「神々がいるならば……」
地面に膝をつき、苦々しくそう口にした男は、右の拳を大地に叩きつけた。
「どうしてシイラを助けてくれなかったんだっ!!」
短い黒髪をかき乱し、頭を抱えた男の目から、耐えていたものが溢れ出した。
男 ―― ストレイン・バドリックは、植物学者を目指し、世界中を旅していた。
15の頃に故郷を出て旅を始めて、様々な植物を観察、スケッチしていった。
小さな頃から身近にあった植物に多大なる関心を抱いていた彼が、植物図鑑を作りたいという目標を持つのは10歳になった春のこと。
それから5年という歳月をかけて、まず、故郷付近にあった植物を制覇したストレインは、まだ見ぬ植物を求めて、旅に出る。
23歳の頃、カクヤ村の宿屋の娘、シイラ・ルージュと出会う。
しばらくこの村を拠点に活動をしようと思っていたストレインは、側で自分を支えてくれる彼女を次第に愛するようになった。程なく、彼女と結婚することを選んだ彼は、カクヤを拠点に定め、年に何度も旅に出て、自分の夢を追った。
そして、結婚して2年。ストレインが25歳になった年の秋。村から馬車で1週間ほどのアレイルの町にいた彼のもとに、訃報が届いた。
『カクヤ村、魔物に襲われ、半壊。死傷者多数』
シイラは無事だろうか。
真っ先にそう考えた彼は、旅を切り上げ、大急ぎで村に向けて発った。
きっと、シイラは生きている。
そう考えていた彼を迎えたのは、彼女が眠る粗末な墓だった。
愛する妻の墓の前で、肩を震わせ、声を殺して泣くストレインの姿を、じっと見つめる男がいた。
リコ・ワゴットというこの男は、ストレインが旅の途中で得た仲間であった。同い年で、17の時に出会って以降、常に共に旅をしていた。
リコは、その金色の瞳に悲しみを浮かべ、ただ静かに、影を背負った友の背中を見ていることしかできなかった。
「神など……神などいるものか!」
頭を振ってそう吐き出すストレインの言葉に、彼の肩に落ちる金の髪がパサリと動いた。
「オレは何も信じはしない……」
力強く握った拳で自らの腿を叩いたストレインは、その翡翠の瞳で、妻の墓にたつ木製の墓標をにらみつけた。金色の瞳を閉じて、1つ大きく息をついたリコは、静かにストレインの後ろに近づく。
「……神はいるよ」
その声に、ピクリとストレインの肩が揺れる。
「でも、神にもできないことはあるんだ」
「できないことがあって、何が神だっ! そんなの名ばかりじゃないかっ!!」
射すような緑色の瞳に射ぬかれながら、リコは静かに頷いた。
「そう……名ばかりだよ。だって、見ているばかりで、ほとんど何もできない……させてもらえないんだから」
ストレインは驚きに目を見開く。その視線を真摯に受け止めながら、苦々しく言葉を紡ぐ。
「神すらも、逆らうことのできない大きな理の中にいるんだ」
動くこともできない様子の友に、リコは説明を始めた。
「人間が崇めているような、何でもできる絶対の神はいない。でも、誰でも必ず1人の神がいるんだ。彼らはその1人の人間を見守り手助けする……」
「お前が……オレの、神なのか?」
呆然とそう聞くストレインに、肩をすくめて苦笑する。
「……ストレインのために、何もしてあげられない神だけどね」
それを聞いたストレインは、リコから視線を外すと、やり場のない怒りを罪のない大地へ向けた。
「………くそっ……」
拳を地に付けたまま、肩を落とす。
しばらくそんな彼の様子を見ていたリコだったが、すっと視線をシイラの墓へと向け、その上空を見た時、軽く微笑んだ。ストレインはそれに気づくこともなく、深い息を繰り返している。
「少しは落ち着いた?」
優しい金の瞳を、自らが見守る人間へと戻したリコが、とんとんと自分の耳を人差し指で叩いてみせる。
「そしたら、ちょっと耳を澄ませてみなよ」
「?」
「何か、聞こえてこない?」
不思議そうな顔をしたまま、視線を泳がせるストレイン。しばらくその状態が続いたが、
「……聞こえる」
そう、ぽつりと言った彼の視線が、ふとある1点で止まる。そこは、先ほどまでリコが見つめていた場所。
「シイラの声だ」
彼の愛する妻の墓の上だった。
「……やっと気づいてくれた。ずっと呼んでたのに」
ストレイン見つめるそこには、にこりと漆黒の瞳を細める女性が浮かんでいた。
「シイラ……」
ほろりとストレインの目から光るものがこぼれた。
「もうっ……泣かないでよ。どうしたらいいかわからなくなるでしょ……?」
シイラの顔が歪み、彼女の頬にも涙が流れる。
「……すまない……」
謝りながらも、止まりそうもないそれに、ストレインは苦笑するしかなかった。
「……ごめんね」
「謝るのはオレの方だ」
「ううん。わたしの方よ。だって、ホントは死ぬつもりなんて全くなかったの。だけど、隣の家に取り残されてたリィンを見つけたら、助けに行かずにはいられなくって」
肩をすくめて笑顔を作ったシイラは、その赤茶色の巻き毛をさらりとかきあげた。
「リィンは元気?」
「……あぁ。お前のおかげで助かったと…オレに謝ってきたよ」
「そう、よかった」
複雑な表情で自分を見上げる夫に、優しく微笑む。そして、思い出したようにこう言う。
「あのね、あなたにどうしても伝えたいことがあるの」
「……何だ?」
まだ乾かぬ涙をぬぐって翡翠の瞳を愛する者に向けると、ふっと、視線の先にある顔が真剣になった。
「あなたがどんなに叫んでも、もう時間は戻らないの。わたしも、あなたの元へ帰ることはできないわ」
その言葉に、ストレインは声もなくただ、彼女を見つめることしかできなかった。
「あなたの、いつも真っ直ぐ自分の夢を追っている後ろ姿が大好きだったわ」
透き通るような…聞いていて心地のよいシイラの声。ストレインは静かにその声を聞いていた。
「わたしを大切に思ってくれて、とってもうれしいわ。でも、あなたが嘆き悲しんでいる姿しか見れないんじゃ……わたし、逝くにも逝けないじゃない」
再び彼女の頬を涙がつたう。
「シイラ……」
自分の名を呼ぶ夫に、漆黒の瞳を細めてみせる。
「わたしね、またいつか、生まれ変わってここに戻ってくるから。あなたを探して会いに来るから……だから、それまで待ってて。あなただけの夢を追いながら」
腰に手を当てたシイラは、その涙で塗れた顔をストレインに近づける。
「これは約束だよ」
笑顔がだんだんと崩れていく妻の姿に、ストレインの頬にも新しい涙の筋が入る。
「あぁ。お前がまたオレを見つけてくれるように……お前の好きなオレでいる」
そう言って立ち上がった彼は、妻を亡くして以来、初めての笑顔を見せる。
「約束、守れよ?」
その言葉に、一つ頷いたシイラは、微笑みを残して姿を消した。
「……お前が呼んでくれたのか?」
シイラがいた空間を見つめたまま、そう問うストレインに、リコは肩をすくめる。
「ぼくは何もしてないよ。彼女が君のために願って…彼女だけの神の力を借りたんだ」
「………」
いまだ影の消えない友人の背中に、真面目な表情で話しかける。
「神にできることとできないことがあるように、人間にだってできることとできないことがある」
そこまで言うと、リコはストレインに背を向けた。
「ぼくは、君のために、ぼくにできることをするつもりだよ。でも、それが成功するかしないかは…君の行動にかかってるんだ」
その顔には決意の表情が見て取れた。一瞬、寂しそうな瞳を見せるが、それをふりきった彼は、
「君に幸あれ」
そう、9年一緒に旅した仲間に向けて最後の言葉を贈った。
はっとしてストレインが振り返った時には、もうそこに彼の姿はなかった。
しばらく、黙ってリコがいた場所を見つめていた彼だったが、2、3度頭を振ったかと思うと、くるりと体の向きを変える。
そして、ゆっくりとその場から歩き出した。
彼の背を覆っていた影は、いつの間にか、跡形もなく消えていた。
- continue -
2013-11-23
「おつまみ提供所」よりお借りしたお題にて書き進めているシリーズ。
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詩的な5題 セリフ版
1:「神々がいるならば」
2:「聞こえる」
3:「どんなに叫んでも」
4:「これは約束だよ」
5:「君に幸あれ」
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どこにこれらのセリフを入れるか、考えるのが楽しかったです。
屑深星夜 2005.5.28完成