アスケロウスの昼下がり

アスケロウスの昼下がり


 神の御座す国、アルディーノ。
 アルディーノ七領が1つ、アスケロウスは緑多き領地である。この地を象徴する色が緑であったからそうなったのか、緑多き国であったから緑になったのか。その答えを知っているのは神のみである。
 そんなアスケロウスに暮らす人々の大多数は農業や林業に従事しており、他領に農産物を輸出して生計を立てている。このことから、アルディーノの食糧庫とも呼ばれている。
 そんなアスケロウス領主の最も重要な仕事は、『魔力』を使って天候を予想することだ。民の間で伝わる天候の予測方法ももちろんあるが、農業大国(国ではないが)に暮らす者たちにとって、味方にも敵にもなり得る天気を出来る限り正確に把握することは、生活に直結するとても大切なことなのだ。
 だからといって、予測した天候を変えようとすれば神の怒りを買うことになる。
 3年前まで領主であった者も、領内で発生した巨大な竜巻を『魔力』によって消し去った直後に『魔力』の源たる文様を失い、立ったまま息絶えたのだ。
 神から何でもできる力を与えられようが、それによって世界の理を変えることは許されていないのである。



 ポカポカ陽気の昼下がり。
 休憩時間が終わっても執務室に戻って来ない新領主 ―― ベルフェゴールを、『離れ』と呼ばれる領主が生活するための一軒家まで迎えにやってきた補佐官アンシエルは、竜のような翼を見えないように仕舞いながら見慣れた風景に紫色の瞳を細める。呆れが多大に含まれたそれが映すのは、妻たる女 ―― ディーテの膝を枕に幸せそうに眠っている上司の姿であった。


 アンシエルがベルフェゴールに出会ったのは、16歳の春。入学した高等学問所で2年も進級し損なった彼と同じ組になった時だ。
 幼馴染の同い年であるディーテのお陰で、入学以降2年間、欠席ゼロの皆勤賞で学問所に通っていたのだが、それでも進級を許されないほどにベルフェゴールは良く眠る。50分間の授業中、ずっと起きていられた試しがなかった。
 ディーテが同じ組にいたならば、無理矢理にでも彼を起こして授業や試験を受けさせることができただろう。しかし、男女別の組と決まっている以上それは許されず、『問題児』であるベルフェゴールに自ら近づこうとする者も……いなかったのだ。
 そんな2年間を知らなかったアンシエルは、元々世話焼きで面倒見の良い性格の影響もあるが、『目が合った瞬間に逃げられた』という衝撃の出会いの所為で、ベルフェゴールに近づくこととなる。そこで放っておけば、こうして補佐官になることもなかったであろうに……。


「相変わらずラブラブでいいですね」
 柔らかな風に吹かれて揺れるプラチナブロンドを白く細い指先で耳にかけながら、いつもと同じ返し ―― 「いいでしょ〜」という言葉と得意気な表情 ―― を待っていたのだが、予想したものは返ってこない。近づく足を止めて見れば、夫を見下ろす藍色の瞳も、緩くウェーブした金髪に隠れた顔も、微かな愁いを帯びていた。
 不思議に思ったアンシエルは首を傾げたが、続けて声をかけることはせずに相手の言葉を待つ。と、一瞬への字になった薄ピンク色の唇が開かれる。
「……本当にラブラブなのかしら?」
「ラブラブでしょう? 『女嫌い』のくせに、あなただけは大丈夫なんですから」
 ベルフェゴールが初めてアンシエルに会った時に逃げ出したのは、その所為であった。
 アンシエルの中性的な顔立ちは女に見紛う程。性別は間違いなく男であるのだが、それを知った後も、髪型や服装、小物、しぐさ、口調など。少しでも女らしいところを強調して見せると、過剰に反応し、すぐに逃げ出してしまうのだ。そんなベルフェゴールのことを面白いと思ってしまったことも、彼を主とすることになった一因でもある。
 そんな男が唯一逃げ出さず、話すことも触ることもできる女性がディーテなのだ。高等学問所を卒業したその日にディーテの元へ走り、超ストレートなプロポーズをしたことからも『特別』なのは明らかである。しかし。
「それならなぜ、同じ時を生きさせてくれないの?」
 彼女の疑問の通り。ベルフェゴールの『特別』な存在であることは間違いないのに、ディーテは未だ『魔力』を分け与えられていなかった。


 2人が結婚式を挙げて3ヶ月程経った秋。コメの収穫作業中、突然額に領主たる文様が現れたベルフェゴールが真っ先にやってきた先は、アンシエルの元であった。
 同じ持ち主の田んぼで作業していたこともあるだろうが、何よりも影響したのはきっと、彼の生い立ちと……引き継いだ歴代領主の記憶だろうと思われた。
「お前に、俺の補佐官になって欲しいんだ」
 1日の大半を睡魔に支配されている残念な男だが、目がしっかりと覚めてさえいれば男前の部類に入る。女なら思わず赤くなってしまいそうな真剣な顔で、真っ直ぐな新緑の瞳に見つめられながらそう言われたら、アンシエルの中にあった少しの『迷い』は、不思議と消えてなくなっていた。


 そうして補佐官になったアンシエルは、この夫婦の間で『迷い』があるのはベルフェゴールの方だと見抜いていた。
 ……いや、アンシエルがわかっているのだ。誰よりもベルフェゴールを理解しているディーテにわからないわけはない。だが、わかっていても愚痴を言いたくなることも…不安を吐露したくなることもあるもの。話し相手としては物足りないかもしれないが、大人しくそれに付き合おうと決めたアンシエルは、縁側に座る彼女の空いた隣に腰を下ろす。
「あなたを大切にしたいんですよ」
「大切って? わたしは、この人と一緒に死ぬことはできないのに? ずっと寄り添って生き続けることを許されてないわたしは、老いて先に死んでいくしかないのに? それでわたしを大切にしてると思ってるなら、この人はバカよ」
 3年の間、ずっと溜め込んでいたのか。そこまで一気に喋り切ったディーテの目尻には涙が滲んでいた。アンシエルは、背より後ろに突いた手に体重を乗せて深く息を吐く。
「……バカはバカなりに悩んでいるんですよ。人の心は変化するもの。俺のような主従の誓いならまだしも、愛する人を生涯縛り付けていいものかと迷っているんです」
「わかってるわ。そうやってこの人が悩む本当の理由も知ってるから何も言えないんじゃない」
 ベルフェゴールの額にかかる黒茶の髪を撫でながら悲しげに細められる瞳には、もしかしたら、今の姿ではない彼が見えているのかもしれない。次第にそれは優しい笑みに変わり、藍色がアンシエルを映す。
「ベルフェがわたしを『特別』に想ってくれているのもわかってるのよ? でも、それが不安になる時もあるの」
 そこで苦々しく笑ったディーテは首を傾ける。
「女嫌いのこの人に近づける唯一の女だってみんなは言うでしょう? でも、逆に女として意識されてないんじゃないかって考えてしまうこともあるし、女に見えるというだけで意識されてる男のあなたすら……羨ましく思えてしまう」
 溜め息は眼前に広がる庭園へ広がって消え、小さいがはっきりとした本音が零れる。
「いっそ、後戻りのできない繋がりを持てたら安心できるんじゃないかしら……なーんて」
 クスリと笑う横顔に『迷い』はなかった。
「今の話、この人には絶対言わないでね?」
 何故、と視線で問えば、ディーテはひょいと肩を竦める。
「わたしの望みを叶えてもらうって形は嫌なの。例えわたしがどんな考えだったとしても、それでも一緒についてきて欲しいってこの人から言って欲しいのよ。女のわがままね」
「わかりまし……」
 頷いて、誰にも言いませんと続けようとしたその時、ディーテの膝の上のものがモゾリと動く。
「んー…? ディー…?」
 まだ目は開いていないが、話し声に意識が浮上したらしい。だが、内緒話を聞かれていたかもしれないと焦らないのは、ベルフェゴールの眠りはいつでも深いと知っているからだ。
 ディーテと無言で視線を交わしたアンシエルは、立ち上がると上司の耳をグイと引っ張る。
「い…っ!!」
「ベルフェ様! そろそろ起きてくださいませ。午後の仕事はとっくに始まっておりますー」
「ったい!! 痛いって!!」
「離して欲しいのでしたら、起きてくださいませ?」
「起きる! 起きるから!」
 勢いよく身体を起こしたのを確認して手を離す。と、緑の瞳がアンシエルを映す。
「!?」
 そのとたん、自分より一回りは小さな妻の背に隠れた男の手は、微かに震えていた。
「ベルフェ、大丈夫よ」
「わ、かってる……」
 言われずとも、アンシエルが男だということは嫌と言うほどわかっているのだ。それでも、咄嗟に逃げてしまったのは、部下の頭につけられた物 ―― ピンク色のリボン付カチューシャの所為で……。ベルフェゴールは、意識的にそこを見ないようにしながら文句を言う。
「お前、見かけに寄らず力強いんだから加減しろよぉ……」
「睡魔に負けっぱなしのあなた様の為でございますよ?」
「ぅうう……」
 二の句を次げない上司の腕を敢えて掴みに行ったアンシエルは、ニッコリとその中性的な顔を笑ませる。
「では、今日もジャガイモの収穫に参りましょうね」
「い! 行くから、そのカチューシャ取れよぉ」
「あら、何かご不満が?」
「不満だよ。男なら男らしい恰好したらいいじゃないか。口調だって女っぽくしてるし」
「何をおっしゃいます。全てはベルフェ様の為でございますよ? 領主屋敷で働く女性もたくさんいますし、領民の半分は女性なのですから、1日も早く女嫌いを克服してくださらないと。ただ、私でこれでは、まだまだ先は長そうですけれど」
「う……」
 年齢と身長、力の強さでは勝てないが、舌戦で負けたことは1度もない。アンシエルは、自分よりも大きな身体のベルフェゴールを無理矢理立たせると、しっかりと妻と向かい合わせる。
「いってらっしゃい、ベルフェ」
「うん、いってくる」
 優しく微笑むディーテに見送られ、2人は本日の仕事場たるジャガイモ畑へと移動したのだった。


  *****


 切っても切れない契約を結んだからと言って、不安が全てなくなるわけではないだろう。後悔だってするかもしれない。それでも、永遠の愛を誓った夫婦だ。自分だけ大事にされるよりも、傍にいて喜びも苦しみも分かち合いたい。共にどこまで一緒に歩いて行きたい。
 そう思うディーテには、先に老いて死ぬしかない今の状況の方が辛いのだ。だからこそ、例えそこが逃げ場のない所だったとしても、ベルフェゴールと命を繋ぐ契約を望むのだろう。
 ……と結論付けたところで寝返りを打ったアンシエルは、己の両手を枕に天井をボーっと見上げている恋人に問う。
「ラニもそう思う?」
 昼間の出来事を語って聞かせた末のそれに、チラリとアンシエルを見たラニは、外した右手でダークグレーの頭を掻く。
「あぁ…って言えば気が済むのか? お前が望んでも、おれはそいつを与えられないぞ」
 ラニの言う通り。アンシエルが彼と共に長い時を生きたいと願ったとしても、それを叶えられるのは神から『魔力』を与えられた領主のみ。ラニ自身がどうにかできることではないのだ。
「それに、お前が言う通り。変わらないものなんかないと思ってるからな。軽々しく約束はできないわ」
「…そう、だよな」
 アンシエル自身もラニと同じで、いつか心変わりしたときに後悔する日が来ると思うと、自分の側に引き込もうとは思えなかった。
 それでも、今現在想い合っている相手に約束できないと言われてしまえば寂しいもので、自然と声が弱々しくなる。そんなアンシエルの様子に空のように青い瞳を細めた男は、大げさに溜め息を吐きながらプラチナブロンドの髪に手を伸ばす。
「先のことはわからんから何とも言えないが……とりあえず、面白くないのは確かだな」
「何が?」

「おれ以外の奴に可愛い姿見せてんじゃないぞ、ってことだ」

 それが本心か、それを隠したものなのか。アンシエルには判断できなかったが、笑っているようで笑っていない目は嘘ではないことを教えてくれていた。
「……って、上司相手で、女嫌いの治療だぞ?」
「思いっきり楽しんでるだろ」
 図星を刺され、咄嗟に否定することができずにいたら、諦め顔でクシャリと笑われる。
「ま、言って変わるお前じゃないだろうがなぁ」
 ポンポンと優しく頭を撫でる大きな手。それが与える心地よさと、嫉妬してくれていると言う事実が、アンシエルの胸を温める。
「意外と独占欲強いんだな」
「らしくなくて悪かったな」
 ラニは、赤くなった顔を隠すために手っ取り早く恋人を腕の中へと閉じ込めて、ギュッと抱きしめる。

「……悪くないよ?」

 ポツリと呟きを零した唇は、喜びの形をとっていた。

- end -

2015-6-17

Guidepost」様のキャラ(まだ未登場…なのかな?)をお借りして書いたお話…第二段です。

前回のがお二人に好評で、他にもキャラいるからぜひ…と言われてやらかしてみました。
この世界観を考えたことで、上司と部下…ではない「夫婦」のことを書きたいなぁ…とチラッと思ってたのもあって、こんな話になっております。

BLもNLも混ぜ混ぜですみません!

設定いただいたキャラは、ベルフェゴールとアンシエル。
ディーテとラニは完全に私の創作です。


屑深星夜 2015.5.14完成