箱の中

箱の中




 君は、―――。


 ***


 ……あ、れ……?

 目を開けたはずなのに、未だに視界を覆う暗闇におれは首を傾げた。 とたん、ゴン、という鈍い音と共におれの頭に痛みが走った。
 どうやら、何か…壁のようなものにぶつかったらしい。
 思わず左手でその部分を抑えようとしたところ、手指にも同じ痛みが訪れる。 触った感触はサラッとしていて柔らかく、木製の何かだろうと思えた。

 って……えっ!?

 そこでハッとして起き上がり、先程以上に大きな音が耳に届いた。 額に感じた痛みと共におれが理解したのは、1つ。
 この暗闇は夜がもたらしたものではない、ということだった。
 左右、5センチも手を動かさない位置に壁があり。 身体を起こすこともできないほど目の前にも壁がある。

 おれは…何か箱のような物の中に入れられているようだった。


 な、な、ななな…何だ!? どうしてこうなってるんだ!?

 理解したとたん、頭の中はパニック状態。 どうにかして出られないものかと手足をバタつかせてみるが、音と痛みをもたらす以外に変化はなく。

―― 誰か、助けてくれっ!!!!

 口にしようとしたところで、やっと自分が声が出せなくなっていることに気がついた。
 と言っても、猿ぐつわをされてるからというわけではない。 口元を覆うものは何もない。 だから、息をすることは簡単だ。
 ただ、声を出そうとしても息しか出ない。 まるで風邪で喉を潰してしまったときのような感覚だ。

 ……おかしい。

 今朝までは普通に喋っていたはずだ。
 携帯のアラームで目覚めて、着替えをして。
「おはよう」
とキッチンで料理していた妻に声をかけた。
 そして、ご飯と味噌汁に焼き魚(今日は鮭)というおれ好みの和風の朝食を食べ、
「行ってきます」
の言葉を交わして出勤。

 それから………それから?

 驚いたことに、その後の記憶がなかった。

 目覚めてみればこの状態。
 異常な状況に恐怖を感じてもおかしくないはず。 なのに、今おれを支配しているのは……一体、何があったってこうなったのか知りたいという好奇心だけだった。


 暗闇の向こうから、微かに車の走る音が聞こえてくる。 何かに入れられたおれは、車でどこかに運ばれているようだ。

 ……車?

 そうだ。 そういえば、家を出て最寄り駅まで歩いている途中で、車にひかれそうになったんだった。
 歩行者信号が青になっていたから横断歩道を渡ったいたんだが、左折してくる車の視界に入ってなかったみたいで。 スピードが遅かったからおれの真横ギリギリで止まってくれたんだが、あの時は驚いた。

 無事に駅についた後は、ラッシュで混み合うホームに並んでたな。 列の先頭に並びながら、売店で買った新聞を読んでたら到着を知らせる音楽が鳴って……。

 あ、そうだ。

 そのとき、後ろから急に押されたんだ。 思わず、2歩3歩と前に出てしまって……。
 隣に並んでいた学生があのとき右手を掴んでくれなかったらどうなってたか。 今思い出しただけでもゾクゾクするよ。

 会社についたらもう、仕事に忙殺されてたなぁ……。 書類の山には囲まれ、取りきれないほどの電話に責められ、返信待ちのメールに無言の圧力をかけられ。

 あぁ……今日は残業決定か。

 自分の机では汚すぎて食べられないもんだから、食堂の1席で妻が作ってくれた弁当を味わいながら肩を落としたんだった。

 つかの間の休憩を味わった後にも事件があったな。
 同じ部署の同僚2名が、急に腹痛を訴え出したんだ。 どちらも下痢と吐き気をもよおす症状。 状況的にみて、何か食べ物にあったったんじゃないかと想像できた。
 案の定。 その日、食堂でカキフライ定食を食べた全員が、体調崩して病院行きになった。

 なんでまたこんな忙しい日に!

 ……そいつらには悪いけど、おれがそう思うのも仕方がないだろう? おれは妻の弁当のおかげで助かったんだが、このときばかりは自分も食べておけばよかった…とまで考えてしまったのは内緒だ。
 そのおかげもあって、おれの部署だけ職場に泊りこみが決定したんだ。
 丁度定時ごろだったかな。 休憩がてら喫煙室に行って、誰もいないのをいいことにそれを妻に報告。
「頑張ってね」
の言葉があれほど嬉しかったことは、それまでなかった。

 一服した後はもう…仕事仕事仕事詰め。 昼間も似たようなもんだったけど、朝から働いてれば疲れも溜まる。 そうすれば集中力も落ちて、効率も下がる。
 重たい肩をバキバキ鳴らして身体をほぐしながら、同じ部署に残る2名の同僚と共に愚痴を零しながら頑張った。

 ……あぁ。

 確か、日付が変わったころだった。
 終わりも見えてきたことだから、交代で休憩を取ることになった。 後輩でもある2人に先に行かせようとしたんだが、「どうぞどうぞ」と言われてしまったら断ることもできず。 おれは屋上に出た。 1日中、エアコンで温度調節された室内にいたせいか、無性に外の空気が吸いたくなったんだ。

 そこで……。

 …そこで…………あ、れ?

 そこで、どうなったんだ?  急に先が思い出せなくなって頭を捻ったら、再びゴン、と籠った音が響いた。


『………………』


 え? 何? 何だって?

 耳に届いた声はあまりに小さくて、一体何て言ったのかは全くわからなかった。 でも、すぐそばに誰かがいるんだということだけはわかったおれは、なんとかここに自分がいることに気づいてもらおうと、痛みをこらえながら手や足、頭を使って周囲の壁を叩きまくった。
 しかし、何の反応も返ってこず。 おれはガクリと肩を落とした。


『………………』


 ?? 何が『もうすぐ』だって?


 とたんに聞こえた微かな声は、フワリとおれの意識を真っ暗闇の中へと引きずり込んだ。


 ***



 君は、―――。



 ***


 次に目を覚ましたとき。 そこは青い青い空の下だった。

 ……そうか。
 そう…だった……。

 視界が晴れると同時に、おれは何があったのか……全てを思い出していた。




 あの日。



 おれは、殺されたんだ。





 相手が何の目的でうちの会社にやってきて、なぜ屋上にいたのかまではわからない。 それを知ることなく、おれは死んでたんだから当たり前なんだが。

 ただ、運悪くそいつの顔を見てしまった。

 見たこともない男。 けれども、一度見たら忘れようがないほどの……狂気に歪んだ顔。
 刺さりそうなほど鋭い両目は落ちくぼんでいて影を帯び。 痩せこけた頬には無精髭がシミのように生え、それが嫌に黒く感じた。
 手には、ネオンの明かりで怪しく光る刃物が。
 震える身体は言うことを利かず。 逃げ出すことなんてできそうもなかった。

 もしかしたら声なら……。

 おれがそう考えたのがわかったのかもしれない。



 一瞬後には、喉をかき切られていた。



 覚えているのは、あの顔と。 夜のように広がって行く、闇色の液体だった。





 おれは棺の中にいたんだな。
 それできっと、あの声は……。

 おれは、思い浮かべた人物の顔に心の中で詫びる。 もう、直接語りかけることも、傍に行くこともできないのだから仕方ない。



 おれは、先にこの空の上で待ってるから。

 だから……君は、生きて。



 眼下に散らばる黒い点は微動だにせず。 青い空に立ち上る一筋の煙を見つめているようだ。

 遠ざかるそれを目に焼きつけながら、おれは光の中へと消えた。

- end -

2013-11-23

『エブリスタ』にUPした短編。
「禁獄」をお題に行き当たりばったりで考えたものです。

最初は幻想水滸伝モノで…と漁っていたお題でしたが、オリジナルでなければうまく書けなさそうだったのでこんな感じになりました。
ミステリーっぽく…なったでしょうか?


屑深星夜 2011.4.18完成