おれだけのスノーホワイト

おれだけのスノーホワイト


 むかーしむかし、あるところに、白雪と言う名のお姫さまがいました。
 その名の通り、雪のように白い肌の持ち主で、黒曜石を溶かしたような艶やかな黒髪、赤いリンゴのような唇はとても愛らしく……誰からも可愛がられておりました。

 ……こんなだったか? 人間なら誰もが知ってるおとぎ話「白雪姫」ってのは。
 おれはチラッとしか見せてもらってねぇから、あんま詳しく知らねぇんだけどな。
 確か、美しく成長したお姫さまは、継母である女王に妬まれ命を狙われんだよな。んで、毒りんごを食べて眠っちまったところを通りかかった王子が助けてハッピーエンド。
 …だよな?

 実際、そんな上手い話なんてねぇって思ったさ。姫や王子もそこらにいるもんじゃねぇだろ。
 所詮、ただの作り話だって思ってたんだけどな。

 あの日おれは……出会っちまったんだ。

 おれだけの、“スノーホワイト”に。


***


 おれが8つになったころだったから…もう20年も前のことになんのか。
 村からほんのちょっと離れた明りの広場〔アカリノヒロバ〕で遊んでたときだ。

「何であの玉が取れないんだよっ、ミライのやつ!」
 おれは、ブツブツ文句を言いながら背の高さほどもある草むらをかき分けた。
 お手製の布ボールを使って当てっこしてたんだけど、パスするつもりで投げたそれはミライ ―― 1つ年下の弟分 ―― の手には収まらず。脇を抜けて、村境の暗がりの森〔クラガリノモリ〕に消えちまったんだ。
 すぐになくなった辺りを探したんだけど、無駄に伸ばされた下草のおかげでなかなかボールは見つからなくてよ。一緒に遊んでたラキラとウィチェ、2人の手も借りて、それぞれ別れて捜索してたんだ。
 おれとしちゃあ全力じゃなく、敵チームのラキラたちに取れないギリギリ程度の玉をパスしたつもりだ。

 ま、今にして思えば…“おれ”の軽い玉でも“ミライ”には相当キツい玉だったんだけどな。そんときのおれにはまだ“種族の違い”なんか理解できてなかったから、仕方ないっつったら仕方ないんだが。

 だから、ドンくさいミライのことがムカついてムカついてたまんなかった。
それを口に出しながら探しても全然玉は見つからなくってな〜…。これは新しく作った方が早いんじゃないかって思ったころだ。
 誰かが泣いてるような、鼻をすする音が耳に届いた。
 きっと見つかんなくてミライがぐずってんだろうって考えて、そっちの方向へ歩いて行ったら。ぽっかり草むらに穴が空いた空間に、見覚えのない……シルバーブロンドの髪した女の子がいやがった。
 おれは彼女を凝視したまま動けなくなっちまう。

 だって…村人で知らないやつはいないんだ。それなのにはじめて会うってことは、こいつは村に住むやつじゃないってこと。

―― 外の人間に見つかるな。

 産まれたときから村の大人たちに言い聞かされてきた言葉が、何度も何度も頭の中に木霊す。けど、どうしていいかも思いつかねぇおれは……相手が話しかけて来るまで何にもできなかった。
「ここっ…どこ? おうちっ、わかっなくなっちゃ…た……っ」
 おれに会ったからなのかわかんねぇけどな。水色の瞳から涙がいっぱい溢れ出して白い頬っぺたを伝っていって、とてもそのまんまにはしておけねぇって、小さいながらに考えたもんだ。

「な…泣くなよ!! おれが連れてってやるから!!!」
「う、うんっ! ありがとう!」

 もっと上手い言いようはあった気がするが、こんときはこれが精一杯。でも、相手はニコリと微笑んでくれて……。可愛さにすっげー顔が熱くなっちまった。


 実はおれ、“人間”じゃねぇ。人間の言うオオカミ男ってやつだ。

 あぁ? お前こそ作り話の世界の住人じゃねぇかって?

 アホか! おれにとったらそれが現実だぞ。作り話のわけないじゃねぇか。
 暗がりの森の中にあるおれたちの村には、オオカミ男だけじゃねぇ。
 吸血鬼に魔女、ミイラ男に透明人間、人魚にゴースト……。みんな数は少ないけど、いろんな種族が仲良く暮らしてんだ。

 人間と一緒に暮らそうと考えたこともあったみてぇだけどな。人間と違う生き物であるおれたちは、受け入れてもらえなかったららしい。

 でも、おれたちだって生きてるんだ。どこかで暮らさなきゃなんねぇ。
 けどよ、人間と争いたいわけじゃねぇから、森に近づく人間をちょっとおどかしたり、イタズラして近づかないようにしといて、その奥でひっそりと暮らしてんだ。

 んで、いつか……人間と一緒に暮らせるようになる日が来るのを待ってんだ。


「ルウー? 玉、ラキラが見つけてくれたよー? どこにいるのー?」
 ポーッと見とれてる間に、声と一緒に足音が近づいてくる。
 間延びしたこの声はミライだな…なんて頭の隅で考えたとたん、ハッとした。

 まずいっ。ここには人間がいるんだ! おれならまだしも、ミライの姿を見られたら…っ!!!

「…ミライ、来んじゃねぇ!!」
「えっ?」

 ガサッ

 叫んだのとほとんど同時に現れたのは…全身包帯だらけのミイラ男。
 もちろん、人間の女の子もバッチリ見ちまって。

「……遅かった……」

 落ちそうな位でっかい目を更に見開いてミライを凝視してやがる。
 で、見られた本人はと言えば……。

 一瞬…いや、二瞬……三瞬くらいか?

 多分おれと同じように、

『知らないやつ』
  ↓
『村のやつじゃない』
  ↓
『外に住む人間』

…って思考をたどってたんだと思うがな。

「に、人間ーっ!?」

 遅くね? ってタイミングで声を上げると、慌てて2、3歩後退り、背の高い草むらに隠れやがった。
「……今さら隠れたって遅ぇよ、バカ」
 おれはため息を吐きながら頭を押さえ、まだ固まったまんま動かねぇ人間をチラリと見る。

 こいつ、まばたきもしてねぇぞ?

「……あー…大丈夫か? お前」
 立ったまま気絶してんじゃないかってちょっと不安になったおれは、彼女の顔の前でブンブンと手を振って見せる。と、すぅ…と息を吸った音が聞こえて……。

「ミイラ男! ホントにいたっ!」
「へ?」

「お母さん、いないって言ってたけど…いたっ! やっぱり、ママが言ってたの…ホントだったんだ〜」
 ホントに嬉しそうな顔して言いやがるから、おれの方がびっくりしちまったよ。
 だって、「化け物っ!」とかって叫ぶんじゃねぇのか?
 おれたちは見慣れてても、人間はミイラ男を見たことなんかないはず。それに人間とは明らかに別の生き物 ―― モンスターってやつだ。
 人間は自分たちと違う生物を受け入れないってラキラのじっちゃんが言ってたのに、聞いてたのとは全く別の反応を返してくるこの女の子のことがすごく気になっちまった。
 ガサリ、と隠れてた草むらからミライを引っ張り出した彼女は興味津々。ミライのことを頭の先から爪先まで確認した後、ニコリと笑う。
「ねぇ、ヴァンパイア、いる?」
「う、うんー」
 目を白黒させてるミライは、何も考えずに頷いてやがるし…。
 でも、仕方ねぇか。
 人間はおれたちを嫌ってるって教えられてきたのに、目の前にいるこいつは正反対なんだぜ? どう反応していいか判断できなくて当たり前ってもんだろ。
「うわぁ! じゃあ、オオカミ男は?」
 更に目を輝かせた少女の声にミライの茶色い瞳がおれを見る。それを追うように水色の目もこっちを向いて……。

「……おれだよ」
「えっ?」

「おれがオオカミ男」
 自分で自分を指差してそう言った後、おれはその場でクルンと宙返りしてやる。

 スタッ

 軽い音を立てて降り立ったときには、おれの目線はさっきまでより低い位置。地面に着いた両手足はもちろん。全身、金色の毛皮で覆われたオオカミに変身していた。
「う、わぁ…ぶっ…」
「静かにっ」
 驚いて声を上げようとする彼女の口に尻尾をぶち当てて止める。

 ……危ない危ない。いくら村境の森だって言っても、大声で叫ばれたらここに人間がいるって知れちまう。
 んで、芋づる式におれとミライが正体知られたってこともバレて…。下手するとこいつの命がヤバいかもしんねぇ。
(おれたちもどんなお仕置きが待ってるかわかんねぇし…)
 村の大人たちの人間に対する警戒心は、それくらい高かったんだ。

「おれたちに会ったことは絶対他の人間に言うなよ。言ったら…おれたち、お前をやっつけに行かなきゃならなくなる」
「……う、ん」
 だから、黒から金に変わった目を鋭くすれば、小さく肩を震わせた女の子はぎこちなく頷いた。おれたちよりちょっと小さいくらいだから、理解できてるかちょっと不安だったけどな。言ったら危険だってことは伝わったんだろ。
「絶対だぞ」
「うん」
 念押ししたおれに、真剣な顔で答えてくれた。それに安心したおれは、視線を緩める。
「さっき約束したから送ってってやる。乗れよ」
 クイと鼻先で背中を示せば、いいの? とでも言うように首を傾げた彼女がおそるおそる乗り上がる。その軽い体重を感じながらミライに告げる。
「ミライ、このこと…ラキラたちに言うなよ」
「う、うんー」
 ラキラとウィチェにならバレても大丈夫だとは思ったんだけどよ。万が一、じっちゃんたちに知れても困るし。

 何より、こいつのこと……他のやつに知られたくなかったんだ。

 深く頷くのを見て満足げに笑みながら、おれは背中の人物に声をかける。
「おし、出発するから、振り落とされねぇようにしっかり首につかまっとけよ」
「うん!」
 ギュッと首に絡まる細い腕の温もりを感じながら、おれは人間の街があるって方向に走り出した。


 ……それが出会い。
今でも背中に感じた重みと、体温は…忘れてねぇ。


 送るったって、村から出たことのねぇおれが家まで連れて行けるわけなんかなく。それも、オオカミの姿のまま人目のある場所に出ればヤバいってことぐらいわかってたからな。
 できるだけ森に沿って、彼女が覚えてる場所まで連れてった。
「ありがとう」
 そう言って微笑む姿を目に焼き付けた後、おれは暗がりの森に戻って来た。


 本当なら、それっきり。

 おれもミライも、2人の秘密にして忘れちまって。いつも通りの、閉鎖された村でののんびりとした生活を送るもんだと思ってた。

 だが。

 その……もう2度と会うことがないはずの人間の少女は、次の日から毎日森に通って来やがった。

***

 次の日の昼過ぎ。家の手伝いをして、ラキラのじっちゃんに勉強教えてもらった後。
 いつもならラキラ、ウィチェ、ミライと遊びに行ってんだけどな。昨日から消えねぇ視界の銀と水色に…何となくひとり、暗がりの森に向かってた。
 明りの広場を抜け、ガサガサと背の高い草むらをかき分けながらあの場所を目指す。
 人が10人も入ればいっぱいになっちまうくらい小さな…。…でも、そこだけぽっかりと下草のない空間。

 少女に出会った場所。

 あれはやっぱり夢だったんだ、と自分に言い聞かせたかったのかもしんねぇ。おれはとにかく、そこに誰もいないのを確かめたくて顔を覗かせれば……。

 シルバーブロンドにライトブルーの瞳。

 紛れもなく昨日出会った少女が、膝を抱えてちょこんと座ってやがった。
「お、まえ…っ!? 何でいるんだよ!」
 驚くおれの前で立ち上がったこいつはトコトコと近づいてきて、おれが着てる麻作りの服の裾を掴む。で、昨日、目に焼き付けたのと同じ頬笑みを浮かべるんだ!
「また、お話したかったの」

 ……嬉しかったよ。その笑顔を向けてくれんのが。
 だって、おれは……。誰もいないのを確かめるためじゃなくて、また会えるかもしれねぇと思ってそこに行ったんだから。
 でも、彼女は人間で、おれたちの存在を否定する危険な種族だ。おれたちにとってはもちろん、彼女にとっても、人間の間で恐ろしい噂が立っているだろう暗がりの森にいていいわけがない。
 だからそれを表に出さねぇようにして声を荒げる。
「バカかっ! 帰れ!」
「ちゃんと、ナイショにしてるよ?」
「当たり前だっ! 言ったらやっつけに行くって言っただろ!?」
 ギロリと睨んでやれば悲しそうに俯いた少女が、目だけこっちに向けて来る。
「……言わない。言わないから、来ても…いい?」
「ダメだっ。他のやつに見つかったらどうすんだよ」
「見つからないようにする」
「ダメだ!!」
 シュンとうな垂れる肩を押して街の方へと帰らせる。
 その姿は手を差し伸べてやりたいくれぇ頼りなげで可愛くて。振り返りながら戻って行くその背中に、何度、優しい言葉をかけてやりたくなったか知らねぇ。
 でも、ここで甘い顔すれば、余計大変なことになるだろ。だから心を鬼にして……今度こそもう会うことはねぇ、と思って見送った。

 が、だ。

 次の日も、また次の日もやって来ては座って待ってやがる。その度に追い返しても、翌日には何でもなかった顔して笑ってて……。
 4日も同じこと繰り返されてみろよ。相手の根気強さに思わずため息も出るってもんだ。

 え? じゃあ行かなきゃいいじゃねぇかって?

 …確かに、それが1番手っとり解決法だったのかもしんねぇが。そんとき既に、おれの中で無視できるほど軽い存在じゃなくなっちまっててな。1日1度は様子を見に行かなきゃ、自分の方が落ちつかなかったんだよ。


 あいつが来るようになって5日目。
 いつものように「帰れ!」と言うおれの服の裾を掴んだ少女が言う。
「おうち、ひとりだもん。いっしょにいたいんだもん」
「だからって…何でおれたちんとこだよ! 仲間のとこ行けよっ」
「仲間…?」
「人間の友だちんとこ!」
 首を傾げたあどけない顔に、おれは、そんなこともわかんないのかと鼻息荒く答えた。
 すると…急に水色の瞳に涙が溜まりはじめる。今まで落ち込んだり寂しそうにすることはあっても、そんな反応はなかったもんだから、ドキッとした。
 泣かせちまったかと焦るおれをよそに、グイと服の袖で目元をぬぐった彼女は……

「……友だち、いないもん」

……小さいけどハッキリした声で言ったんだ。

「俺たちが友だちになってやろうか」

 とたん、背後から聞こえた声に振り向けば。
「ミライ!? ラキラ!! ウィチェまでっ!!」
見慣れた仲間が3人…草むらからガサリと顔を出したんだ。

 最初に出てきて立ったのは、髪の毛から服までまっ黒のヴァンパイアのラキラ。2つ年上の彼は裏地が赤いマントの内側で腕組みしながら、感情の読み取れない赤い瞳を少女に向けている。
 その隣のボブヘアの女はウィチェ。紫色の頭の上には先の折れ曲がった黒い三角帽子。生まれつき魔法が使える、人間には魔女や魔法使いて呼ばれる種族だ。面白そうに笑いながら少女とおれを見比べてるのが…なんか怖ぇ。
 2人の後ろに隠れているのは…全身包帯だらけのミイラ男のミライ。小さくなりながらおれを上目遣いで見てきやがる。

 約1名の様子から分かるようにだな。大方、おれがここんところ遊びにも参加しねぇから不思議に思って、何か知らないかと嘘の苦手なミライに詰め寄り、あの日人間に会ったことを聞き出した…ってとこだろうけどよ。
「ルウったらこーんな面白いこと内緒にしてるなんて、後で罰ゲーム決定ね」
「げっ!?」
 クスクスと漏れる不気味な笑い声におれは顔をひきつらせた。
 いや、な? ウィチェの罰ゲームは半端ないんだよっ。
 よく遊びで負けたチームに罰ゲームが与えられるんだけどな。
 こないだ的当てして負けたときは、こいつが作った薬の実験台させられて……2日声が出なくなったし。
 その前にかくれんぼしたときは、練習中だっていう空飛ぶ魔法をかけられて……失敗。何の作用か、地面にうつ伏せの状態のまま立てなくなっちまって、それから3時間、這いずって生活したし。
 とにっかく、ろくでもねぇ。それをわざと楽しんでるようなとこもあるのが、余計タチ悪ぃんだけどな。
「……ご、ごめんー…ルウ」
 ギロリと原因と思われるミライを見れば、力なく謝られて、はぁ…とため息を吐くしかなかった。

「…ホント? ホントに友だちになってくれるの!?」

 いつもよりも少しトーンの上がった声。同時に白い頬がほのかにピンク色に染まってる。
 その色から目が離せなくてジーッと見つめてたら……
「お前さえよければだがな」
ラキラが唇の端をちょっとだけ上げながら言いやがった。

 んなこと言っていいのかよ!

…って言いたい自分がいなかったわけじゃねぇ。
 でも、それより何より。

 おれが言いたかったのに!!

…って気持ちのが強くてよ。
 そう言って実際にラキラに噛みつく前に。

「うん!!」

満面に笑みを浮かべて頷く彼女の笑顔に頬が熱くなっちまったおれは、結局何にも言えなかった。


 少女の名前はスノウ。はじめて会ったあのときで…6歳。人間たちの街外れ、暗がりの森に近いとこに住んでいるらしい。
 家族は両親と弟の3人。だが…どうも、母親とは血が繋がってねぇようだった。
 3歳ごろに産みの母は病気で亡くなり、その後、父親は今の母親と結婚。ほどなくして弟が産まれた。
 血の繋がらない娘よりも実の息子のが可愛いんだろう。母親は弟ばかり可愛がり、娘には何だかんだと辛く当たる。妻に弱い父親も、スノウのことを庇うことができず……。
 家の中でひとりぼっちのスノウは、亡くなった母がよく聞かせてくれた物語の世界に自然とのめり込むようになった。


 あれは、出会いから2年経ったころだったか?
 暗がりの森の中。はじめて会った場所がおれたちがいつも集まる場所だ。
 おれたちもスノウも…それぞれ何かとやることがあるんでな。全てを終えた午後3時ごろか。それくらいにここに来て他愛のない話をする。んで、日が沈む前には別れる。
 それがお決まりのコースになってた。

 この日も、おれたちより先に来てたスノウは、地面に腰を下ろして持って来ていた本を読んでたんだ。
 こうやって持ってくる本は、近くの貸本屋で借りてるらしい。母親に押し付けられて家の仕事をこなすスノウに、父親が唯一してやれるのは小遣いをやることだけのようで。貰った小銭を持って、週に1、2度借りに行くのが彼女の楽しみでもある。
 ペラリとページをめくるのをニコニコと見つめるウィチェが声をかける。
「スノウは本当に本読むのが好きよね〜」
「本読んでる間は幸せな気分になれるから」
 笑顔の奥に滲む寂しさを感じつつ。限定された言葉にムッとしたおれは……
「本読んでる間だけかよ」
…ボソリ、と思わず言っちまった。
 水色の目を何度か瞬いたスノウは、花が綻ぶみたいにふわりと笑う。
「……みんなと会ってるときも幸せだよ」
 おれはもちろん、ラキラもウィチェもミライも。返って来た答えに満足したのか、うんうんと頷きながら笑顔を交わした。
「でもー、人間ってよく色んなお話考えられるよねー」
「想像力たくましいわよね。村にはこんな面白い本ないから羨ましいわ」
 ミライの言葉にウィチェは肩を竦めて同意する。それに呆れたようにため息を吐くのはラキラだ。
「俺たちには“想像の世界”じゃないのだから仕方がないだろう? もの書きに向いた仲間もいないしな」
 こいつの言う通り、おれたちの村に文章を書くのが得意なやつはいない。いや、生きるための実用書とか、誰それの日記とか、後は…魔法の実験書とかか? そういう類のものはたっくさんあんだけどな、物語を書くやつはいないんだ。
 人間が想像したくなるような夢の世界ってのがおれたちにはないからなのかもしんねぇが…。不思議とそういうことに興味をもつやつが産まれたことがなかった。
「あーん! あたしも貸本屋に行ってみたーい!」
 ウィチェはスノウが持ってた本をひょいと取り上げて、駄々をこねるみたいにジタバタしてやがる。
 その気持ちはわからないでもなかった。元から本が好きってわけじゃないから、心からってわけじゃねぇけどな。でも、どうせ勉強兼ねて何かの本を読まされるなら、小難しい話より、どっか夢や希望に彩られた面白い話のがいいだろ?
 んなこと考えてたら…
「わ、わたしが本、書く!!」
…唐突に立ち上がったスノウが大声でそう言った。
「え?」
「それでみんなにいろーんなお話、読ませてあげるっ! だから……だから……」
 恥かしそうに顔を真っ赤にしたスノウは、おれたちを必死な目で見てる。
 今から思えば、それは…そうでもして居場所を作ろうとしてるみてぇで胸が痛むけどな。でも、そのころのおれには、純粋に自分たちのためにそう考えてくれてることがすっげぇ嬉しくて。そうやってずっとずっとおれたちの側にいてくれようとしてることも…もっと嬉しくて。
「うれしいっ!」
「スノウなら出来そうだな」
「うんー」
「楽しみにしててやるよっ」
 おれたちは、それぞれ思い思いに声をかけながらスノウに笑いかけた。


 そっからかな? だんだんスノウの視力が悪くなってったのは。
 ま、仕方ねぇか。暗い中で本読んだり、文字書いたりしてりゃ…自然とそうなるだろ。
 10歳になるころにゃ、眼鏡をかけちまってな。水色の瞳が直に見れないってのは残念だったけど、他のやつらにも見れなくなるってんだったらまぁいっか、なんて。しょうもないとこで自分を納得させてた。

 ……こんときはまだ気づいてなかったけど、おれがスノウに対して好意を持ってるのは明らかだろ。はたから見れば一目瞭然だったわよ、ってウィチェに言われて真っ赤になったのは…随分後のことになるんだけどな。

 はっきり思いに気づいたのは、おれが13歳のとき。スノウが11になったころだった。


 ラキラとケンカした。っつーか、おれが一方的に怒って飛び出しちまった。

 オオカミ男ってのは身体能力が異様に高いんだ。他の種族より格段に力が強く、走るスピードも速い。んで、短気で視界も狭いもんで、小さいころからよく物を壊してた。

 ラキラのじっちゃんに勉強教わってるからな。その流れでラキラの部屋で過ごすことも多かった。
 そんときに、ラキラが集めてる色んな石を何の気なしに触って……割っちまったんだ。
 すぐに謝ろうと思った。けど、あいつは何も言わずにため息を吐くだけで……。
「言いたいことがあんなら言えよっ!!!」
 ムカッときちまったおれは、謝ることも忘れて叫んでた。
「…別にない」
なのにラキラは表情すら変えないで静かに言うだけ。
「ないわけないだろ!? ため息吐いといてっ!!!!」
「ない、と言っている」

「……っ!! あぁ! そうかよっ!!!!」

 悪いのはおれだ。それは自分でもわかってた。
 でも、責めもしない……いつもと変わらないラキラを見たら、何も言ってもらえないくらい呆れられたのかって……逆に悲しくなっちまって。
 ラキラの家を飛び出したおれは、スノウがやってくるあの場所に走っていた。


 おれより少し後にやってきたスノウは、機嫌が悪いのがわかったんだろう。しばらくは、頬笑みを浮かべておれの隣に座ってるだけだった。
 少し気持ちが落ち着いたころ、自分から何があったのか彼女に伝えれば……全てを黙って聞いた後でゆっくり口を開いた。
「ラキラ、きっとルウが反省してるのわかってるんだよ」
「え?」
「反省してるのにそれ以上怒る必要ないって思ったんだよ」
 その声はストンとおれの胸に落ちて来て……視線を地面に落としたおれは小さな声で話す。
「……いっつも、おれがやりたいことに付き合ってくれて。ヘマしたらいつもラキラが助けてくれて……」
「うん」
「おれ、ラキラの大切なもん壊しちまったのに何も言わねぇからさ。とうとう嫌われたんだって」
「大丈夫。嫌われてるならすごく怒られてるよ」
 スッと視線を上げた先に、ガラスの向こう側に見える水色の瞳。細められたそれは本当に優しくて……。
「落ちついて、謝って…ルウの気持ち、ラキラに伝えてみたら?」
「……あぁ」
おれは、素直に頷いていた。


 短気なせいですぐにカッとなって自分を見失いがちなおれ。それをウィチェやミライ……ラキラにも、口うるさく諭されようもんなら逆に反発しちまうのに。

 スノウは違う。

 この柔らかくて優しい瞳と声は、自分を冷静にさせてくれる。それでいて、おれの胸の奥も熱くもさせて……。

 他の誰にも感じたことのないこの気持ち。

 これが恋なんだ。

 はじめて自覚した瞬間だった。

***

 スノウと出会ってから10年。おれがこの恋心に気づいてから……5年が経った。
 自覚したからっておれたちの関係が変わることはねぇ。

 ……いや、変えちゃいけねぇんだ。

 元から住む世界が違うってのは理解してた。人間とおれたちは一緒にいることなんかできねぇ……って、散々言い聞かせられてきたことだしな。
 だから、この気持ちは自分だけのもんにしようと思って閉じ込めた。毎日少しの時間語り合えるだけで…それだけで十分だと思ってきた。

 けど、元から交わっちゃいけない存在だったおれたちは、偶然出会って…こうやって“友だち”やっちまってる。
 スノウの願いだからってのもあるけどよ。おれたちだってそれまで知ることがなかった人間と関われるってのは面白かったからな。
 好奇心に勝てない子どもの考えることだ。仕方がないっちゃ仕方がないんだが……何でさっさと関係を切っておかなかったのかって、昔の自分に言いたくなるような出来事が起っちまったんだ。


 おれたちは、気づいてなかったんだ。交わるはずじゃなかった者同士が一緒にいることが……どれだけ危険なことか。


「最近、スノウ来るの遅いわね」
 いつもの場所で半円を描いて座っていたら、帽子の形を整えながらウィチェがそう言った。
 そう言えばそうだ。昔っから大体、おれたちが来るより前にここにいて読書して待ってたってのに、1、2週間前から遅れて来る日が増えていた。
「忙しいんじゃねぇの?」
 まぁ、家事のほとんどを娘に押し付けるような母親だ。きっと色々やることがあって忙しいんだろう、と思ってそう言えば、
「それだけならいいが…」
ラキラの低い声に、おれの心はわけもなく不安を感じた。


 それから30分もしないうちに走ってやって来たスノウは汗だくだった。
 髪も服も乱れていて、普段と違うその様子におれたちは驚いた。
 一体何があったのかと問い詰めても、何でもないと首を振るだけ。それでも心配で心配でたまんなくって「言え」と強引に詰め寄ったら、困った顔をしたスノウがようやく口を開いた。


 16歳になったこいつは、誰が見ても美人で綺麗な女になっていた。
 小さいころから家に閉じこもりがちで、外にいてもおれたちとばっか遊んでたせいで、人間とは関わってこなかったってのもあるんだろう。眼鏡をかけた本好きで、空想好きな彼女は……変人だと思われて蔑まれていたはずだったのに。

 銀色に光輝く長い髪に、透けたように白い肌。レンズの向こう側で光る水色の優しい瞳。

 ようやくスノウの魅力に気づいた年頃の男どもに言い寄られるようになっちまったらしい。


「おれが迎えに行くか?」
 そうすりゃあ、スノウが危ない目にあうこともねぇし、ここにも早く来れる。
一石二鳥じゃねぇかと口にした言葉に、スノウが目を見開いた。
「何言ってんのよ、ルウ! そんなことしたらあたしたちのことばれちゃうでしょ!」
「スノウにも迷惑がかかるだろうが」
「あ、あぁ、そうか……」
 呆れたため息と共に飛んできた言葉におれは頭をかいた。

 2人の言う通りだ。見知らぬ男が街に行けば、目立たないわけがねぇし。それがスノウを迎えに来たってことになりゃ、人間たちはスノウにおれのこと聞くよな。
 こいつがおれたちのことをバラすわけねぇって知ってるけど、下手すりゃ森で会ってることが知れ渡って……村のことがわかっちまうかも知んねえ。

 いくらスノウが心配でも、それはやっちゃいけねぇこと。

 何もできねぇ自分が歯がゆくて肩を落としたら、スノウは柔らかく笑って見上げてくる。
「ありがとう。大丈夫よ」
「無理しちゃだめだよー?」
「えぇ」
 ミライの言葉に頷く横顔に、おれはしばらく見とれていた。


 ……ヤバいかもしれないって考えたのに。そこまで考えてたのに、なんでおしまいにしなかったんだろうな。

 会うことだけはやめたくなかった。

おれたちの選択肢の中に、それは存在しなかった。


 おかげで、数日後。スノウがいつもどこに行っているのか気になった人間どもが、こっそりついて来てるのに気づかず。おれたちはいつものようにあの場所で会い、彼女が“化け物”と通じてることが街のやつらに知れ渡っちまった。


 大勢の人間どもが暗がりの森に押し寄せてきたのは、満月の日の昼間だった。
 3時を過ぎてもスノウは姿を見せず。その代わりとでも言うように、鍬や鋤、斧に鎌、松明を掲げた人間たちがそこに近づいてきてた。

「みんなっ…逃げて―――っ!!!」

「!!!」
 響いた声のおかげでそのことに気づいたおれたちは、一瞬にして立ち上がってその場を逃れる。

 ……けどな。目に飛び込んできたスノウの姿に……おれは動けなくなっちまった。

 後ろ手に捕えられた姿で。
 白い頬を思いっきり叩かれて。

 パリンと眼鏡の割れる音と…ぐたり、とする身体に目の前が真っ赤になった。

「ルウ! やめろっ!」

 背後でラキラの声が聞こえた気がしたけど、そんなんじゃもう止まんねぇ。

「スノウを傷つけんなっ!!!」

 見えてなくても影響があんのかな。満月をその目に映したときみてぇに、目の色が金色に代わって。宙返りもせずにオオカミの姿に変わったおれは、爪と牙を使って人の波をかき分けながら一直線でスノウの元へ向かった。

「傷つけたくなければ大人しくしろ! この化け物!!」
「……!!!」

 が、あともうちょっとってとこでスノウの首にナイフを突きつけられて……急に冷静になったおれは人間の姿に戻って地面に膝をついた。
「……頼む……おれが代わりになる。だから、スノウは…スノウは自由にしてやってくれ。そんな女の細腕でどうにかなるようなあんたたちじゃねぇだろ?」
「化け物の言うことなんか聞けるか! お前もこいつも人質だっ!」
 懇願するも、目を吊り上げた男に襟首掴まれて地面に押さえつけられちまった。

 あぁ……おれは、好きな女ひとりも守れないんだ。

 化け物と呼ばれるような力を持っていても、何もできない。そんな自分がすっげぇ情けなくて、血の味がするくらい唇を噛みしめた。 

「ルウ――――!!」

 すぐそばから聞こえたミライの声にハッとした。直感だったけど、3人がおれのことを助けようとしてるってことがなんとなく伝わってきた。
 けどな。こうなったのは、おれが悪ぃんだ。10年前、スノウを追い返せなかったおれがいけなかったんだ。

 お前らは関係ないっ!!

「おれのことは気にすんな! 早く、逃げろ!!!」
「お前っ!? 静かにしろっ!」
「ルウ!!」
 ガツッと音が鳴るほど顔を蹴られても。それにスノウが泣きだそうとも。

 村のみんなは巻き込んじゃいけねぇ。

 その思いがおれに声を上げさせる。


「…っ…は、やく……逃げろぉ―――――――っ!!」


 自然と遠吠えに変わっていたおれの声は、森の奥深く。静かな生活を送っていたみんなの元へ……届いていた。

***

 闇に包まれはじめた暗がりの森に、パチパチと松明が燃える音が耳に届く。
猟銃やナイフ、畑に使う工具だけじゃねぇ。包丁や鍋など、調理用具まで持ち出した人間たちが見つめる先は……赤い満月が不気味に照らすおれたちの村。
 月の力でオオカミの姿に変わったおれの金色の目に映っているのは。静かにこっちを睨みつけてる、逃げてくれと願った人たちだった。
「なんで、いるんだよ……」
 茫然としたおれの呟きに、屋根の上で血色の瞳を光らせ仁王立ちしている人物が口を開いた。

「馬鹿者が。仲間の危機に立ち向かわぬ我らではないわ」

 村の長老 ―― ラキラのじっちゃんの言葉は…もちろん嬉しかったけどな。おれのために村のみんなを危ない目にあわせようとしていることが辛くって、勝手に涙が滲んできた。

「…っ、おれはいいから…逃げろよっ!」

 掠れた声で口を開けば、おれの手足を別々に縛り上げたロープを持つ男が目を怒らせる。
「黙れ化け物っ!」
「ぐぁっ!」
 縛られてるせいで無防備になっている腹を蹴られて身体を捩る。それに勢いづいたのか、さっきまで黙ったまんまだった人間たちが口々に声を上げる。
「ここで根絶やしにしとかなきゃ、こっちが殺られるんだ!」
「化け物は退治されろ!!」
「消えろー!!!」
「人間じゃないやつは殺せ!!!」
 聞こえて来るのは耳を塞ぎたくなる言葉ばっかで、やっぱりおれたちは人間には受け入れられねぇ存在なんだと、咳き込みながら思った。そんなおれの首元を掴みあげた男は、
「だから余計なこと言うんじゃない!」
「う、ぐ…ぅっ!!」
と、今度は拳をおれの腹に向かって振るって来やがった。

「やめよ!! その子を離さぬか!!」

 ギラリと闇夜に瞳を光らせたじっちゃんが、ひらりと空中に飛び上がり蝙蝠の姿に変身した。

 ヴァンパイアは、人型をしてればただ血を食料とするだけの比較的おとなしい種族。ま、血を吸うのと一緒に相手の記憶もちょっぴり食っちまえるって特殊能力はついてくるけどな。
 けど、蝙蝠の姿になったら……別。姿形は小さくなって弱くなったように見えても、スピードも攻撃能力も格段に上がる。その上、人間のときとは別人のように残忍な性格に変わっちまうんだ。

 いつかは共存の道を歩みてぇ。そう思って静かに暮らしてたはずなのに。
 ここで人間と争っちまったら、じっちゃんたちの努力が水の泡になんだろっ!!?

「だ…だめだっ! じっちゃ…んっ!! おれはいいから早く……がはっ!!」
「ルウっ!!!!」

 だまれ、と言わんばかりに側に立っていた別の男に蹴り飛ばされた。強い衝撃におれの身体は宙に浮き、2度、3度と地面に打ち付けられた。
 おれを呼ぶ声は怒りに染まってて、あぁ、もう止められないとこまできちまった、と霞む頭で考えた。

 せっかく、仲良くなれたのに。これで……人間 ―― スノウともお別れなんだ。

 ずっと耐えていた涙がホロリと目から零れ落ちた。


「もうやめてぇ――――――っ!!!!」


 響き渡る声と共に、ふわりとした温かいものに包まれた。

 視界は……銀、一色。サラサラと零れ落ちるその向こうに、透明な涙を流すライトブルーの瞳が見えた。

 しん、と静まり返った周囲に聞き慣れた声が響く。
「彼らのどこがわたしたちと違うの…? ただ、ちょっと力が強かったり、足が速かったり、見た目が違ったり、不思議な力が使えたりするだけよ。別に悪いことなんかこれっぽっちもしてない」
言いながら彼女の視線が捕えるのは、おれだけじゃない。ミライ、ラキラ、ウィチェ ―― 3人を真っ直ぐに見つめてる。
「わたしが彼らと出会ってもう10年になるけど、1度だってわたしのこと、傷つけたことなんてなかった」
 思い出すように笑みを作った唇は次の瞬間グッと噛みしめられ、赤いそれに傷がつく。
「なのに、よく知りもしないでこの人のこと痛めつけて……わたしたち人間の方が化け物みたいだわ!!」
「何を言う!」
「化け物を庇うなんて…」
「お前も化け物だろ!」
 ギュッと身体全体でおれを抱きしめながらざわつく人間たちの言葉を聞いていたスノウは、そこですっと顔を上げた。

「彼らの方が優しくて人間らしいと思うわたしは……人間じゃないのかもね」

 浮かんだ表情は…少し寂しそうで。けれども柔らかく微笑むその顔は、おれの大好きな彼女のもので。

「化け物と呼ばれるこの人のことを愛しく思うわたしは……人間じゃないのかもね」


「スノウ……っ!!!!」


 気がついたらおれは縛られていたロープを引き千切り、自由になった身体で彼女を抱きしめていた。
「スノウ…スノウ……スノウ!!」
「ルウ!」
「おれも好きだ! お前が好きだ…っ!!」
「ルウ……」
 おれが簡単に拘束から逃れたからなのか。それとも、スノウの発言に驚いてるからなのか。呆然と立ち尽くした人間たちと、少しの落ち着きを取り戻した仲間の丁度真ん中くらいで、おれたちは互いの身体を抱き続けてた。
 細くて白い手指に毛並みを撫でられるのがすんげぇ心地よくってな。同じように返してやりたくても、今の姿じゃ爪が当たって痛いだけ。
 だから、人型のときとほぼ同じように動かすことのできる舌でペロペロと涙で濡れた頬を何度も拭ってやった。
「そこな娘は…我らのことをよく理解してくれておるようじゃな」
「俺たちの友だからな」
「10年来の親友よね〜」
「うんー」
「……そのような人間もおるとは、嬉しいことじゃのう」
 そうやって自分の孫たちと話す声は、すっかりいつもの小うるさいじっちゃんに戻ってた。
 けど、人間たちが正気を取り戻して動き出す前に…なのか、バサリと裏地が赤い黒マントを宙に棚引かせたじっちゃんは、また全身から長老の威厳を放つと徐に口を開いた。

「よく聞け、人間ども」

 静まりかえってた人間たちから少しざわめきが聞こえたけど、彼らを支配してた怖いくらいの殺気はどこかに消え、視線は自然とじっちゃんに集まる。
「我らにとってそなたらなど、持って生まれた力を用いれば一捻りにできる存在じゃ。それでもそれをしなかったのは、ただ、同じ世に生きる者として共存したかったから…」
 暗いからはっきりとは見えなかったけどな。そう語るじっちゃんの顔はどこか寂しそうに思えた。


 この森に越してきた最初の村人たちは、別の場所から移動してきたんだ。そのときも人間に拒まれ、そこで暮らして行けなくなった…って言い伝えられてる。
 ご先祖様もおれたちも、願ったことはただ、ひとつ。

 共に、この世で生きること。

 だから、争いを避けるように隠れ住んできた。いつか…仲良く暮らせるようになると信じて。


「それを拒んだのは力無き人間ども…そなたらの方じゃ。己と違う者を認めようとせぬ、己が1番でなくては気にくわぬそなたらの」
 ひとつため息を吐いたじっちゃんの声に、苦々しい色が混じる。
「この森で暮らすようになって100年は経とうとしておろうか。いつまで経っても、我らは邪魔なだけのようじゃな…」
 そして、赤い瞳が仲間たちに向けられて…。じっちゃんが何をしようとしてんのかわかったおれたちは、静かに立ち上がる。
 おれは昔みてぇに背に乗るようにスノウに示す。
 一瞬、人間たちの方を向いて迷うようなしぐさ見せたけど…すぐに彼女はおれに跨るとギュッと首にしがみついた。
 まるでそれが合図とでも言うように、じっちゃんはスッと目を閉じて。

「ならば消えよう。我らを認めてくれたこの娘を連れて……」

 パチン、と指を鳴らした。とたんにふわりと現れた黒い霧 ―― ウィチェたちの魔法 ―― がおれたちを覆う。


『また静かに暮らすことのできる、新たな地を探そうぞ』


 不思議な響きを伴うじっちゃんの声。
 その言葉通り、おれたちは暮らし慣れた村を離れた。

 背中から伝わってくるスノウの体温が、心を凪ぎ。生まれてから18年間暮らしたとこから出てくことは…そんなに辛く感じなかった。


 だって、おれにはかけがえのない仲間たちと。

 愛する人がいてくれるんだから。


***


「ん―――っ!!」
 潮の薫りのする風の中、おれは両手を上げて伸びをした。

 なんか…懐かしい夢、見てたな。

 水平線の向こうに沈みはじめた夕日に目を細めていれば。
「パパぁー!! ママがごはんだってぇー!!」
「だって〜」
 背後から可愛らしい声が届いた。振り向いた先には、木造の小さな家の前に立つ金髪の少女と銀髪の少年が。
「おーう! 今行くっ」
 おれは右手を挙げて答えながら、腰を下ろしていた草原から立ち上がった。


 住み慣れた地を旅立って…早いもんで、もう10年が経とうとしてる。
 あれからおれたちは、南の暖かい地に移り住んだ。前より人の住む地からは距離があるが、森と切り立った崖に囲われる場所に新しい村が作られている。
 さらって来ちまった愛する人との間には、6歳と3歳になる2人の子どももできて、おれは、ただただ幸せな毎日を送っている。


 あの日出会っちまったおれだけの“スノーホワイト”は、人間ってことを忘れちまうくらいおれたちの村に馴染んだ。
 んで、昔言ってたみてぇに今まで読んだ話を本にしたり、新しく自分で考えた話を物語にしたり……。相変わらず本にまみれた生活してやがる。

 今でも…連れてきちまってよかったのかって思うこともある。あのまま人間の中で生きていた方がよかったんじゃないかってな。
 でも、何よりおれが彼女と離れたくなかったし。あの背中に感じた体温はおれたちを拒んでいなかった。

 …だから、大丈夫だ。

 そう、言い聞かせてきた。


 先に眠ってしまった息子のシルバーブロンドを撫でていれば、ベッドに入った娘が枕元に座る彼女の方を向く。
「ママ、きょうのお話はなぁに?」
「今日は“もうひとつの白雪姫”のお話よ」

「むかーしむかし、あるところに、白雪と言う名の人間の女の子がいました」

 子どものころ、彼女が読み聞かせてくれた「白雪姫」のフレーズが思い出され思わず顔を向ける。しかし、語り出したそれは覚えていたものとは少し違ってて……娘の邪魔をしないよう口を閉じたまま、おれは僅かに首を傾げた。



 むかーしむかし、あるところに、白雪と言う名の人間の女の子がいました。
 その名の通り、雪のように白い肌の持ち主でしたが、ただ家に閉じこもって本を読むことが大好きなだけの、ごくごく普通の女の子でした。
 幼い頃に母親を亡くし、父と新しくやってきた母、半分だけ血の繋がった弟と貧乏な暮らしをしていた白雪は、継母の言われるままに家の仕事をこなし、少しでも暇があれば大好きな本を読んで過ごしていました。
 そのうちに、おとぎ話の世界が大好になった白雪は、ある日、ひとりになりたくて出かけた森の中で迷子になってしまいました。
 ひとりになりたかったのですから、これでめでたしめでたしじゃないかって? そんなことはありません。
 実はその森は、化け物がいると噂のある場所だったのです。一歩一歩進むたびに暗さは増し、鳥や虫の声が不気味に響く様子に……まだ6つになったばかりの白雪は、段々と怖くなり、ついには泣き出してしまいました。
 そんな白雪の前に、ひとりの王子さまが現れたのです。金色の髪がとても美しい彼は、クルリと宙返りすると一瞬にしてオオカミの姿に変身しました。そして、優しくその背に白雪を乗せると、家まで送ってくれたのです。

 その暖かい背中が忘れられなかった白雪は、また王子さまに会いたくて、怖いと思った森へそれから毎日通うようになりました。
 危ないから、と最初は白雪を家に返そうとしていた王子さまでしたが、家に帰ってもひとりぼっちの白雪を心配した彼は、友だちを紹介してくれます。
 赤い瞳のヴァンパイアに、黒い帽子がトレードマークの魔女。全身包帯で覆われた優しいミイラ男に、イタズラ好きのゴースト、占い好きの人魚などなど。
 姿かたちも同じではないけれど、新しく出来た友だちはみんなとても優しくて。
 何より、王子さまと一緒にいられることが楽しくて。成長して大人になっても、白雪は森に通うことをやめることができませんでした。

 そうして暮らすうちにすっかり人間であることを忘れてしまった白雪は、大好きなオオカミに変身できる王子さまと結婚して、彼のたったひとりのお姫さまになりました。
 そして、仲間たちと一緒に幸せに幸せに暮らしたそうです。
 めでたし、めでたし。



「……ほんとに、幸せか?」
 最後まで話を聞かないうちに、眠りの国に旅立った娘を優しい瞳で見つめていた彼女に、おれは問いかけた。

 だって、さっきの物語は……紛れもなく、おれたちのものだろ?

 彼女は本当にそう思っているのか、確かめたくなったんだ。
 自信のないおれの弱々しい視線にクスリと笑った彼女は小首を傾げる。
「幸せじゃないように見えます?」
 おれは、緩く首を振った。

 だって、そうは見えないからな。

 自慢じゃないけど、ここへ来てから彼女が泣いているところなんか見たことがねぇ…と思う。
 けれども、家族から……同じ人間という仲間たちから引き離してしまった事実はいつもおれの心のどっかにあって、不安を煽ってた。だからこそ今まで聞けずにいて、自分で自分に大丈夫だと言い聞かせて誤魔化してきた。
 彼女のさっきの言葉は「幸せだ」って言ってるようなもんだったけどよ、自分の目に映るそれが真実なのかは自信がなかった。
 すると、おれの弱い否定に呆れたため息を吐いた彼女は、娘の枕元を立つと息子のベッドに座っていたおれに近づいてくる。
 そして……

「わたしは昔から、あなたのそばにいられることが1番の幸せなの」

おれの大好きな笑顔を向けてそう言った。

「あなたは? 王子さま」

 首を傾げたせいで、サラリと広がる銀の髪。細められたライトブルーの瞳に見つめられ、自分が年甲斐もなく真っ赤になっちまったのがわかる。 


「……おれも、だよ。おれも、幸せだ!」


 身体中から溢れ出す気持ちが抑えられず、勢いよく立ちあがったおれは、ひょいと細い身体を横抱きにした。



「愛してるよ。おれだけの“スノーホワイト”」



 抱え上げた愛しい愛しいお姫さま。その赤く色づいた唇に、おれはそっとキスをした。

- end -

2013-11-23

「ポケクリ」にて、ファンタジーやホラーが見たいとのリクエストがあり、書いたお話です。

といっても、ホラーはむずかしかったので、過去に書いていたお話を元に、別の話を作ってみました。

元ネタになった話は、続きにある2つをどうぞ。


屑深星夜 2011.6.9完成