「……助け…て……」
ヒューヒューと音のする喉から絞り出した声と共に、白いベッドの上に起き上がったおれの上半身は、満足そうな笑みを浮かべる金髪男に縋りついていた。
「約束だ」
言いながらおれの肩を掴んで身体を離したそいつは、右手でグイと顎を掴みあげると顔を近づけてくる。
「俺からの祝福をくれてやる」
「ん…っ」
避ける力もなくなっていたおれは、自身にとってファーストキスとなる“天使”からのそれを、何の抵抗もなしに受け入れてしまっていた。
おれの名前は不破 幸平〔フワ コウヘイ〕。父親と母親の血をしっかりと受け継いで黒髪黒目に生まれた生粋の日本人だ。
どこにでもいるような平凡な容姿に、平凡な頭脳。体力は…平均よりは劣るかもしれないけど、どっからどうみてもフツーの男子高校生だ。
ただ1つ。人より不幸なことを除いては…ね。
おれの1日は数え切れないくらいの不幸に彩られてる。
毎朝目覚ましが止まっているのはもう日常。最近は、目覚まし時計なんかいらないんじゃないかと思うくらいだ。
起きたら起きたで、父親にトイレを占領されてて困ることが2日に1回。ドジな母親のおかげで、朝食を頭から食べることになるのも…3日に1回くらいはある。
登校中は、人にぶつかられないことがない。小さいころはどうにかして避けてやろうって頑張ったもんだけど、小学2年の夏に諦めたくらいだ。
電車に乗ろうとすれば寸前で発車するし、停止信号で止まらなかった試しはない。だから家から比較的近い高校を選んで自転車通学してるんだけど、月に1回はパンクするだろ? その上、前カゴにゴミが入れられてるのがデフォルトになっててさ……毎回片づけるこっちの身にもなって欲しいよ。
学校に行ったら行ったで、滑る、転ぶ、落とす、の三重苦。更に頭上に物は降ってくるし…ここぞというときに先生に指名されるし……。
あぁ、もう!! 言い出したらキリがない!
ついたあだ名は『不幸の幸ちゃん』。もう…もの心ついて以来これだから、いいかげん諦めもついたよ。
なんにせよ、命に関わるような不幸がないだけ、まだマシか。
「幸平…大丈夫? 顔色悪いよ?」
昼休み。弁当を食べ終えた後、机に顎を乗せてボーっと遠くを見つめていたら、心配そうな顔がおれを覗き込んできた。
フワフワ天然パーマの茶色の髪に、小動物のような黒い瞳。華奢な身体に整った顔立ちの持ち主のこの男は、高校でできたおれの数少ない友人、日野 円〔ヒノ マドカ〕だ。髪の毛と同じくらいほんわりした性格なもんだから、本人、男女共に人気が高いことを知らなかったりする。
「円〔マド〕ちゃん、大丈夫よ! 幸平の顔はいつもこんな色だから」
「んだと藍美〔アイミ〕……」
おれは、ポンポンとおれの頭を叩いてニヤついている幼馴染 ―― 安原 藍美〔ヤスハラ アイミ〕をジロリと睨みつけた。
「何よ、そうでしょ? いつも幽霊かってくらい青白いじゃない」
悪かったな! 運動は苦手なインドア派なんだよ!!
「…うっ…ケホッ、ケホッ…」
言い返そうとしたけど急に何かが詰まったようになってしまって、声の代わりに乾いた咳が飛び出した。
「ホント、大丈夫?」
なかなか止まらないそれを心配して背中を撫でてくれる円に、おれは笑顔を作ってみせる。
「…だ、大丈夫大丈夫…ちょっとむせただけ……」
「あんたがつっかかってこないなんて…ホントに調子悪いんじゃない? その咳も変だし……早めに病院行ったら?」
「うん、その方がいいよ。どんな病気でも早期発見早期治療だよ」
「…ん、そうしてみる……」
呆れたようなため息と共に告げる藍美と頷く円に見つめられ、おれは了解の言葉と共に普段より重く感じる手を上げた。
「ケホッ…ケホッ……」
咳が止まらない。身体もだるくて…降りた自転車押して歩くのもキツイくらいだ。
あまりの辛さに、おれは途中にあった公園のベンチに座って地面を見ていた。
春真っ盛りの今。桜で一杯のこの公園は、うすピンク色した花びらで空も地面も染まる。
小さいころは藍美と一緒にこの公園を駆け回ったけど…そういえば、いつの間にか足が遠のいて。久しぶりに訪れたのにも関わらず、今のおれには美しい桜を楽しむ余裕すらなかった。
と、いきなり真っ白い革靴を履いた足がふわりと視界に現れた。
足音もない、声もない。本当にいきなり現れたそれに驚いて顔を上げると、靴と同じ白いスーツに身を包んだ金髪の男が立ってたんだ。
サラッサラの金髪は耳にかかるかかからないかぐらいの長さで。その整った容姿にこの服装は…これから出勤するホストかと思えるほどだ。座ってるから確かなことは言えないけど、きっと平均(よりちょっと小さめの)おれより、頭1つ以上でかい。
「お前…そのままだと死ぬぞ? 悪い病に侵されてやがる」
薄笑いを浮かべたそいつの言葉は、見た目に反してとても流暢な日本語だった。まぁ、おれは…それよりもいきなり言われたことの方が気になったんだけどね。
「…あんた頭おかしい?」
「いや? いたって普通だぜ」
目を座らせるおれに、相手は面白そうに肩を竦めるだけ。
普通じゃないやつほど普通って言うんだよな、とため息を吐きつつ。頭いかれてもないやつがこう言うこと言うってことで……思い当たるのはあと1つだけ。
「じゃあ、悪い商売でもしてんの?」
素直にそれを口にしたおれを変わらず見つめていた男は、
「俺は本当のことを言ったまで」
と、ゆっくりと首を左右に振って見せた。
正面から向けられる真っ直ぐな視線に、調子の悪さだけではない震えが走った。
金髪に似合わない、どこか青みがかった黒い瞳に……自分が映っている。その光景に、何か得体の知れないモノが胸の奥で目を覚ましたような気がした。
「……お前、何だよ」
「俺はテント。お前を助けに来た」
おれの問いにニヤリと笑って答えたその姿はとても信用できるものじゃなかった。
だって白スーツに金髪の、見たこともない(見た目)外国人がだ。おれが病気だと言ったと思えば、今度は助けに来た…だって?
どんなに小さい子どもだって今どきそんな怪しいやつの言うことなんか信じないぞ?
…でも。“テント”という名前がなんでか懐かしく思えて。
疑っていいのか、信用していいのか…決めきれないおれは、ただじっと見つめていることしかできなかった。
それをただただ静かに受け入れていた男は、フッと鼻で笑うと近づいておれの左頬に手を伸ばす。
「信じられねぇなら病院行って確かめてくりゃいい。それで、俺の助けが必要だと思ったなら俺の名を呼べ」
「だっ…誰が!! ゲホッゲホッ!!」
ひやりと冷たい感触にハッとしたおれは、慌ててその手を払い落した。そのとき叫んだのがいけなかったのかもしれない。酷い咳が出て、その衝撃に耐えるために身体を丸めるしかなかった。
くっそ…どうしちゃったんだよ、おれ。昨日までこんなんじゃなかったのに……。
ろくに息もできずにむせていたおれの頭に、ポンと何かが乗せられた。
ひんやりとして気持ちがいい。
一瞬だけだった。けれど、その感覚を意識したら、不思議なことに咳が止まってたんだ。
「お前は呼ぶさ。絶対にな。じゃあな、幸〔コウ〕」
冷たさの消えた頭上から聞こえてきた声に顔を上げると、もう、そこにテントの姿はなかった。
驚いたことに、あいつが言ったことは本当だった。
病院で詳しく検査してもらった結果…おれの身体は癌に侵されていることがわかったんだ。医者が、今までなんの前兆もなく生活して来れたのがおかしいほどだって言うんだから、相当悪いらしい。
もちろん、即入院。数日前までいたって元気だったおれがこんなことになってるんだ。両親はまだこの現実についてこれないほど驚いている。
おれだってそうだ。
不幸体質には慣れてるよ。生まれてこのかた、いいことがあった記憶がないほど、不幸な出来事に見舞われてきた。
でも、父と母に見守られながら。幼馴染と色々言い合いながら。やっとできた友だちとも笑い合いながら。ここまで生きて来たのに。
それなのに……今度は死?
この世に神様ってやつがいるなら、そいつはどれだけおれを不幸にしたら満足するんだ!?
おれは、まだ、18にもなってないんだぞ。人生60…としても、3分の2も生きてない。まだ、生きてないんだ!
少しくらい不幸だって、構いやしないよ。ずっとこのまま不幸の幸ちゃんでいたっていい。
でも……おれを、殺さないでくれ!!!!
……生きたい……。おれは、生きたいんだっ!!!!!
白い白い…気が狂いそうなほど白い病院の一室。与えられた個室のベッドのに身体を起こしたおれは、荒い息の隙間から小さな声を滑り出した。
「……テント……」
「呼んだな…?」
ふわりと幻のように現れた白いスーツのこいつに顔を向ける。
「本当に……本当に、おれを……助けてくれる、の、か?」
「あぁ。俺はそのためにここにいる」
ニコリ。今までになく優しい笑みを浮かべた彼の背から、バサリと音をたてて現れる黒いもの。
「俺はお前の“守護天使”だから…な」
その言葉通り。色はおれの髪と同じ真っ黒だったけど、よく絵画に描かれている天使の羽根そっくりなものが、おれの視界いっぱいに広がっていた。
黒は不吉だ…ってよく言うけど、何故かそれがとても美しいものに思えて、おれは何も言えなかった。
そんな風に、苦しいのも忘れて見とれていたおれの意識を引きもどしたのは、さっきとは打って変わって悪い笑みを浮かべたテントの言葉だ。
「……ただし、タダってわけじゃない」
「て、天使なのに…見返り、求めるのかよ……」
おれのイメージの中の天使は、純粋無垢でとても綺麗なもの。困っている人を見かけたら無償で手を差し伸べてくれるような…聖母のような感じだったんだけど、こいつのおかげで一瞬にしてガラガラと音を立てて崩れてしまった。
ちょっとショックを受けていると、テントは得意そうに言うんだ。
「俺は特別な天使なもんでね?」
あーあー…そうだよな。さっきは綺麗とか思ったけど、羽根の色が黒い時点で普通の天使じゃないよな。
それに、命を助けてもらおうっていうのに、なんの見返りもないってのは…明らかに考えられない。テントと同じようなやつがたくさんいるかはわからないけど、もしいたとしたら。無償で人助けしてたら、この世から死人がいなくなってしまうかも、だろ?
「…何だよ、それ……」
はぁ、とため息を吐きながらベッド脇に立つテントを見上げると、あの冷たい右手が頬に触れた。
「お前だよ」
言葉だろうか。それとも、声だろうか。
ひんやりとしたその温度だろうか。それとも、寄せられた視線にだろうか。
「お前が俺のものになるって“約束”するなら、俺がお前を助けてやる」
妖しく笑うその顔を見たとたん、ゾクリと背筋が震えた。
……身体の奥が、熱く、なった。
「…うっ……ゲホッゲホッ!!!」
身体全体に響くほど酷い咳で我に返った。
おれがこいつのものになる…と約束すれば、この苦しみから救われるんだ。でも、心を支配する抵抗感に頷くことができず、おれは胸を押さえながら顔をしかめた。
……いっそ、何も知らないような子どもだったらよかったかもしれない。
きっと、抵抗を感じることなく自分のために受け入れていたんだろう。
けど、高校3年にもなればどんなに経験のないお子様でも、色々なものから知識だけは得ているわけで。すぐに頷くことなんかできなかった。
だって、冗談じゃないだろ? なんでおれが男の……それも守護天使だっていう人間でもないやつのものにならなきゃいけないんだよ?
こいつもこいつだ。何で俺なんか欲しがるんだ?
おれは普通に女の子が好きな男だぞ? 不幸体質のおかげもあって今までそういう縁はなかったけど…紛れもなく、女の子が好きだ。夜のお供にベッドの下にエロ本隠してるくらい、本当に女の子が好きなんだ!!
なんで…なんで……?
「…ゲホッ…ゲホゲホッ!!!」
けど、自分の命は残りわずかだという恐怖感と止まらない咳の苦しさが、今はそんなことにこだわってる場合じゃないとその思考をどこかに吹き飛ばした。
「…っ……わ、かった……お前のものになる……だから……」
言いながら、すぐ横に立つ白いスーツに縋りつく。
「……助け…て……」
ヒューヒューと音のする喉から絞り出した声に、満足そうな笑みを浮かべたテントは、
「“約束”だ」
そう言いながら肩を掴んで少し身体を離すと、グイと右手でおれの顎を掴み上げた。
「俺からの祝福をくれてやる」
「ん…っ」
近づいてきた顔を避けることもできず。おれは、こいつのキスを何の抵抗もなしに受け入れた。
「お前は俺が守ってやる」
「…ぅむぅ…っ」
触れるだけのそれを終え、息がかかるほど近い位置でそう告げた唇は、再びおれの口をふさぐ。
手と同じで少し冷たいそれは、嫌悪感など全く感じさせなくて。
差し入れられた舌に思うまま口腔内を舐められても。どうしていいかわからず戸惑っている舌を吸われても。気持ちがいい、としか思えなかった。
「お前は……俺のものだ、幸」
病気のせいでなく、くたりと体重を預けたおれの耳元で“天使”がクスリと微笑んだ。
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2013-11-23
「ポケクリ」に初めてUPしたオリジナルBL小説です。
創作BLは読むだけ…と思っていたはずなのに、この話をふっと思いついてしまったがために、足を突っ込むことになりました。
いきなりのR-18はハードル高かったですが…頑張って、みました…よ…。
屑深星夜 2011.4.22完成