みなさん、月の裏側って…見たことあります?
あれれ、ないですか。まぁ、地球からは見えないから仕方ないですよね。
一見、表側と同じようにボコボコとクレーターがあるだけなんです。でも、よく見ると、その裏と表の境目のあたりに…小さな入口が1つあるんです。
それは、月の内側の世界 ―― インザムーンへの入口。
信じられないかもしれませんが、月の内部には、日本と変わらないくらい高度な文明が栄えていたんです!
地中の国であり、地球とは違ってエネルギー資源の乏しいインザムーンには、『クリーター』という職業があります。簡単に言えば、すぐにゴミを処理場に運んでくれる、歩くゴミ箱ですね。
え? 何で地球みたいに、自分でゴミを出さないのかって?
これは、できる限りエネルギー使用量を節約するために考え出された方法なんですよ。
地球のように、種類別にゴミ出しされたものを車で集める。人の手はそんなにたくさんいらないですが、その分エネルギーを使いますよね? ですから、インザムーンではたくさんのクリーターを配置して回収にかかるエネルギーを削減しているんです。
またこの国は、資源も大切にしていますので、リサイクルのためにゴミの分類がハンパじゃありません。そのため、個人に任せては分類が覚えきれず、きちんとゴミが捨てられません。このことを防ぐためにも、クリーターが存在するわけです。
大変な仕事ですが、その分お給料は高く、仕事着は執事&メイド服。インザムーンの花形職業でもあるので、異性にとってももてます。何より、月に1度、地球から見える月が新月になる日に、月の表面に出て仕事ができる!
…ということで、とっても競争の激しい仕事なのです。
この話は、まだそんな仕事について半年の新米クリーター、クリン・セーソーの物語です。
「クリーター!」
「はいぃ!」
近くのベンチに座っていたヒトに声をかけられたクリンは、ツインテールにした赤茶髪を振りながら駆けて行く。
「これ、頼むよ」
「はい、かしこまりましたっ!」
にこりと笑ってペットボトルに似たもの受け取ると、そのヒトは立ち上がってどこかに行ってしまった。
「えっと…色ナシプラゴミは……」
クリンは、肩から下げた四角い機械に空いた穴にゴミを入れると、赤や青、緑、黄色など…様々な色をした小さなボタンから、水色を選んで押そうとした。
その時、
「このお馬鹿っ!」
黄色い物体がクリンの手を跳ね除けた。
よく見ると、それはウサギの姿をしている。ただ、地球のウサギと違うのは…しっかりと2本足で立ち、言語を話す…ということ。
「ラビー先輩、何するんですかっ!」
弾かれた手を痛そうにさすりながら、そのウサギに抗議するクリン。
先輩と呼ばれたウサギの方は、えらそうに腰に手を当てながらため息をつく。
「何ってあんた…まーたボタン押し間違えそうだったでしょ?」
「え? 透明で硬いプラゴミは、水色…ですよね?」
おそるおそる自分を見てくるクリンの頭の上に勢いよく飛び乗ったラビーは、小さな手でその赤茶色の頭をベシッと叩いた。
「き・み・ど・り・よ! 黄緑っ!! 水色は柔らかい青系の色の付いたプラゴミ。何度も言ってるでしょうが!」
トレードマークのバンダナの上から自分の頭をわしわしとかいたラビーは、再び大きなため息をついた。
「伝説のクリーターと名高いルルナの娘が、こんなにドジッ子だなんて……。明日の仕事が思いやられるわ」
「明日っ!」
ラビーはピョンと地面に降り立つと、急に姿勢を正して固まったクリンをジロリと見あげる。
「…何の日か忘れてないでしょうね?」
「わ、わ、わ…忘れるわけないですよぅ!」
慌てて何度も首を振った彼女は、再び気をつけをする。そして、
「1ヶ月に1度の“外”でのお仕事の日ですっ!!」
大きな声でそう叫んだ。
「クリン」
突然後ろからかかった声に振り返ったクリンは目を丸くする。
そこには、少しボサボサだがクリンと同じ赤茶髪の男が立っていた。
「と…父さん! こんな時間に、どうしたんですか?」
父と呼ばれた男は、メガネの向こう側で青々と光る瞳を細める。
「可愛い娘の様子を見に来ていけなかったですか?」
臆面もなく言った言葉に、聞いた娘は恥ずかしそうに頬を染め、ウサギはプルプルと握った拳を震わせた。
「この…親バカ! 何度仕事の邪魔をしに来たら気がすむんだい!」
「すみません。でも、ルルナが騒ぐので…」
「トモス! いいかげんにしときな。ルルナはもういないんだよ!」
真剣な瞳で自分を見つめるラビーに、男 ―― トモスは優しく笑んだ。
「そうですね。半年ほど前にこの世を去りました…あなたに、クリンのことを頼んで」
愛する者を失ったという様子を感じさせないその様子に、ラビーの方が辛そうな顔をする。なぜなら…クリンの母ルルナとラビーは、同じ年にクリーターになったライバルだったからである。
互いにクリーターの仕事に誇りを持ち、競い合って仕事をしていたのに、結婚して子どもができたとたん仕事を辞めてしまったルルナ。
ラビーはそれに落胆しつつも、強がって表には出すことはしなかった。その代わりに、突然仕事を辞めたことで伝説のクリーター扱いされるようになったルルナよりも自分はすごかったのだ、と周囲に言いふらしながら、クリーターの仕事を続けた。
いつからか新人教育をも任されるようになり、8年前に現役を退いてからも、優秀なクリーターを生み出すために新人教育にいそしむ毎日を送っていた…。
そんな時、ルルナの方からラビーに連絡があった。
彼女が仕事を辞めて十数年の間、全く接触がなかったのに今になってなぜ?
疑問に思いながら言われた場所にたどり着いたラビーを迎えたのは、病院のベッドに横たわったライバルだった。手足は細くなり、若かった頃ほどの覇気はなくなっていたが、緑色の瞳の奥には昔と変わらない強い意志があった。
ラビーはそこでルルナと話をする。
クリーターを目指す、18才になる娘がいること。 彼女は、かつての自分たちと同じようにクリーターへの憧れだけでなく、その仕事で国を支えたいという強い思いを持っていること。できるならば自分でクリーターの全てを教えたかったが無理そうだから、自分の代わりにクリンが一人前のクリーターになれるよう、手助けしてやって欲しい、と。
ルルナが自分を頼ってくれてうれしくない、と言えば嘘になる。しかしラビーは、都合のいいときだけ自分を呼び出したルルナに素直になれなかった。引き受けてもいいと思っていたのに、その場で素直にうなずくことができずに病院を後にした彼女は、後悔することになる。
なぜなら、ルルナは、数日後。クリンがクリーターになることが決まったその日に、息を引き取ったからだ。
「…わかってるなら、いいかげん娘に妻の面影を重ねるのやめなさいよ!」
トモスに向かって叫ばれたその言葉は、自分の胸にも刺さった。
普段、ドジばかり重ねるクリンからルルナを思い出す方が難しい。けれども、ふと見せる表情や一生懸命クリーターの仕事をこなす姿に、急に脳裏に浮かぶ昔の思い出。表面には出さないように気をつけてはいたが、それで気分が沈むこともあった。
久々に会ったあの日、自分が素直になれなかったことで、娘のことを心配させながらルルナを逝かせたことが…ラビーの心に影を落としていたのだ。
しかしトモスは、妻のライバルであった彼女の強い叫びにも笑みを崩さなかった。
「重ねてなんかいませんよ。彼女は…今も、僕と一緒にいますから」
その深い青色の瞳に嘘は感じられず、ラビーは言い返すことができない。
男は愛しい娘に視線を動かし、後を続ける。
「クリンがクリーターになったので、僕の中のルルナが大人しくしてくれないんですよ」
それならあんたがクリンを教えてやればいいでしょ!
そう、ラビーが内心で毒づいた瞬間、
「それに、あなたにも会いたがって」
という言葉と共に自分の視界に入った、覚えのある緑色。
トモスの瞳は青のはず。一瞬、自分の目を疑ったラビーだったが、その幻が己の胸にあった楔を抜いてくれてたことに気が付いた。
はー…っ、と大きくため息をついた彼女は、じろりとライバルの夫だった人物を見る。
「……ルルナバカ!」
「よく言われます」
臆面もなくそう言ってのけた彼に、肩をすくめたラビーはもう何も言おうとしなかった。
トモスはそれを確認すると、改めてクリンの方を向いて微笑んだ。
「クリン」
「は、はいぃ!」
今までハラハラと父と先輩のやりとりを見ていたクリンは、突然呼ばれて思わず姿勢を正す。その様子にクスクスと笑ったトモスは、恥ずかしそうに下を向いた娘の頭をポンポンと叩いた。
「明日は新月ですね。“外”でのお仕事楽しんで来てくださいね」
「……それ、母さんからですか?」
「はい。母さんは“外”が大好きでしたから」
うなずく父を見て顔を輝かせたクリンは、
「父さんの瞳みたいな青い地球見ながら、頑張ってきます!」
言いながら、びしっと格好よく敬礼した。
次の日。
クリンたちクリーターは、いつもと同じ服装で、いつもと同じ機械を肩から下げ、いつもとは違い小さなモップのようなものを持って、月面へと一歩踏み出した。
地球から見て新月にあたる日、クリーターたちは月面に出て仕事をしている。
それは、国の主要エネルギーである太陽光を得るための、太陽電池の掃除をするためだった。
クリンとラビーも月面に出てきて、自分に任された範囲にある太陽電池の側まで来ていた。
「もう6回目だからそろそろやり方覚えたわよね?」
「は…はい!」
ぎこちなくうなずくクリンの様子に、少々不安を覚えたラビーだったが、ずっと教え続けてもそれは彼女のためにならないと思い、とりあえず覚えている範囲でやらせてみることにした。
クリンは、持っている機械にある色とりどりのボタンの中から、透明のボタンを選んで押した。すると、地面の中から指よりも細い筒が現れた。それは3メートルほどの高さになると、地面すれすれで折れまがり、薄い板状に広がった。透明プラスチック板のようなそれが、インザムーンの太陽電池であった。
「気をつけることは?」
「壊したりしないように力を加減すること…です」
「そうね。じゃ、やってみて」
うなずくラビーを見たクリンは、小さく震える手で持っていたモップで太陽電池の上を拭きはじめた。見ている方は気が気じゃない状態だが、やっている本人は、少しずつやさしくモップの先を進めていく。
このままいけば大丈夫そうね。
そう思って、ラビーが小さく息をついたその時だ。
「まだ1つめ? おっそーい」
側を通った別のクリーターの女が、そう声をかけた。瞬間、クリンの身体がビクンと震え、モップに強く押された電池が、ベコンと音を立てた。
「クリン!」
「…あ!! す、すす…す、すみません!!」
ラビーの声にモップを取り落としたクリンは、真っ青になって謝った。
地面に頭がつきそうなほど腰を曲げてたまま動かない彼女を見て、ラビーは大きく息を吐く。それは可愛い教え子を責めるものではなく、彼女に声をかけた人物に対して向けられたものだった。
当の本人はその本意に気付くことなく、意地の悪い笑みを浮かべながらラビーに話しかけてくる。
「ラビー先輩も大変ですね。そんな落ちこぼれの面倒見させられて」
「心配してくれてありがとう。でも、お構いなく。あたしは好きでこの子を教えてるから」
「!」
にっこりと笑顔を浮かべてそう言うラビーに、女は目を丸くする。どうやら、予想外の答えだったようだ。
「さ、それぞれ能力に合ったノルマが課せられてるんだから、早く次に行かなくていいの?」
「……」
追い討ちをかけるように飛んできたその声に、納得いかない表情でクリンを見た女だったが、ラビーの怖いくらいの笑い顔に圧されて逃げるようにその場を立ち去って行った。
だんだんと小さくなるその後ろ姿を見送ったラビーは肩をすくめる。
「まったく、いいタイミングで通りかかること」
こんなことは今回だけのことではなかったのだ。
ラビーは新人教育をするとき、必ず1人ずつ行っている。
姿は小さなウサギであっても、過去に伝説のクリーターのライバルであった凄腕クリーターだ。彼女に教育してもらいたい新人はたくさんいる。
しかし、担当してもらえるのはたった1人だけ。その上、今回ラビーが教育することになったのは“伝説のクリーターの娘”という肩書きを持った超ドジッ子のクリン。悪口陰口は日常茶飯事。嫉妬して嫌がらせする者も、半年を過ぎた今も後を絶たない。
「ラビー先輩……すみません」
「何が?」
「わたしがラビー先輩を独り占めしてるから……」
「お馬鹿!」
ラビーは、さっきからずっと頭を下げたままの教え子の頭を勢いよく叩いた。叩かれたところを手で押さえながら、やっと身体を起こして自分の方を見たクリンに言ってやる。
「あたしは、新人を教育するときは、必ず1人ずつって決めてるの! これはあたしのこだわりなんだから、あんたが気にすることじゃないの」
「でも……」
「もー…わからない子ね!」
まだ自分が悪いのだ、という考えを改めないクリンの足をベシッと叩いたラビーは、えらそうに腰に手を当てる。
「仮によ! 仮に、あんた以外にもう1人教育することになったって、あたしはあんな性格も態度も悪い子なんか選ばないわよ」
「先輩……」
「あたしは、ルルナに頼まれたからって理由だけであんたの教育係やってるわけじゃないわよ?」
ラビーはそこでクリンを指さし、勢いよく続ける。
「あんたには、クリーターの仕事に対する誇りと熱意がある。…あんたみたいに芯の強い子、他にはいないわよ。技術なんか後からいくらでもついてくるのよ!」
クリンの胸に飛び込んできた彼女の言葉は、とても優しく響き、その緑色の瞳に涙が浮かぶ。声を出したとたんそれがこぼれてきそうだったので、クリンは、わかったという意思を伝えるためにゆっくりとうなずいた。
それを確認したラビーは、教え子の肩にピョンと飛び乗る。
「さ、早く仕事を片付けるわよ」
「……は…はいぃっ…」
ポンポンと頭を叩かれたクリンは、制服の袖で急いでこぼれそうな涙を拭いた後、取り落としたモップを拾って、清掃作業を再開する。幸い、太陽電池に傷はついておらず胸を撫で下ろしたクリンは、ゆっくりとモップがけをしはじめた。
…と思ったら、彼女はすぐにその手を止めてしまった。どうしたのかと思ってラビーが声をかけようと思ったとき、クリンの方から話しかけられた。
「ラビー先輩」
「んー?」
彼女が緑色の瞳を向けた先には、闇に浮かぶ青い宝石のような地球。
「地球って…・・ホントに綺麗ですよね。父さんの瞳と同じ色で」
脳裏に思い浮かべる父の顔はニコニコと笑顔で、自然クリンの顔もほころぶ。
同じヒトの顔を思い浮かべたラビーは、彼女とは反対に嫌そうに舌を出す。
「……トモスのことは置いておくとして……確かに地球は綺麗よね」
自分の師匠の表情の見えていないクリンは、顔をほころばせたまま続ける。
「外見じゃ絶対に勝てないですけど、中身は地球に負けないインザムーンにするために、わたし、頑張りますっ!」
この美しい風景を見て、そんな言葉を返してくるとは思わなかったラビーは驚く。
この景色見たさにクリーターになる者もいる世の中。普通のクリーターは、月に一度のこの時間を、辛い仕事のごほうびくらいにしか思っていない。しかし、クリンは地球を見て自分の住む国のことを考えていたのだ。
ホント、こういうとこはルルナそっくりなんだから。
今は亡きライバルを思い出してくすっと笑ったラビーは、グイッと教え子のツインテールを引っ張る。
「そのためにはまず、ドジッ子をなおさないとね〜?」
「が、頑張ります〜」
その点については頭の上がらないクリンは、ポリポリと自分の頬をかいて笑う。
この子が1人前になるまでしっかり面倒みてやるから、心配するんじゃないわよ。
亡き者に語りかけても届くはずもないと理解していても、ラビーは語りかけずにはいられなかった。
ラビーの視線が向かう青い青い地球。それと同じ色の瞳をした男が、彼女は自分と一緒にいるなんて大真面目に言うのだから。
他の何かが理由でこの世にとどまってるならあたしは何も言わないわよ。でも、子どものことが心配だからって理由で残ってるんだったら、さっさと転生して来なさい! あんたがいないとつまらないじゃない!
トモスと共にいるなら、きっと届く。そう信じて、ラビーは地球を見つめながら強い思いを飛ばしたのだった。
「さ、おしゃべりはここまで! どんどん次に行かないと時間がなくなるわよ〜っ!!!」
「はいですっ!」
明るく、一層気合いの入った師匠の声にびしっと敬礼したクリンは、しっかりとモップを構え、ゆっくり慎重に動かしはじめる。
地球を含む、闇に浮かぶ幾億もの星たちがそんな彼女たちを静かに見守っていた。
- end -
2013-11-23
「ネタがない…」と零した私に、エース様が、日記絵にリクエストした「お月様の掃除屋さん」イラストを元に何か書いてはどうか、と言ってくださいまして。
そうして生まれた作品です。
インザムーンの設定等、楽しく考えさせていただきました!
エース様、どうもありがとうございました!
屑深星夜 2007.4.30完成(移転に伴い一部修正)