白く、天高くまで伸びる無機質な建物が立ち並ぶ空間に、ふわりと姿を表した人物がいた。金の髪に金の瞳をした神 ―― リコ・ワゴットだ。
何かを耐えているような表情をした彼は、急ぎ足で歩き出した。
流れる風に、肩ほどまである髪がさらさらとなびく。1歩進むごとに、リコの表情が少しずつ暗く沈んでいった。なぜなら、周りにあるのは柔らかさの欠片もないような角ばった建物ばかりで、彼が今までいた場所と…あまりにも違いすぎたからである。
ある場所で、ぴたりとリコの足が止まる。彼の視線の先には、カフェのような場所で丸くなって語り合っている幾人かの若者がいた。
その前を通りたくなかったリコが、くるりと背を向けて歩き出そうとした時、
「あれ? リコじゃないですか。どうしてこんなところにいるんです?」
含みのある言葉と、くすくすという笑い声が彼の足を大地に縫いとめた。
「……ここはぼくの故郷だよ。いてもおかしくはないでしょ?」
「もしかして、人間界から逃げ帰ってきたんじゃないですか?」
確信をついたその言葉に、リコは思わずびくりと肩を震わせてしまう。
「当たりですね?」
にやりと笑う1人の男に続いて、周りにいた4人の男女が笑いながら話しはじめた。
「やっぱり、人間の側で見守るなんてバカなことするからダメなのよ」
「わたしたちに願い事ばかりして、なんにもできないような人間の側になんか行く必要ないのに、ねぇ?」
「だよなぁ〜?」
「人間の願いなんて、適当に叶えておけばいいんだよなぁ?」
それを聞きながら、リコは両手を握って耐えていた。
現在、神が住むこの世界には、これらの若者たちのような考えを持った神がたくさんいる。人間を見下し、適当であっても人間を見守り、時には願いを叶えるという仕事をこなせば、何事も起こらず、それなりに幸せな毎日が過ごせるからだ。
しかしリコは、そんな神たちの態度に疑問を持っていた。
自らが見守る人間の側におらずして、彼らが本当に望む願いを叶えることはできない。そう思っていた彼は、自らの仕事に誇りを持てるように、自分の見守る人間 ―― ストラインの仲間となり、9年間、一緒に行動してきたのだった。しかし、その行動も、自分の力のなさを痛感するだけに終わってしまったのだが……。
「ま、これであなたもわかったでしょう? 人間なんて、わざわざ側に行ってしっかりと見守るほどの価値はない奴らだって」
嫌味ったらしくそう言い切った男の言葉に、かっと目を見開いたリコは、勢いよく彼らの方を振り向く。しかし、その視界に男たちの姿は映らなかった。
「神として生きながら、適当に仕事をこなし、見守る人間の心からの願いすら知らねぇ奴らは黙ってな」
目の前に白くて長い三つ編みが揺れる、自分より大きな背中があったのだ。
「俺に言わせりゃ、リコのが、お前らより神としての格が上さ」
「リジィ……」
銀の瞳をちらと向けて微笑むリジィという男を見て、リコの表情が緩んだ。30代程度に見える男は、さっとリコの肩に腕を回すと、若者たちがいる方向と反対に歩き始める。
「んだとっ!? お前らなんて、理(ことわり)を破る犯罪者じゃないか!! アラヴィーみたいに早く『裁きの間』に呼び出されちまえっ!!」
彼らの背から、捨て台詞とも取れるその言葉が聞こえたが、2人は気にする様子を見せず、その場から消えた。
「アラヴィーが『裁きの間』へ呼ばれたって本当っ!? いつ!! なぜっ!?」
リジィは思わず耳をふさいだ。
彼は、とりあえずあの場をさった後、自分の家にリコを連れてきた。
入口の扉を閉めたとたん、今まで気にするそぶりを見せなかったリコがリジィに掴みかかったののだ。なぜなら、アラヴィーという男が、リコの同志で、同じように人間界に降りて神の仕事を行っていた者だったからである。
「話してやるからちょっと落ち着け、リコ……」
顔をしかめるリジィに深呼吸するように促されたリコは、2、3度大きく呼吸をくりかえした。少し落ち着いたところで、椅子を進められて、それにちょこんと座る。リジィ本人もリコの目の前に椅子を置いて座ると、真剣な表情で話し始めた。
「人間界で見守るべき者と一緒に生活していたあいつは、そこで、ある人間の女を好きになっちまったのさ。愛し、愛される……それだけなら“まだ”ましだ。だけど、あいつは禁を犯した」
「まさか……」
心当たりのあるリコは、驚きの表情でリジィを見つめる。それに1つ頷いた彼は、
「愛する女とはいえ、人間と契っちまったのさ」
こう言って肩をすくめるのだった。
白い壁に囲まれた、8畳程度の小さな部屋の中央に、乱れた橙色の髪をした男が膝を付いてうなだれていた。
『アラヴィー・キースゴット。質問に答えなさい』
「………」
外よりも照度の低いその空間に、温度の感じられない女の声が響く。
『なぜ、理(ことわり)を破り、人と関係を持ったのですか?』
「……彼女を愛していたからに決まっている」
アラヴィーは、そのままの格好で静かに口を開いた。畳み掛けるように、次の質問がなされる。
『神が人を愛することは禁じられています。罰を与えられることが分かっていて禁を犯したのですか?』
「わかっていても止められないものがあるんだっ!!」
勢いよく、伏せていた顔を上げた彼の真っ青な瞳が、裁きの間の天を射た。
「禁を犯すなっていうなら、最初から人間に近づけさせないようにすればよかっただろう!?」
『アラヴィー・キースゴット。口を閉じなさい』
「最初から仕事だけをこなす、感情のない神を創ればよかっただろうっ!? なぜ、そうしなかったっ!!」
『アラヴィー・キースゴット』
相変わらず温かみを感じないその声が静止するのも聞かず、アラヴィーは自らの心に渦巻く思いを吐き出し続ける。
「あんたたちこそわかってたんだろっ!? 感情のある神を創れば、いずれはオレのような者が出てくるって!! わかっててなぜ創ったんだっ!!」
『警備兵。アラヴィー・キースゴットを『光の間』へ連れて行きなさい』
「なぜだ――――――っ!!」
声の指示に従って、部屋に入ってきた2名の警備兵がアラヴィーの腕を取り、その場から引きずり出す。
彼の姿が部屋から消えた後も、その悲痛な叫び声はその場に根を張るようにいつまでも残っていた。
「『光の間』入りっ!?」
リジィの家にリコの声が響き渡る。彼らが話している途中、アラヴィーが『光の間』へ入れられるというニュースが飛び込んできたのだった。
「あそこに入ったら、今までの記憶を全て無くして出てくるんだよね?」
「……だな」
リジィは、立ち上がってうろうろし始めるリコのうしろ姿に向けて、ため息をつく。リコは、しばらく考えをめぐらせていたようだが、ふと動きをとめ、年上の神に視線を向ける。
「見つけて」
「……はっ?」
唐突にそう聞かれて、怪訝な顔をするリジィに、リコが当たり前のように答える。
「アラヴィーを助ける方法だよ」
「見つけんのは無理だろ。光の間から逃げ出す方法なんて、調べようもねぇからなぁ」
リコは、肩をすくめてそう言った男に、再び問う。
「じゃあ、教えて」
「……はぁっ?」
「“見つけるのは”ってことは、何か知っているんでしょ?」
呆れたように自分の方を見ていたリジィの顔が、ピクリと固まった。
「知らないなら“知らない”って言えばすむのに、わざわざそう言ったじゃないかっ!」
「………」
「教えてっ!!」
必死な様子のリコに肩をつかまれてたリジィは、苦笑した。
「……お前、耳ざといなぁ…………わかった、教えてやる」
そして、右手の人差し指をリコの目の前に立てると、顔を引き締めた。
「アラヴィーを人間にするんだ」
「え?」
“人間にする”という、その答えの理由がわからず、不思議そうな顔をするリコに、リジィが説明する。
「そうすれば、『光の間』へ入っている理由はなくなる。あそこへ入れられる理由は、いらない記憶を消して、神としてもう一度生まれ変わらせるためだからな」
「そっか……」
やっと納得したそぶりをみせるリコを横目に、リジィは椅子から立ち上がる。
そして、その銀の瞳を細めてこう言うのだ。
「助けに行く前に、いくつか下調べをしなきゃならん。お前にも手伝ってもらうぞ」
「うん!」
リコはやる気十分の表情で、それに答えたのだった。
光という光に照らされ、真っ白な空間が更に白く感じる部屋。そこに溢れている冷たく鋭い光は嫌でも頭の中に鋭く突き刺さり、暖かい思い出を壊していく。
アラヴィーは、そんな『光の間』の中央に目を閉じて座り込んでいた。強く閉じられたまぶたに愛しい者の面影を映しているのか、口からこぼれるのは愛する女の名ばかりだ。
その時、シュッ…と音を立てて、壁の一部が開いた。
「……セキュリティシステム、前と変えてねぇのかよ。無用心だな」
「よかった。そうじゃなきゃこんなに簡単にいかなかったわけでしょ?」
場違いなほど明るく、そして暖かい響きの声にアラヴィーはゆっくりと顔を上げた。
「リジィ…? リコ?」
「アラヴィー! 大丈夫だった?」
「あぁ……まだ、大丈夫だ」
彼は、駆け寄って来たリコに手助けされて立ち上がった。
「セキュリティーが止まってる時間は限られてるんだ。急ごう!」
「待て、リコ」
アラヴィーの手を引いて、開いている入口へ向かおうとするリコを、リジィが止めた。
「リジィ?」
怪訝な顔をして自分を見つめるリコには目もくれず、その隣にいるアラヴィーに視線を向ける。
「アラヴィー。お前、どうしてもその人間の女のことが忘れられないのか?」
「……あぁ」
「じゃあお前、人間になれ」
リジィは、神妙な顔で頷いた彼の肩を軽く叩いて、さらっとそう言った。
「……?」
まだ状況が飲み込めてないアラヴィーを見て、リジィは早口で説明をはじめた。
「神として生きたいのなら、ここに残らなきゃならねぇが、人間になるならここにいる必要はない。お前が、愛する女のことを忘れる必要はないんだ」
そういい終えた瞬間、緊急ブザーが鳴り出した。眩しいくらいに白かった部屋にも、赤い照明が点滅しはじめる。
「リジィ…時間が…っ!」
「行け。リコについて行けば問題ない。安心して人間になってこい」
「リジィは?」
「……俺はここでまだやることがあるんでね、後で行くさ。お前たちは先に行ってろ」
リコに腕を引っ張られながらも、まだその場を動こうとしないアラヴィーに肩をすくめてみせるリジィ。
「そんなことをしていたら、リジィが……」
「ぐずぐずしてんじゃねぇ! ……愛してんだろ?」
胸に響く声でそう言われた方は、言葉を飲む。そして、ゆっくりと上下に首を動かした。それを見たリジィは一瞬笑うと、バシッとアラヴィーの背を思いっきり叩いた。
「必ず無事で戻るから、俺のことは心配するな! ここで逃げ出せなきゃ、全ては終わりだ!! 走れっ!!!」
その声に押し出されるように走り出したアラヴィーとリコは、振り返ることなく『光の間』から出て行った。
ほどなく、5、6名の警備兵がやってきてリジィを取り囲む。その時、それまで鳴り響いていたブザーが消えた。
『その者を捕らえる必要はありません。すぐにここから出て行きなさい』
温度のない女の声が響き、警備兵たちが静かに礼をして出て行く。すると、自動的に部屋の入口が閉まる。
『……また、あなたですか。リジィ・オンゴット」
「すまんね。あいつを愛した人間が泣いて神に祈ってたからな。助けずにはいられなかった」
それは、彼がリコと一緒に神の国を駆けずり回った結果、得た情報だった。
『あなたのせいでまた1人、神を失いました。どうしてくれるのです?』
「神なんて、人間にとっちゃ、いるもいないも同じさ。いっそこのままでも……」
『リジィ』
珍しく感情のにじんだ声を出した姿の見えない女に、リジィは肩をすくめた。
「冗談だって。そんなに怒るな」
彼は、背に垂れていた自らの白い髪を、左肩へと持ってきながら続ける。
「足りなくなればまた創ればいいだろう? 今までもそうしてきたように、な。ま、俺はそれに協力するつもりはないがね」
すたすたと、入口があった場所へ歩き出したリジィ。彼が壁の前に立つと、ひとりでに扉が開いた。
「俺たちは、いつになったら“自分”として生きられるのかね?」
ぽつりとそう言うと、リジィはそのまま外へと歩いていく。
女の声がそれ答えることはなく、シュッ…と小さな音を立てて扉が閉まった。
『光の間』には、光と静寂以外、残ってはいなかった。
- continue -
2013-11-23
「おつまみ提供所」よりお借りしたお題にて書き進めているシリーズ。
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命令形で5つのお題
1:「黙ってな」
2:「見つけて」
3:「答えなさい」
4:「先に行ってろ」
5:「走れ!」
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セリフから話を考えるので、予想外の方向に行ったりして面白かったです。
屑深星夜 2005.7.5完成