抗う者たち 5th

5th エミリ・ブライト・モーロック


「もう帰ってきてもいいころだと思うんだけどなぁ〜……?」
 古びた木の椅子に座った少女は、何度か瞬きをした。その瞳は白くにごっていて、焦点も合っていない。彼女の目は、生まれてから一度も光を映していなかった。
 ずっと闇の中で生きて来た少女は、一見すると少年にも見えるショートカットの髪。本人は知らなかったが、サラサラのその髪の色は澄んだ空の色と同じだった。
「ママ? パパ?」
 不安そうな声で両親を呼ぶ。
 普段なら帰るのが遅いくらいでこんなに心配はしない。10年以上暮らしている家なので、中であれば自分で自由に歩くこともできる。
 だが、彼女は、訳もなく不安だったのだ。なぜなら…いつも聞こえてくるはずの村の人々の声が、全く聞こえなかったから。
 家も村も、沈黙に支配されたように物音1つしない上に、人の気配すらない。目が見えないからこそ、彼女は敏感にそれを感じ取っていた。
 その時、ガタガタと大きな音を立てて窓が揺れた。ビクッと肩を揺らして驚く少女の表情が恐怖に歪んだ。
「早く……早く、帰ってきて!」
 救いを求める叫び声は、小さな部屋に響いて消えていった。


「リジィ!!」
 白い壁に囲まれた部屋に、リコの声が響く。
「………ん? どうした?」
 手にもった何枚かの紙に視線を落としたまま動かなかった彼がやっとリコを見た。
「どうした? じゃないでしょ? も〜…ちゃんと聞いてよ……」
 呆れたようにため息をつくリコの側では、心配そうなピンク色の瞳を向けたサーレンスがいた。
「心配しなくてもちゃんと聞いてるさ。ただ、このメモを見てて少し気になることがあってな…」
 リジィは心配させないように笑顔でそう言いながら、壁と同じ白いソファに座り直す。そして、話を続けるようリコに目で合図した。


 地面につくほど長い黄緑色のふわふわの髪に、ピンク色の瞳を持つサーレンス・イートゴットは生まれつき話すことができなかった。
 そんな彼女も神の1人。ちゃんと見守るべき人間がいた。
 その人間の名は、エミリ・ブライト・モーロックという。15歳の女の子で、生まれつき目が見えなかった。生まれつきハンディキャップを持つ者ということも含め、サーレンスはとても彼女のことが気になっていた。両親に守られ生きている彼女に、自分の力は必要ないだろうとわかっていても、目が離せないくらい…。

 異変が起こったのはほんの少し前のことである。
 食事の間だけ目を離した隙に、エミリの暮らすソーヴァ村の全ての人が息絶えていたのだった。
 慌ててエミリの無事を確かめる。すると…なぜか彼女だけは、いつもと同じように自らの家の中で編み物をしていた。
 それを見てホッとするのもつかの間。目の見えないエミリは…誰かの助けなしでは生きられない。それなのに、彼女の側には誰もいなかった。

 自分しかエミリを助けられない。

 そう思ってすぐにでも側に行こうとしたサーレンスだったが、はたと気がついた。

 声の出ない自分とエミリで、どうやって会話をすればいいのか。

 いつもなら筆談でコミュニケーションをとっているのだが、目の見えない彼女にはその文字が読めないのだから…。


「……村の名前は何だった?」
 ここまで黙ってリコの話を聞いていたリジィが口を開いた。
「村? ソーヴァだけど?」
「ソーヴァ…か」
 舌打ちしてため息をついたリジィを、リコたちは不思議そうに見つめる。
「それがどうかしたの? 何か悪いことでもあった?」
「その村には、マージの見守る人間も住んでたはずだ」
「マージの?」
「あぁ」
 頷くリジィを見て、リコがあちゃーという顔をした。

 マージ・メルゴットは神たちの中でちょっとした有名人だった。
 無表情で何を考えているかわからないが、とても真面目で仕事熱心。熱心なだけならよかったが、彼女には仕事…そして、見守る人間しか見えていないのが問題だった。
 さらに、人より数段強い神の力を持っているのもよくない。そのため、普通なら叶えるべきでない類の願いをも叶えてしまう問題児だったのだ。

「その人間は小さいころから孤独でなぁ……俺の予感があたってなきゃいいんだが」
 一瞬苦笑して見せたリジィは、サーレンスと目を合わせた。
「とりあえず、マージのことは気にしなくていい。お前はまず、その子の側に行ってやれ。エミリが誰かの手を借りて生きていけるまでは…な」
 不安そうな瞳でリコとリジィを交互に見るサーレンス。それを見たリコは、
「でも…」
と、彼女の心の内を代弁しようと口を開きかけたが、リジィの優しい笑みがそれを制した。
「お前には神の力があるだろうが」
 それは真っ直ぐサーレンスの心に届く。
「口に出さなくても、思ったことを他人に伝えることができるはずだ」
 そんなこと考えもしなかった、とでも言うような表情の2人を余所に、リジィは座っていたソファから立ち上がった。
「俺は別の用がある。後はリコとなんとかするんだな」
 軽く右手を挙げた彼は、その場にリコたちを残したまま自らの部屋を後にした。


 エミリは、力なく床に座り込んでいた。
 どれだけ帰ってきてと叫んでも、待ち望んだ両親の声は聞こえてこなかったのだ。
「どうして…帰ってこないの?」
 泣きそうな顔で、掠れた声を出した彼女は宙を仰ぐ。
「ねぇ、誰か、教えて……」
 弱々しい音はすぐに辺りに散っていった。
 その時、ふわりと春の新緑のような色があらわれた。そこは、丁度エミリの真後ろ。そこに立ったサーレンスは、今にも泣き出しそうな後ろ姿見て胸が痛んだ。
 早く彼女を助けたい。
 その思いが更に強くなったサーレンスは、わざと足音を立てて彼女に一歩近づいた。
「だ…誰っ? 誰かそこにいるの?」
 振り向いたエミリは、怖さとうれしさが入り混じったような表情をしていた。
『心配しないで…わたしはあなたを助けに来ました』
「助ける…?」
『はい』
 微笑みを声に込めて頷いたサーレンスは、少しだけホッとしたエミリに、今置かれた状況を説明した。
 原因はわからないが、両親も…村の人も全員亡くなってしまったこと。
 自分は、ずっとエミリを見守ってきた神で、エミリのために力を貸しに来たこと…。
 少女は何も言わず、ただ静かにサーレンスの“声”を聞いていた。
「……誰もいないの? 本当に?」
『はい』
「嘘…でしょ?」
 信じたくない、という思いがひしひしと伝わってくる中、サーレンスは首を横に振ってこう伝えることしかできない。
『嘘じゃありません』
 その声を聞いて、ぐっと唇を噛む少女。みるみるうちに表情が崩れ、耐えられなかった涙がポロリとこぼれた。
「今日は…ね、パパとママの結婚記念日だったの。あたしの作ったおそろいのセーターと一緒に『おめでとう』って……『これからも仲良くしてね』って伝えたかったのに……」
 一旦言葉を止めた彼女を、サーレンスはギュッと抱きしめた。
『わたしに、亡くなった人を生き返らせることはできませんが、その言葉を伝えるために、もう1度だけ会いに来てもらうことはできます。……どうしますか?』
 そう伝えた後、身体を離してエミリの顔を見る。自分の指で涙をぬぐった彼女は、ゆっくりと横に首を振った。
「…いいよ。ありがと」
『いいんですか? 本当は会いたいのでしょう?』
「……会いたいに決まってる!」
 声を高くしたエミリは、目に涙をためながら悲しそうに笑う。
「でも、来てくれても触れられないし……声だけ聞こえたって、余計さみしくなるだけだもん」
『……』
 その言葉に何も言えなくなったサーレンスの雰囲気を感じ取ったのか、彼女はできるだけ明るく笑ってみせる。
「代わりに伝えてくれる? あたしのことは心配いらないから、天国でも仲良くねって」
『必ず……伝えます』
「お願いね」
 2人は、互いの手を力強く握り合った。
 それから、すっと立ち上がったエミリは家の中をゆっくりと触ってまわった。机や椅子にベッド、カーテンや窓、壁…床に至るまで隅から隅まで余す所なく触れる。
 サーレンスはただ静かにそれを見つめていた。
 エミリが再びサーレンスに声をかけたのは、小1時間経った後だった。
「……それじゃ、出発しましょ」
『え?』
 いきなりの少女の言葉に思わずそう聞き返してしまうと、エミリは肩をすくめた。
「あたしが生きていける所に連れて行ってくれるんでしょ?」
『は、はい』
「いつまでも悲しんでたら、だんだん生きていたくなくなってくるし…パパとママもそんなあたしを見るの、嫌だと思うから」
 まるで、天が見えているかのように上を見上げるエミリ。その瞳は相変わらず白くにごっていたが、涙はすっかり乾いていた。
「パパたちがつけてくれた名前にふさわしい自分でいるために、行くの」
 空から見つめている両親に見えるようにか…その時見せた微笑みは、とても眩しく感じられた。
『わかりました』
 サーレンスは1つ頷いてエミリに近づくと、彼女の手を自分の腕に導く。
『しっかりつかまっていて下さい』
 声に促されるようにエミリが腕にしがみつくのを確認した後、サーレンスはピンク色の自らの瞳を閉じた。
 次の瞬間、空気が揺れたようにぶれ、彼女たちの姿がふわりと消えた。

 そこに、悲しみと涙…そして、たくさんの思い出を残して。

- continue -

2013-11-23

おつまみ提供所」よりお借りしたお題にて書き進めているシリーズ。

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寂しい5題 セリフ版 

1:「帰ってきて」
2:「誰もいないの?」 
3:「聞いてよ・・・」
4:「誰か、教えて」
5:「伝えたかったのに」
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今回は、4thと同じ村で暮らす女の子のお話です。


屑深星夜 2006.4.29完成