ルルルルルル……
出発の合図を知らせる電子音に、良〔ヨシ〕くんがポンとあたしの頭に手を置いた。
「じゃ、俺…行くな」
「う…ん」
頷いたとたん我慢していたものがジワリと溢れだしちゃって、良くんがぼやけた視界の中で苦笑する。
「泣くなよ。毎日電話する」
「あたしっ…も、メールするね…っ!」
だから大丈夫だって教えるために、あたしがハンドバックから出したのは、2週間前に変えたばっかりの携帯電話。
離れたってずーっと好きだよって意味を込めて。
良くんとおそろいで買ったんだ。
3つ上の良くんとはコンビニのバイトで知り合ったの。
同じシフトになったときにおしゃべりしてたら、大好きなバンドが同じってことがわかって意気投合!!
それから1週間もしないうちに付き合い始めて…もう、2年と少しか。
大学卒業が目の前に近づくまで決まらなかった良くんの就職先は大阪で。
まだあと3年はここ横浜で大学生をしなくちゃいけないあたしは、どれだけ行きたくてもついて行くことなんかできなかったんだよね。
あたしも良くんも色々悩んだんだよ?
遠距離恋愛って続かないっていうじゃん。
良くんだって仕事忙しいと思うから、なかなかこっちに帰っては来られないでしょ。
その分あたしが頑張ってバイトしたとしても、毎週大阪に行くのはさすがに大変だし。
でもね。
―― 別れた方がいいかもしれない。
良くんにそう言われたとたん、すっごく悲しくなっちゃって。
好きなんだもん。
ずっと一緒にいたいって思ってたくらい、大好きになんだもん。
遠距離になるから別れる…なんて嫌で嫌でたまらなくって!
離れたって絶対大丈夫だから、って良くん説得したんだ。
あたしは良くんが好き。
良くんもあたしが好き。
今までみたいに会えなくなるのはすごく寂しいけどね。
この携帯が、それでも良くんと繋がってる印。
だから、大丈夫。
良くんはあたしの想いに答えるように黒いカバーのかかった携帯を出して、ピンク色のそれを持つあたしの手にコツンと当てた。
その微かな温度を反芻しながら、あたしは新幹線が出発するのを見送ったんだ。
---
「良くん! おかえり」
『ただいま』
「お仕事お疲れさま」
『おう』
ベッドの端に腰かけながら、あたしは携帯電話の向こうにいる良くんに微笑みかけた。
あれから3カ月。
良くんが大阪に行った2週間後に1回だけあたしが会いに行ったんだけど、やっぱりお仕事忙しいみたいで…ほんのちょっとしか会えなかったんだ。
寂しいよ?
寂しいけど…お仕事だもん。
仕方がないよね。
あたしも良くんの邪魔するのは嫌だったし、良くんも会える時間が少ないのにあたしを呼ぶのは気が引けるみたいでね?
夜、寝る前にほんのちょっとでもいいから電話する。
そう約束して、2ヵ月半。
ディスプレイ越しじゃない良くんには、会ってなかった。
でも、メールでお互いの今の状況を知らせてるし。
1日1回、顔を見て良くんの声を聞いてるもん。
大丈夫!
大学卒業するまで…きっと我慢できる。
もうちょっと良くんが仕事に慣れたら、気兼ねなく会えるようになると思うし!
「明日も早いの?」
『あぁ』
「じゃ、寝坊しないようにあたしが起こしてあげるね!」
『…ありがとうな』
目を細めて笑う良くんに、あたしもニコニコ笑顔を返す。
「おやすみ、良くん」
『おやすみ』
プツッ
良くんが消えたディスプレイに向かって頬を上げたまま。
あたしは、日に日に苦しくなっていく自分の心に気づかない振りをした。
---
10月。
良くんと離れて半年が経った。
約束の電話は、4ヶ月めに入ったころから2日に1回…3日1回と減っていって……今日で1週間。
あたしは良くんの声を聞いてなかった。
お仕事で疲れてるんだ…っていうのはわかってるんだよ?
ディスプレイの向こうに映る良くんの顔色、あんまりよくなくて。
あたしの前では無理して笑ってるのがわかっちゃったから、こっちから無理に電話かけるのはやめてたの。
どれだけ寂しくって、ほんのちょっとでも顔を見て声が聞きたいって思ってても。
良くんのためを思って、あたしは1日1回のメールだけしてたんだ。
でも、今日だけは。
今日だけはどうしても声が聞きたくって。
22時過ぎ。
コンビニのバイトが終わった帰り道にね?
よく良くんとおしゃべりしてた近くの公園に立ち寄ったあたしは、街頭に照らされたベンチに座って電話をかけたんだ。
…トゥルルル…トゥルルル…ッ
『……はい』
5回目の呼び出し音を聞き終えたとき、やっと聞きたかった声が聞けて胸が熱くなった。
「…良くん…?」
『…何だよ?』
「お仕事お疲れさま。あの、ね…?」
『俺、さっき帰ってきたばっかで疲れてるから早くしてくれ』
あたしの方を見ようともしないでそういう良くんは、ホントにホントに疲れた顔してて。
ほんのちょっとの笑顔すら浮かべる余裕もない姿に、言おうとしてたことが喉に詰まって出てこなくなっちゃった。
けど、涙はジワリと滲んできて、それを笑って押しとどめるのにもう精一杯。
そしたら……
『……用ないなら切るぞ? 明日も早いんだよ。俺はお前はみたいに自由な学生じゃないしな』
……良くんの言葉、グサッてあたしの心臓に刺さって。
ずっとずーっと仕舞い込んでたものが、そこから溢れ出しちゃった。
「良くん疲れてるのはわかってる! お仕事大変なんだもんね!? だから寂しくてもメールで我慢してたんじゃん!」
『…わかってるなら……』
「けど、今日くらい……誕生日くらい声聞きたいって思って何が悪いのよっ!!!?」
「良くんのバカッ!!!!」
ブツッ
ボロボロ流れる涙で、最後の方は良くんの顔も見えなかった。
言っちゃダメ、って自分が自分を止めてたのに、1度溢れた感情はそんな制止でおさまるわけもなく。
大声で不満をぶつけても余った感情が、力いっぱい携帯を握り締めさせた。
朝からどんより曇ってた空からポツポツと雨が降り出して。
今のあたしの心の中みたいに、すぐに大降りになった。
飲み込めずに零れた嗚咽は、その雨音に紛れちゃって…あたしの耳にも届かなかった。
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泣いて泣いて泣いて……。
目が開かなくなるくらい泣いて…1日。
講義もバイトも休んじゃったな……。
ボーっと天井を見上げながら、あたしはベッドの上で寝転んでた。
すぐ側にあるローテーブルには、電源が入らなくなったスマートフォン。
あの大雨の中、立ってたんだもん。
壊れちゃっても仕方ないんだけど。
修理に持っていく余裕もなかったあたしは、昨日帰宅してテーブルの上に放ったままのそれに目をやる。
白いテーブルの中央で、ポツンと寒そうにしている“あたし”。
何で言っちゃったんだろう…って何度後悔してもし足りない。
あんなこと言ったあたしのこと、良くんが許してくれるはずないでしょ?
昨日に時間が戻せるんだったらそうしたいよ。
けど……寂しくて寂しくてたまらない気持ちは限界まできてたから、きっと何度繰り返したって同じ。
……やっぱり、遠距離なんて無理だったんだ。
そう思ったら、もう枯れたと思ってた涙がまたジワリと滲んできた。
ぼやけた視界に浮かぶのは、楽しかった毎日。
バイトで初めて出会った日のこと。
「付き合っちゃうか!」って告白された日のこと。
バイトの後の初デート。
公園での何気ないおしゃべり。
初めてのキス。
初めての……。
幻なのに、思い出された温もりを逃がしたくなくって。
あたしは自分で自分を抱きしめた。
でも、それは欲しかった温かさとは全く違って。
…良…くん……。
良くんに…っ…会いたいっ!!!
頬を流れる涙をそのままに、あたしはお財布だけ持って家を飛び出した。
「アイ!!!」
ずっと聞きたかった声が…名前を呼んだの。
最初は幻聴だって思った。
だって、涙でいっぱいの目には何にも映らなかったんだもん。
けど、グッと腕を掴まれて。
その圧迫感と体温に“現実なんだ”って頭より先に身体の方が理解した。
「良くん!!!」
反射的に広い胸に抱きついた。
「ごめ…っ…なさ、い……ごめんなっさ……会いたかった…会いたかったのぉ…っ」
しがみついて泣きじゃくるあたしをギュッと痛いくらいに抱きしめて、良くんがすぐ耳元で囁くの。
「……俺も会いたかった…」
「…っ…ほ、んと…っ?」
「もうお前に愛想つかされたかもって思ったら不安で不安でさ。おかげで仕事はミスばっか」
クスリと笑う音が聞こえてくる。
「ごめん。俺…お前が我慢してくれてること、知らなかった」
「あたっ…あたしが…っ言わなかったからだもんっ! 良くんは悪くない〜…っ」
「じゃ、お前も悪くない。俺がお前に甘えてたせいだからな」
ポンポンと頭を撫でらた手が、良くんの胸元を掴んでた手を捕らえる。
もっともっといっぱい話さなきゃいけないことがあると思ったし。
話したいこともあったんだよ?
けど、今は。
繋いだ手の平の熱さだけで十分。
言葉なんかなくても。
お互いの気持ちがそこから伝わるような気がしたんだ。
- end -
2013-11-23
『ポケクリ』のここ「起承転結」サークルのお題。
『携帯電話』から考えた作品です。
携帯電話という文明機器で、人との繋がりを得ているような現代。
それも必要ないわけじゃないと思います。
便利ですもんね!
けど、実際の温もりも大切にして欲しいな? なーんて思いを込めてみました!
人物設定とか背景とかは…敢えて深くは書きませんでした。
パパパッと主人公アイの気持ちの流れ? を読ませたかった…感じです。
屑深星夜 2011.11.9完成