伸ばされた手

伸ばされた手


「あ…れ?」
 フッ…と明転した視界に周囲を見回す。

 見慣れた水色のカーテンに、折り畳み式のベッド。 お世辞にも広いとは言えない1Kのフローリングに、おれはペタンと座っていた。

 ここは、もう3年以上住んでるおれの部屋だ。
「いつ帰って来たんだっけ…?」
 バイトが終わった後でいつもみたいに公園に行った。 そこまではしっかり覚えてる。
 けど、公園に着いた後から家に帰るまで何をしていたのか全く覚えがなかった。
 …ま、そこでしてたことには予想がつく。

 今日もひと踊りしてたはずだ。 大好きな、マイケルの曲に合わせて。

 部屋に2面ある壁には、おれの神様であるマイケル・ジャクソンのポスターがところ狭しと貼られてる。 バイト代で買った白いコンポの横には、何段重ねにもなったプラスチックケースがあって、その中はマイケルのCDやDVD、洋楽中心に集めたダンス用の曲がめいっぱい詰まってる。
「ん? ラジカセどこやったっけ?」
 いつもなら、そのケースの横に小さいCDラジカセが置いてあるはずなのに、今日は見当たらない。 公園に持ってったはずだから……どこか別のとこに置いたか?
 そう思って視線を背後の玄関の方に巡らせたとたん、おれはビクリと身体を硬直させた。

 だって……見たことないやつが正座してたんだから。

「ラジカセならこちらでお預かりしてますよ」
 ニコリ、と口元に人の良い笑みを浮かべたそいつは…グレーのスーツに身を包み。黒髪を、一昔前のド真面目なサラリーマンみたいに七三分けにして、牛乳瓶みたいに分厚い丸眼鏡をかけていた。
 男は、膝に抱えていたやや卵型のそれを頷きながら撫でる。
「古い型なのにまだ現役とは。丁寧に使ってらっしゃるんですねぇ〜」
「買い換える金がないんだよ!」
「そうですか? 愛着がおありのようですが…」
 オレの方にラジカセを置きながら言われた言葉に、おれは言葉に詰まった。

 愛着があるのはホントだ。

 音楽にも踊りにもこれっぽっちも興味のない親父が、中学校のとき。 文化祭で発表したおれの踊り見て「好きにやれ」って言って買ってくれたんだ。
 なんか、おれ自身のことも認めてもらえたみたいで嬉しかったのを今でも覚えてる。

 ……そんなこと面と向かって言ったこと、ないけどな。

 思わず苦笑しようとして、はっとする。
 そう言えば、こいつ……誰だよ?
 姿勢正しく座ってニコニコとこっちを見てる男にまるで見覚えのないおれは、ラジカセを自分の方に寄せながら口を開く。
「……なぁ? あんた…誰だ?」
「えぇ!? だ、誰って!?」
「会ったことあるのか…?」
「先程公園でご挨拶いたしましたよぉ!」
 泣きそうな声でおれに抗議してくる様子に、嘘はないみたいだ。
 おれはちゃんと公園に行ったってことだよな。 で、記憶がすっぽ抜けてる間にこいつに会ったんだ。
 自分で自分の頭の中を整理している間に、男はポケットから取り出した黒革の名刺入れから1枚取り出し、おれの方に差し出す。
「私、こういう者です」
 両手で受け取った紙の上には…


 Aプロダクション

   天羽 司〔アモウ ツカサ〕


…って書かれてた。


「Aプロって…」

 もしかして…あの?

 おれは声に出さずに天羽さんを見つめる。
 Aプロって言うと、業界じゃ有名な芸能事務所だ。 タレントから俳優、お笑い芸人にミュージシャン…とにかく幅広い人が所属してる。
 そんな人がおれに会いに来てるんだ。 期待しないわけがない。
 ゴクリ、と喉を鳴らすおれの前で、相変わらず笑みを浮かべた口が徐に開く。

「あなたをスカウトしに参りました」


―― スカウト ――


 その言葉に、おれの頭の中には色んなことが浮かんだけど、浮かび過ぎて何にも言えなかった。

 だって、憧れてた世界だけど、所詮大会に出ても入賞もできないレベル。 発散と“もしかして”を期待して、毎晩ってくらい公園で踊ってただけだ。
 それが……ホントにその“もしかして”引き当てたかもしれないなんて。

 嬉しい。
 でも、嘘じゃないか。
 夢が叶う。
 でも、ホントにおれでいいのか。

 相反する想いは、数秒なのか数分なのか……おれの動きを止めてたらしい。
「米原〔マイバラ〕さん…米原さん? 美和〔ミワ〕さん?」
「よ・し・か・ず・です!!」
 不思議に思って声をかけてくる天羽さんに呼ばれたくない名前を呼ばれるまで、自分で自分を動かせなかった。
「あぁ、すみません。美和〔ヨシカズ〕さん」
「はい、何ですか?」
「すぐにでも契約に我が社に来ていただきたいのですが…よろしいですか?」


―― 契約 ――


 一瞬忘れかけてたことが、この言葉で一層現実味を帯びた。
 おれは、歓喜で震えだす手でガシッと天羽さんの手首を掴む。
「……や、や、やっぱり…ホントなんだよなっ!?」
「はい?」
「おれをスカウトに来たってやつ!!」
「あぁ! 本当ですよ」
 コクリと頷く彼に顔だけが先に笑みを作る。 でも、頭の中はまだどこか信じられなくて、憧れてたことを聞いてみる。
「じゃ…じゃあ、テレビに出たりすることもあるのか?」
 ダンサーを目指す前から、テレビに出るっていうのはおれの夢だったんだ!

 おれのお袋の実家、沖縄でさ。 そっちのばーちゃんには、じーちゃんの法事に行ったとき以外には会えなかった。
 子どものころはパソコンで動画…とかなかったから、単純にテレビに出れたらばーちゃんにおれが元気だって伝わるって思ってたんだ。 『そしたらばーちゃん喜んでくれるよね!』って何度もお袋に話してたっけ。

「もちろんです」
 またまたあっさり頷く天羽さんに、やっと頭も理解してくれたのか。
「おぉー!! ホントなんだ!! やったぁぁぁ―――っ!!!!」
 声も身体も。 全部がおれの嬉しい気持ちに反応して、立ち上がって叫んだ。
 壁が薄いことなんか気にしてられるか! あとで苦情言われたって構わないくらい、それくらいの喜びだった。



「あ、でもテレビだったら……もう出ていらっしゃいますけどね」

「え?」


 相変わらず口元を笑ませたまま、キラリとビン底眼鏡を光らせた天羽さん。
おれは両腕を天上に向かって振り上げたままの体勢でピタリと止まり、彼がパチンと指を鳴らすのを見ていた。
 すると、チャンネルを触ってもいないのにテレビの電源が入る。


 さっきまで真っ暗だったそこに映ったのは、ニュース番組。


 丁度、交通事故の報道がされてて、それに…………おれの名前が。



「……え……?」



 死亡 ―― 米原 美和……って。



「公園の手前の交差点で、信号無視してきたトラックにひかれたんですよ。即死でした。でも、あなたはその事実を忘れてしまい…公園でしばらく彷徨った後、この家に戻っていらっしゃったのです」


「うそ…だろ?」


 茫然とした呟きに、変わらない表情で緩く首を振られる。
「嘘ではありませんよ。ここであなたが触れられるものは…私とこのラジカセしかありません」
「何で…」
「あなたと一緒にトラックにひかれたんですよ、このラジカセも。本当ならなくなるはずだったのですが…あなたの思い入れが強かったので、人で言う魂のようなものだけ…残ってしまったのです」
 天羽さんの言葉を確かめるように、しゃがみこんでもう1度ラジカセに触れる。

 ちゃんと…触れるし、掴める。

 プラスチックの感触を確かめた後、おれはテレビの前に立って画面に手を伸ばす。 けど、触ることすら出来ずにするっと通り抜けてしまって、何の感覚も感じられなかった。

 あぁ、だから指を鳴らしたのか。

 突きつけられた事実に嘘だと捲くし立てても、泣き叫んでもおかしくないのに、こんなことを考えた自分に苦笑が漏れる。
 そんな事実、認めたくないって気持ちはちゃんとおれの中にあるんだ。 でも、心は追いついてなくても…テレビに触れなかったことで、脳の中枢部分は認めてしまってた。
 それが自分でもわかって、へなへなと座り込みながらため息を吐いた。


 天羽さんは、立ち上がってそんなおれに近づくとポンと肩に手を置く。
「あなたをスカウトしに参りましたのは、間違いないのですよ?」
「え?」
「ただし、活動場所は天国で…となりますが」
 よく意味がわからずに彼の顔を見上げながら首を傾げると、目元に皺が寄って目を細めたのがわかる。
「天国も下界と変わらない生活水準でして、娯楽もほとんど変わりません。我がエンジェルプロは、まだまだ弱小ながら実力のある人を探しているのです」
「実力……ある…?」
「はい」
 頷く様子に嘘はないと思う。 でも、公園で毎日踊ってるだけの、大会に出ても賞すら取れないおれが…実力あるなんて。 お世辞でも信じられなくて恐る恐る聞く。
「ホントか…?」
「本当です。美和さんはご存知ないと思いますが、死ぬと嘘が吐けなくなるんですよ?」
 今のおれにそれが嘘でないことを確かめる術はなかった。 けど……なんでか見えないレンズの向こうにある瞳が、逃げることなくおれを見ている気がして。


「契約に来てくださいますか?」


 躊躇いも何もなく、おれは頷いてたんだ。


「ありがとうございます!」
 今まで以上に口元を綻ばせた天羽さんはおれの手を握ってぶんぶん振ってくる。 それを、単純に嬉しいと思いながら受け入れた後、おれは立ち上がる。
「これ、持ってってもいいか?」
 これ、って言うのはもちろん……おれと一緒にこの世から無くなったラジカセ。おれがここから持っていける、唯一の物だ。
「よろしいですよ。ぜひ天国でもご使用ください」
 ひょいと持ち上げてそれを見せたおれに、天羽さんはそう言ってくれた。


 正直言えば、色々気になることはある。 思い残したことがないわけじゃないし。 親父やお袋のことも……。


 でも、死んでしまった事実に受けたショックは、目の前の七三分けの人によって随分和らいで。 今のおれに…できることはないってことも理解しちゃってた。

「さ、行きましょう」

 だから伸ばされた手を………取った。

- end -

2013-11-23

『ポケクリ』のここ「起承転結」サークルのお題。
『「突然テレビに出演することになった」で『転』じてください』から考えたお話です。

ミステリーというか、ファンタジー?
ふっと、テレビに自分の死亡の報が流れる…ってシーンが浮かんだので、こんな感じにしてみました。
お題に合っているかというと、微妙な気がしますが(汗)

BL作品の天使…というか、天界の設定とは全く別の世界観です。
もしそちらをご存知の方は混同しないようにお気をつけ下さいませ!

…不安なのは○イケルさん名前をバーンと出しちゃってよかったかな? ということでしょうか。
曲自体使ってたりするわけじゃないから…大丈夫かなぁ?


屑深星夜 2012.2.13完成