開く。その一番一番最後のページには、震える文字でこう書かれてた。
―― 我が最初の冒険を記す ――
- end -
2013-11-23
「Nine Moon」の九月麻人様が描かれたオリジナルイラストに触発されて、思わずアテレコして押し付けたものです。
少しはしょり過ぎて、考えた設定も全て出し切れなかったのですが……満足です!
屑深星夜 2013.8.22完成