ルストリアのある朝

ルストリアのある朝


 神の御座す国、アルディーノ。
 とはいえ、その姿を確認した者ものはどこにもいない。にも拘らず、アルディーノで暮らす獣人たちにその存在が信じられているのには訳がある。
 何故なら、国土を治める7人の領主が、神によって選ばれているからだ。
 領主になるになる者には、ある日突然、身体のどこかに文様が浮かび上がる。色によってどの領を治める者かわかるそれは、領主と、領主と契約を交わした補佐官しか持ち得ない力 ―― 『魔力』を与えてくれると同時に、領主としてすぐにでも民を治めることができるように過去の領主の記憶や知識を引き継がせる。そして……それらの者を不老とするのだ。
 そんな奇跡を起こせる神の存在をより人々に認めさせるのは、不正を働いたり、領民を苦しませるような政を行ったりした領主は、与えられた全てを取り上げられると同時に命を失い、間を置くことなくすぐに新しい領主が誕生する現実があるからである。



 アルディーノ七領が1つ、ルストリアの領主の館には、朝から多くの人々が忙しく働いている。
 アラクランもその1人。上司である領主アスモデウスの執務室にある己の席で、今日決裁予定の書類に目を通していた。が、意識は集中できていないようで、貧乏ゆすりが止まらない上に、その金色の瞳でチラチラと壁の柱時計を窺う度に大きなため息を吐いている。
 時刻は7時54分。もう少し短針が進めば55分になる時刻。屋敷の大部分がルストリア領の行政を担う施設となっているため、多くの者が、8時丁度に鳴る始業の鐘を待っているのだが……。
「遅い」
 低く呟いたアラクランは、勢いよく立ち上がると己の右腕を空へ翳す。そこに赤い文様が浮かび上がってきたと思えば、その身体は宙へと消えた。


「きゃあ!」
 いきなり現れた補佐官 ―― アラクランに声を上げたのは、メイド服を着た垂れたウサギの耳を持つ女性である。
 『魔力』を持つのは領主とその補佐官のみ。室内では歩く(もしくは走る)しかない人々にとって瞬間移動は未知のもの。屋敷の主たるアスモデウスが生活するプライベートな一角で働く人間なのだから、少しは見知っているとしても、何もなかった筈の場所に唐突に人が現れれば驚かずにはいられないだろう。
「あぁ、驚かせてしまいましたね。申し訳ありません」
「い、いえ!」
 アラクランはそう言うと、彼女のすぐ側にある扉へと目を向ける。
「アスモデウス様は、まだ?」
「はい。ベッドルームにいらっしゃいます」
「後は私に任せて、あなたは仕事に戻りなさい」
「は、はい。よろしくお願いいたします、アラクラン様」
 丁寧にお辞儀をしたメイドは、音を立てず…しかし早足で、廊下に続く扉から出て行った。それを確認した後、右手で取り上げた懐中時計に金色の瞳を向ければ、あと2分で8時を指そうとしているのが見えた。

 コンコン。

「アスモデウス様、アラクランです。入りますよ」
 呼びかけておいて返事が来ることを期待していないアラクランは、時計と共に腰から下げているマスターキーを使って鍵を開け、ガチャリと扉を開く。
 視界に入ってきたキングサイズのベッドの上では、予想通り。裸の女を腕に抱きながら、煙管で一服する上司がいた。赤い文様が領主の証となるルストリアにぴったりな、燃えるような赤髪を持つアスモデウスは、フゥと煙を吐き出すと『魔力』で煙管を浮かせてベッドサイドの丸テーブルに置かれた灰皿に燃えカスを捨てる。
「返事も聞かずに入って来るなよー、アラクラン。マナーがなっていないぞ〜?」
「待っているだけ時間の無駄ですから」
 言いながら上司の正面に立った時、リンゴーンと8時を知らせる鐘が鳴った。
「始業時刻を十秒過ぎました。お急ぎください」
「えー! あと10分!」
「なりません」
「5分!!」
「今すぐです」
 子どものように駄々を捏ねるアスモデウスとアラクランを交互に窺う女性は、とても居心地が悪そうだ。だが、アスモデウスにシーツを被った肩を引き寄せられている以上、その場を離れることもできない。
 この状況をさっさと終わらせるためにアラクランがしたことは、パチンと指を鳴らして、灰皿の所にあった煙管を取り上げることであった。
「あー! キセルぅ……」
 煙管大好きなアスモデウスは、女を解放してアラクラン(の持つ煙管)の方へとベッド上を移動してくる。伸ばされる手に奪還されないよう腕を動かして避けつつ、アラクランは羽根の生えた耳を持つ女性へと視線を向ける。
「今のうちにご退出願います」
 コクリと小さく頷いて足早にベッドルームを後にした女は、アスモデウスがこれまで連れ込んだ人間の中ではかなりまともな部類に入る。中には、アラクランが入室しても露わになった肌を隠そうともせず、「3人で楽しみましょう?」と情交に誘う者もいて、朝から不機嫌度マックスになることもあった。
「あああ……」
 『絡み愛が趣味だ』と公言して憚らない領主は、女性の消えた扉とアラクランの手の中にある煙管を交互に見て項垂れる。と、ポン! と音を立てて獣の姿(といっても、人形のように可愛らしい羊姿だが)になってしまった。
 一抱えできる大きさの丸い羊毛の塊から小さな蹄のついた前足が伸びてくる。女性ならば「可愛い!」と色めき立つのだろうが、そこはアラクランだ。冷ややかな瞳で見下ろして、これまた冷たい声音で言い放つ。
「獣姿で可愛らしく強請っても私には効きませんよ? アスモデウス様。早く支度してください。でなければ、そのまま抱えて城内を歩きますよ?」
「『私には』って、この姿はお前にしか見せてないっていつも言ってるだろー?」
「そうでしたか?」
「そうだよ! お前だからなのにー! アラクランのバカ!!」
「バカで結構です。私には、秩序を守ることの方が重要ですから」
 何を言っても相手にされないとわかっているからなのか。人間であれば頬を膨らませているような不貞腐れた表情でノロノロと動いた羊だったが、ベッドの端に座ると短い脚をプラプラさせはじめる。
 アラクランは、その様子に腕を組みながらため息を吐く。
「……あなたがプライベートで何をしようと勝手ですが、公私はきちんとわけてくださいと何度もお伝えしているはずですが?」
「お前がギッチリ仕事詰めるからだろ? 半日は人肌に触れてないと生きてけないって言ってるのにさー」
 その言葉で思い浮かんだのは、アスモデウスがルストリア領主になる前 ―― もう、60年以上前の記憶であった。



「半日は人肌に触れてないと生きていけないんだってー」
 かつてアラクランが暮らしていた部屋で、今と同じように獣姿でベッドに腰掛けた男はそう言った。
 十代半ばから既に色事に長けていたアスモデウス。その日限りの身体の関係も多く、渡り鳥のように相手の部屋を転々と歩き暮らしていたのだが、どうしても相手が見つからない時もあるわけで……そういう時に彼が決まって訪れるのがアラクランの元であった。
 5歳ほど歳の離れたアスモデウスは、近所で評判のはみ出し者であった。とはいえ、人懐っこい性格だ。いつも人に囲まれていたのだが、人だかりの中心にいても、何故かアラクランには『独り』に見えた。
 その所為なのか。何故か決まって彼がひとりの時に行き当たってしまうのだ。最初は、ヘラリと笑う彼からそそくさと離れていたのだが、3度目から声をかけられるようになり、5度目で名前を覚えられ……10度目には家に押しかけられるようになっていた。
 アラクランは近所に住んでいる筈のアスモデウスの家がどこにあるか知らなかったが、彼が何年も前から実家に帰っていないことを噂で知った。だからというわけではないのだが、どれだけ鍵を締めていてもいつの間にか部屋に入り込んでいるアスモデウスを放り出すことができなかった。
 ただ、身体の関係はない。アラクランは同性を愛する趣味はなかったし、また、恋愛にうつつを抜かす者は周囲が見えず秩序を守らないものが多い。それゆえ、恋愛自体が嫌いな彼はアスモデウスに言ったのだ。

『獣姿でなら部屋にいてもいい』と。

 そう言えば、部屋に来なくなるだろう。……そう、思っての発言だった。
 何故なら、アルディーノに生きる獣人にとって獣姿は弱点も同じ。どれほど強い動物の獣人であっても、人形のように小さくデフォルメされてしまう獣型は命を危険に晒すことに繋がる。だからこそ、家族や大切な者以外には見せず、ほとんどの時間を人型で過ごしているのだが……。
 アスモデウスは、言った通りに獣姿でアラクランの部屋へ来るようになったのだ。



「……終わらせられないあなたが無能なのですよ?」
 遠いと感じるくらいになってきた昔と変わらぬ低いテンションで、だが上司と部下と言う立場上、口調を崩すことなくそう言えば、アスモデウスは蹄の足ではできるはずがないのにアッカンベーをしてくる。
「アラクランのオニー! アクマー!!」
「好きに罵ってくださって構いませんが、私の機嫌を損ねれば、お相手がいらっしゃらないときに俺の寝床に潜り込むのを禁止しますよ?」
「わぁぁぁ! それは絶対ダメ! 許して!!」
 急に正座して両手を合わせる羊を一瞥し、肩を竦める。
「……でしたら、早く着替えてください」
 答えを聞くと同時にポン! と人型に戻ったアスモデウスは一糸まとわぬ姿。
「キセル、返してね?」
「それは、あなた次第です」
 隠すこともしない堂々とした姿にため息を吐けば、慌てて身支度を整えに走っていった。


 だらしなく、時間を守らない。やる気もなく、いつも色欲を求めてばかりのアスモデウスは、アラクランが嫌う無秩序の中で生きている。
 故に、昔から大嫌いであったはず。いや、今も大嫌いであるはずなのだが、それならばなぜ、補佐官になったのか。
 主と命を繋ぐも同じ契約を受け入れたのか……。

 そこまで考えて、アラクランは小さく舌打ちをする。

 好きだということは絶対にない。
 秩序を守らない彼の傍にいればイライラするばかりで、不老となっていなければ寿命を縮めているのではないかと思える程なのだ。アスモデウスが嫌いだと言う事実は昔から変わっていないと改めて認識しつつも、アラクランは気がついていた。
 どうしても、彼を放っておけない自分がいることに。


「できた! はい、キセル! 返して、キセル!」
 仕事着に着替えて目の前に立つ上司の背後に、パタパタと勢いよく振られている犬の尻尾が見える。そんな阿呆とも思える姿に呆れつつ、懐中時計を確認するアラクラン。
「23分と15秒の遅刻です」
「はいはい、その分働けばいいんだろー?」
「よくわかっていらっしゃいますね」
「日課のように続けばね〜」
「あなたが遅刻しなければ済むのですが?」
「規則は破るためにある!」
 堂々と胸を張って、得意げに言うアスモデウスに、はぁ…と聞こえるように息を吐く。
「……秩序を守っていただかなければ困ります。私の命もかかっているのですから」
「そこは大丈夫だろ。お前がいるんだから、道を踏み外すわけないない」
 カラリと笑って、それもまた当たり前のように言い放つ男に額を押さえずにはいられない。
「あー…でも、アラクランが手に入るなら、道を踏み外したって構わないなぁ。愛する人と共に迎える最期…なーんちゃって!」
「誰が愛する人ですか。勝手に巻き込まないでください」
「えー? こんなにも愛してるのに?」
「私は大嫌いです」
「つれないなぁ〜。そういうとこも好きなんだけど」
 嫌悪感を露わに眉間に皺を寄せる部下に、アスモデウスは誰もが見とれているだろう美しい笑みでそう言った。
「ま、好き嫌いは置いておいても、補佐官になった以上は一連托生。俺の終わりはお前の終わりなんだから、ずっと見張っててくれないと、俺、何するかわかんないよ?」
「愛想をつかされないよう、せいぜい頑張ってください」
 アラクランが溜め息混じりにそう言って、持っていた煙管を手渡せば、満足げに頷いてそれをタクトのように右手に持った後、大事そうに懐に仕舞いこんだ。と、急にその表情を引き締めて、領主としての顔になる。

「アラクラン。行くぞ」
「はい、アスモデウス様」

 ……いつもそうしていればいいのに。

 そうひっそりと思いつつ、主の後について部屋を出た。

- end -

2015-4-29

Giftsに載せるか迷いましたが…こちらで失礼します。

Guidepost」様のキャラ(まだ未登場…なのかな?)をお借りして書いたお話です。

書くに至った経緯は…ですね。
私は「行き当たりばったりで気楽に文章書けない」方なのですけども。
創作企画(=サイトにもUPしてる「能力者BL企画」)みたいな、参加者がキャラを作ってキャラシートをUPして、それを手掛かりに創作する…そういうタイプならなら比較的気楽に書けるかなぁ…って話になりまして。
(私の場合、短編であることも重要なのですけどもね! 長編ホント苦手で…)
「じゃあ、私たちのキャラで何か気軽に書いてみて(←こんな口調じゃないですが)」っと言っていただきまして、わざわざキャラシ作っていただいたのです! アラクラン君の。
(アスモデウス様は…落書きと、設定だけもらいました〜)

世界観は私の好きに創作させていただきまして、こんな形のお話を書かせていただきました!

とても楽しかったです! ありがとうございましたー!!


屑深星夜 2015.4.26完成