「……壊しちゃった」
ローン・リオファンのかすれた声が、ソーヴァ村に小さく響く。
「みんなの生命(いのち)……壊しちゃった……」
上を向いたままボロボロと涙を流す彼を見た少女、マージ・メルゴットは“初めて”その表情を変えた。彼女はオロオロとローンの側にいることしかできなかった。
そんな2人を、風が襲う。あおられたマージの黒髪が空に手を伸ばし、ローンの赤い髪も大きく揺れた。
その時、土ぼこりと一緒に白い髪が宙を舞った。
「見つけた」
背後からかかった声に振り向くと、そこには腰ほどまでの長い髪を三つ編みにした男が立っていた。呆れたような銀色の瞳で自分を見つめる彼に、マージは見覚えがない。それなのに、男はこう言うのだ。
「相変わらず……だな」
「……誰だ?」
「リジィだ、マージ」
リジィと名乗った男は、己の名前を知っていた。ということは、彼は自分のことを知っているのだろう。
しかし、マージの記憶の中には彼はいなかった。疑いの眼を向けた彼女は、漆黒の瞳を真っ直ぐリジィに向ける。
「あなたに会ったことはない」
「お前は忘れちまってるが、会ったことはあるよ。これで4回目だぜ?」
「4回…?」
怪訝な顔をするマージに、さっきまで笑っていたリジィの目が据わる。
「お前が見守るべき人間を不幸にした回数だ」
「ちょっと待って…」
予想もしていなかった言葉に眉間に皺を寄せたマージは、首を僅かに傾ける。
「…それはどういう?」
「言ったまんまだ。お前はこいつみたいに見守るべき人間を過去に3人、不幸にしてる」
「……知らない」
指を3本立てた自分から視線を外し彷徨わせる彼女に、肩を竦める。
「知らなくて当たり前さ。その度にお前さんは『光の間』に送られて、記憶をリセットされてるからな」
自分の記憶の中には、そんな事実はない。けれども、目の前の人物は嘘を言っているようには思えず…何よりも己の名を知っていた。それはマージの心を不安定にさせ、ポーカーフェイスのはずの顔に動揺が現れ、微かに身体全体が震えはじめた。
「わ、わたしは、ただ…望みを叶えただけだ」
彼女にとって、それは紛れもない真実だ。見守るべき人間が願ったことを叶えただけ。望むとおりにしたはず。それがどうして見守るべき人間を不幸にする(した)のか、マージには全くわからなかったのだ。
「望み…?」
その様に舌を鳴らしたリジィは、鋭い眼光を向ける。
「お前はまだわかってねぇのかっ!!!」
「!?」
「口にされたことが、その人間の本当の望みとは限らねぇんだぞっ!?」
抑え切れない気持ちとともにマージに襲い掛かったその声はいつまでも彼女の耳の中で響き、リジィが荒くなった息を整えている間も消えることはない。
自分を凝視したまま動くことのなくなった彼女に、リジィは大きくため息をついて続ける。
「人間ってもんはな、本当に本当に望んでることは口に出せなかったりするんだ。叶いやしないと思うからかもしれねぇ。変な意地やプライドが邪魔するのもあるかもな」
言いながら近づいき、マージの黒い頭にポンと手を乗せる。
「お前はなまじ力が強いせいで、何だって願いを叶えてきたな。だからこそ気づかねぇのさ。その人間にとっての1番の幸せが何なのか」
そんな彼の瞳には哀みの色が見えた。
「幸せ」
ポツリ、小さな子どものように呟く。リジィはそんな少女の頭に乗せたままの手に力を込め、己よりも幾分か低いその顔を覗き込んだ。
「お前、この人間をこうしといて、今でもまだこいつの幸せのためにこの村の人間を殺すことが必要だったとか言うなよ」
リジィの言うこの人間とは、マージの横で空を仰ぎいまだ泣き続けている少年。彼女が側で見守ってきた、ローン・リオファンのことだった。
「こいつにとっての1番の幸せが何か…わかるか?」
視線をローンに向けながら言う彼に、マージは首を横に振るしかない。
自分は少年のために願いを叶えたはずだった。しかし、リジィはそれは本当の望みとは違うと言う。そうなるともう、彼女には何が彼の本当の望みなのかは全くわからなかった。
そんなマージに呆れたようなため息をついたリジィは、真剣な瞳を向ける。
「独りでないことだ」
そこで頭に乗せていた手を外し姿勢を正した男は、マージを上から見下ろした。さっきまですぐ側にあった銀色の瞳はどこか怒りに燃え、彼女に威圧感を与える。
「お前が側にいるだけでもよかった。この赤色が認められる場所へ連れて行くでもよかった。人間にはない不思議な力を貸すことじゃねぇ。それ以上に、ここの奴らを殺すことなんかじゃなかったはずだ! 力が強いことに胡坐かいてそれに甘えてちゃ、いつまで経ってもお前は見守るべき人間の本当の願いを叶えることなんかできねぇっ!!!」
段々と勢いを増した声は深く深くマージの胸に突き刺さる。
やっと気づくことのできた、ローンの本当の望み。そして、自分が良かれと思ってしたことの結末。
全てが重く重く圧し掛かり……彼女はガクリと地面に膝をついた。
いつの間に現れたのか。リジィの後ろには3名ほどの兵士がやってきていた。そのうちの1人が持つ、通信用ディスプレイには1人の女性の姿が映っている。
「……賭けは俺の勝ちだ。今度はこいつの記憶を無くさずに、もう1度やり直させてやってくれ。こいつの思うようにな」
チラと視線を向けられた彼女は、感情の読めない表情で低く告げる。
『連れて行きなさい』
「はっ!!」
残った2名が力無く座っているマージの両腕を捕らえ、引き上げる。リジィはそこで声をかけた。
「マージ」
「…?」
「今度会うときまでに変わっとけよ」
お前ならできるはずだ。そう願いを込めて伝えた言葉に唇を噛んだマージは、小さく小さく頷いた。
『賭けに勝って楽しいですか?』
「楽しい?」
2人の兵と共に消えたマージを見送りながら、リジィはディスプレイ内にいる女 ―― ヘッダーナにそう聞かれれ、ピクリと眉をひそめる。そうして長いため息をついた後、銀色の瞳をヘッダーナに向けた。
「そんなわけねぇだろ。1番勝ちたくなかった賭けだぜ。だが、約束は約束だ。今度は『光の間』入りはなしにしてくれよ」
『………約束です』
沈黙で躊躇いを見せつつもそう言った彼女にニッと笑ったリジィは、ディスプレイと共に兵を神の国へと返して1人ソーヴァ村に残った。
何も生きるものの気配を感じないその場所に、今は2人。
誰が来ても、マージが去っても何の反応も見せなかった少年に近づいたリジィは、血のように赤い髪に優しく触れる。
「お前は悪くねぇって言ってやりたいとこだが……お前も、もう少し自分で頑張ってみな。今度は自分を受け入れてくれる場所で…な」
そして、
パチンッ
1つ指を鳴らすと、ローンの身体が傾いだ。
彼のあるようでなかった意識を失わせた張本人は、その細い身体を抱えると、ふわりと空気に溶けて消えていったのだった。
- continue -
2013-11-23
「おつまみ提供所」よりお借りしたお題にて書き進めているシリーズ。
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ほのぼの5題 セリフ版
1:「楽しい?」
2:「相変わらず」
3:「ちょっと待って」
4:「見つけた」
5:「幸せ」
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4thの続きで、5thの裏側…な感じで。
屑深星夜 2010.7.28完成