大地に落ちた茶色の葉がカサカサと音を立てながら風と踊る。それは、時代樹の前に立つ少年 ―― トワと…それによく似た風貌の男 ―― トルワドの間を通り抜けた。
「それじゃあ…」
そう言って見つめる顔は、はじめて会ったときよりも数段大人に見えた。
年は出会った時と変わっていないはずである。にも関わらずトルワドにそう思わせるのは…間違いなく、少年が身を置く戦いのせいであろう。
最初の敵は100年の怪物だった。
それが、それを使う朱キ斧へ変わり。朱キ斧を利用していたアイオニア聖皇国へと変化していった。
その中での経験が、彼を僅かな間に大人にしたのだ。
トワの生きる時代に行くことができない以上、トルワドが直接己の力を貸すことはできなかった。
しかし、同じ敵 ―― テラスファルマを相手にしたことがある縁から。また、少年が己の血を引く子孫であることから、これまで、自分の仲間と共に出来る限りの助力をしてきた。
そんな日々も…明日で、終わる。トワたちが、いよいよ聖都タクシスへ向かうのだ。
結果がどうであれ、明日でこの戦は終わりとなる。
トルワドにはそれがわかっていた。だからこそ、彼に勝利を掴んで欲しいという願いを込めて。半歩後ろに立つ幼馴染と一緒に頷くと、ニッと微笑んでみせる。
「あぁ、頑張れよ」
「頑張ってね」
「はい!」
力強く返事をしたトワはクルリと2人に背を向けると、時代樹に触れるために己の手を伸ばす。
「………あ、あのっ!!」
あと僅か、というところでピタリと動きを止めた彼の声が響いた。
その彼らしくない大声に。そして…ただならぬ雰囲気に、トルワドは首を傾げる。
「どうした…? トワ」
彼は、その問いかけにもしばらく反応しなかったが、グッと拳を握ると勢いよくトルワドの目の前まで駆け戻る。
「トルワドさん!」
向けられた視線は今までになく真剣で、男は思わず姿勢を正した。おかげで次の行動遅れてしまい、「何だ」と言う前に少年の言葉が続く。
「ぼく、もう…ここには来ません」
それは、突然の別れの宣告。
遅かれ早かれそういう日が来るだろうと思ってはいた。
元々、別の時代に生きる人間である。今、こうして会えるのは不思議な花を咲かせる時代樹と…時を超えて集まった宿星の力のおかげ。何よりトワがその宿星の長であるからこそ、この普通ならありえない非現実的なことが起こせたのだ。
戦いの終わりが彼との別れだろう…。
そう予想していたにも関わらず、トワの口から放たれた言葉はトルワドの胸にグサリと突き刺さった。けれどもその痛みを決して顔には出さず、なんとか乾いた喉からいつもと変わらぬ声を押し出す。
「…そうか」
「トルワドさんたちに会えてよかったです!」
はにかむような微笑みが眩しくて、トルワドは目を細める。
「みなさんがいたからここまで頑張って来れたし……明日も頑張れます!」
「そう言ってもらえると嬉しいね? トルワド」
「ああ…そうだな」
時代樹が光を放っているわけではないし、太陽を背負っているわけでもない。
それでも、彼があまりにもキラキラと光って見えて。男には、笑みを返すかのように瞳を閉じて相槌を打つことしかできなかった。
ゴクリ
闇に包まれたトルワドの耳に、喉の鳴る音が届く。と、間を空けずに少年の声が聞こえてくる。
「トルワドさんに…ひとつ、お願いがあるんです」
ゆっくりと瞼を上げた向こう側には、笑顔から一転して緊張した面持ちのトワ。体側で拳を握り、力の入った彼の様子に首を傾げる。
「何だ?」
「あの……また、砦に来て欲しいんです」
「砦に? それはお願いされなくても行くつもりだけどな、ロルフ」
「うん。君たちにこの砦を残すためにも定期的に顔を出すつもりでいるよ?」
ロルフが補った言葉の通り。トルワドは、100年後の戦いでもこの湖の砦が使えるように、自分たちはもちろん、テルベやシュラートの人間で定期的に見回り・手入れをするつもりでいた。
それは、少年と出会って間もない頃に決めたことで、100年後、実際に湖の砦を団の本拠地に使っているトワは知っているはずだ。なのに敢えてそう願う理由がかわからずジッと少年を見つめれば、僅かに躊躇いを見せた彼は大きく息を吸った。
「…は、春に! 春に、来て欲しいんです」
響きは微かに震え、相変わらず握り締められた手も小刻みに揺れているように見える。
何故春なのか。理由を聞きたい気持ちはあったが、あまりにも必死な彼の瞳を見ていたら聞いてはいけないような気がしてきて。
だから、何も言わずにひとつ頷いた。
それからトワは。
いつもと変わらぬ微笑み。
けれども…どこか、少し寂しそうな。
苦しそうな顔を残して。
己の生きる時代へと戻っていった。
少年との別れから半年。
約束の春に、トルワドはロルフと共に砦へとやってきた。
命芽吹く季節。砦のあちこちに春の花が咲き、新緑が目に眩しかった。
その中で円を描くように咲く…白い花。
そこは丁度、トワを待つトルワドが立っていた場所だ。空に向かってピンと背筋を伸ばす姿は色と相まってとても潔く、少年の姿を思い出させる。
「この花は……?」
「あぁ、ディアンじゃないか」
「ディアン?」
トルワドには見覚えのない花だったが、友はそれを知っているらしい。形の良い眉を下げて目を細めた彼は、ポンとトルワドの肩を叩く。
「…きっと、彼の ―― トワ君の気持ちだろうね」
「トワの…?」
「このディアンの花言葉はね?」
一旦そこで言葉を切ったロルフは、花を指差し、己へと向いたトルワドの視線をそこへ戻す。
『あなたが好きです』
耳に届いた瞬間、男の内側から想いが溢れ出した。
己の血を引く少年だ、と知っていた。100年後、自分が戦った怪物と出会った彼を放っておけずに、技を教えた。
最初は…ただ、可愛い弟だった。
それが、別の気持ちに変わったのは ―― いつだったか。
出会うはずのない人間。それも、曾孫…に対して持っていいはずの想いではない。
気づいた瞬間、トルワドは己の気持ちを否定した。
認めてしまえば、少年の存在が消えかねない。
それが何より恐ろしかった。ゆえに、その煮え滾る想いを胸の奥に閉じ込めて、家族を想う気持ちへとすり替えようとした。
だが、会う度に胸は痛み真実を己に突きつけてくる。必死でそれに気づかない振りをして、トルワドはトワに力を貸し続けたのだ。
あの日。彼が別れを告げてきたあの時。
胸が張り裂けるかと思うほどの衝撃を受けた。けれども、これで胸の熱さに悩まされることもなくなる…と、どこかホッとしてもいた。
その通り…この半年で、自らの子供を思うように。押し込めてきた想いを親愛の情へと変化させることが、少しずつできはじめていた。
そんなときにこの告白だ。
―― 受け入れれば、未来を変えてしまうかもしれない。
最悪の事態が頭の隅を過ぎったが、既に溢れ出た熱い想いを留めることなどできなかった。
「……ロルフ、笑うなよ?」
「笑わないよ。君の好きにするといい」
トルワドは、そう言って自分の側から離れて行った友に、心の中で感謝する。
こんな顔は親友にも見せられない。“彼”だけ、知っていればいい。
花のすぐ側まで歩を進めた男は、地面に膝をつくと身を屈める。
そして。
白い花弁に ―― 唇を寄せた。
ふわり。
時代樹の前に現れたトワは、目に入った風景に握り締めていた拳を解いた。
一面に咲き乱れるのは、青い花。
群れ咲くそれは、時代樹で100年前に行くときにはなかったものだ。
「こ、れ………っ!」
トワはこの花に覚えがあった。
己の秘めた想いを告げるために、たくさんの花を調べた。最終的に、今も“彼”がいた場所に咲き続ける白い花を選んだが。最後の最後まで迷っていたのが、この青い花 ―― フリーザン。
花言葉は『永遠の愛』
「トル…ワドさん……」
名と共に零れる、透明の雫。
これが彼からの精一杯の愛情なのだ、と気がついてしまえば止めることができなかった。
「トルワドさん!!」
クルリ、と意思とは関係なく身体が反転する。
目の前には時代樹が。
…その幹に触れれば、彼の元に戻ることができる。
会いたい ―― 今すぐに。
でも、想いを返してくれた人は、“今”会える彼ではない。
それが、伸びそうになるトワの手をなんとか留める。
彼には、もう2度と会わない。
……戦いが終われば、会うこともなくなる人物である。それまで引き延ばしたい気持ちももちろんあったが、自分の想いにけじめをつけるためにも、最後の戦いの前に別れを告げようと自ら決めた。
本当なら、会えるはずのなかった人。決して好きになってはいけない、憧れの英雄。
自分の想いは実ってはいけないものだと知っていたから、会う度に出そうになる気持ちをずっとずっと飲み込んできた。
それでも…どうしても告げたくて。彼を困らせることはわかっていても、湧きだす想いは止められなくて。
選んだ方法が、花だった。
『あなたが好きです』
直接は言えない言葉を花に託して。そして、想いが決して実らないように別れを決めて。
それなのにまさか応えてもらえるなど、トワは想像もしていなかった。
トワは再び時代樹に背を向けて、砦いっぱいに広がる風景に口元を綻ばせる。幸せで幸せで堪らない一面に咲く花を見ながら、2歩、3歩と前に出た彼は、そのままドサリと地面に倒れ込んだ。
咲き誇る青に埋もれて。
顔だけ上げた少年は、その愛を受け取るように目の前の花に ―― 唇を寄せた。
- end -
2014-02-17
紡主受Webアンソロ用に書かせていただいた作品です。
「花に埋もれた恋心」をお題に考えました。
恋心が埋もれた…という感じではありませんが。
Webアンソロサイト様が閉鎖されたため、転載しております。
屑深星夜 2012.5.5完成