神の御座す国、アルディーノ。
アルディーノ七領が1つ、イラースは機械が発展した地である。豊富な地熱を利用した蒸気機関が開発されたことがきっかけとなったのだが、人が持ち得ない力やスピードを与えてくれるそれは、『魔力』を持たない領民たちの『魔法』として広まっていった。
塔のように高く聳え立つ領主屋敷のある町は、機械仕掛けの装いをしている。螺子や歯車などが丸見えの状態が冷たく見えるという者もいるのだが、そこかしこで蒸気の上がるイラースの地はじっとりとして熱く、ゴチャゴチャとした街並みがおもちゃ箱の中のようで面白いと言う人も多いのだ。
とはいえ、その『魔法』の恩恵を知ってしまった者の中に「機械を無くせ」と言える者はおらず。イラースは、食料の他、原料となる物を輸入して『魔法』の力で安価な商品を大量に生産し、それを輸出することで利益を上げているのである。
しかし、機械で作られた物は、人の手で仕上げられた物に比べて質は劣るもの。それ故、腕に自信のある職人が作った、質の良い品を売りにしている隣領ティアリードとは仲が悪く、領主同士顔を合わせる度に喧嘩になるため、協力すべき案件が沢山あっても、補佐官たちすら出来る限り近づかないようにしているくらいであった。
だが、イラースの補佐官には、どうしてもティアリードへ通わなければならない仕事があった。
「あー…だりぃ。全てが上手く行きすぎてだりぃ」
昼食後の執務室で、豪奢な革製の椅子に深く腰掛けた領主 ―― サタンは、顔にかかる朱色の前髪の向こう側で金色の瞳をやる気なさげに細める。彼の前の大きな執務机の上にある財政報告書は、緩やかではあるが上向き続けている現状を示しており、サタンの治世がとても順調であることを示していた。
「それもこれもサタン様が優秀であられるからでしょう。イラースに暮らす者は幸せですね」
イラース第2の補佐官であるアムネウスは、決裁待ちの書類を確認しつつ、その青い瞳をニコリと笑ませる。
彼の言葉通り、この主は優秀である。領主が代替わりして85年。碌な産業もなく、七領の中で最も貧しかったイラースには、食べ物にも困る者が溢れかえっていたのだが、そんな時代があった事を知らない者も出始めるほど発展しているのだ。それもこれも、今までにない地熱の利用方法を考え付いたサタンあってこと。
ただ、気分屋で飽き性のため、面白いと思っているうちはいいのだが、興味が無くなったものはポイと簡単に放り投げてしまうところがあるのが不安要素ではある。だが、格好つけで人に評価されるのが大好きな男なのだ。今は、サタンの名代として領内を飛び回っている第1補佐官アマツにしっかりと仕込まれているアムネウスにとって、上司の機嫌を取ることなど朝飯前だ。
「サタン様がおられればイラースの未来は安泰だ、という声をよく耳にするとアマツ様から聞いておりますよ。さすがは我らがサタン様」
「そうか?」
「そうですとも。きっともうすぐ、全ての領民が、如何にあなたが優れているかを知るようになるのでしょうね。私は、早くその日が来るのが楽しみでなりません」
それを聞いたサタンはまんざらでもない顔で身体を起こし、親指で鼻の頭を擦る。
「し、仕方ねぇな! お前がそう言うなら、もっともっと上手く行くようにこの仕事も完璧に片づけてやるっての」
「ありがとうございます」
とはいえ、まだペンを持とうとしない主にはもうひと押しが必要で……。
「では、私は午後のお茶のためにカステーラを買い出しに行って参ります」
「『クーク』のかっ!?」
「もちろんです」
「よっしゃ! チャチャッと片づけといてやるから、お前はさっさと行って来い!」
「承知いたしました」
チャリリと耳飾りを慣らしつつ恭しく最敬礼をしたアムネウスは、『魔力』を使ってティアリード領内の『クーク』という店へと向かったのだった。
アムネウスとサタンの付き合いもいつの間にか長くなり、出会いから数えて23年が経とうとしていた。
アルディーノは獣人の国。皆それぞれの獣の姿を持っているが、動物と違って獣型の種族によって区切られることはない。恋愛も人間と変わらず自由で、混血児も多い。
ただ、獣型の姿は父方の血を受け継ぐため、不義密通があった場合、それが周囲にはっきりとわかってしまうことが問題になることが多々あった。
アムネウスもそのひとり。
「お前なんかいなければよかったのに」と毎日毎日聞かされ、父にも母にも疎まれて育った彼の頭には、どうやってこの世から己を消すかということしか頭になかった。
しかし、何度試しても自分で自分を殺すことができなかったアムネウスは、己を殺してくれる人物を探して、所構わず喧嘩して日々を過ごすようになった。
サタンの元にアムネウスを何とかしてくれと言う声が届いたのは、それから半年も経たないうちであった。
『魔力』を持たないサタンが相手であったなら、アムネウスが勝っていたかもしれない。それほどの力の持ち主であった彼に勝てるのは、『魔力』を持つ領主しかいなかったのだ。
「お前、俺のために働け。生きる気がないんなら丁度いいだろ?」
赤い竜の翼を広げて腕組みしている男を、地面に這いつくばった状態で見上げる。
「俺様が気に入らなきゃ、望み通り殺してやるから」
そう言ってニヤリと笑む姿に悦びしか湧いてこなかったのは、アムネウスの心がそれだけ傷つき、悲鳴を上げていた証拠であろう。
領主と補佐官の契約は、領主の意思で破棄することが可能である。それは、与えた『魔力』を取り上げることで完了するのだが、そうされた補佐官は命を失うこととなる。
ただし、特に理由のない契約破棄を行った領主には神によって天罰が下されるため、実行したものは少ない。それ故に世間一般にはあまり知られていない事実である。
ちなみに、補佐官側から契約を取り消すことはできない。しかし、唯一方法があるとすれば、領主の命を絶って己も死ぬことだけである。
サタンに気に入られなければ、望み続けていた死を迎えられる。
その思いから、出来る仕事に手をつけず、周囲に立てついてばかりいたアムネウスは、怒りに染まったサタンによって止められることになる。
出会いの時は『魔力』で拘束されただけだったため、大きな傷をつけられることはなかったが、金の瞳を真っ赤に染めたサタンは違った。(元から抵抗する気がないのもあるが)射殺されると思うほどの殺気に指の1本も動かせないというのに、生身の倍以上の力で血だらけになるまでボコボコに殴られる。普通なら出血多量で気を失いそうなものであるが、不思議とアムネウスの意識ははっきりしていて、今まで生きてきた中で1番死に近い状態であったはずなのに、1番遠いところにいる気がしていた。
グタリと館の床に倒れる部下の胸倉を掴んだサタンは、自分とほとんど変わらない身長の彼を軽々と持ち上げると、その背中をドン! と壁に押し付ける。
「人を殺すってことはなぁ? それがどんな悪人だとしても罪を背負うことになんだよ。自分でそいつを負うこともできない奴が、他人様に背負わせようだなんて、虫が良すぎるんじゃねぇか?」
そこで拳を開いてアムネウスを床に落とした男は、ハッと笑って燃えるような瞳で見下ろす。
「お前の願いは叶えてやらない。一生な」
……そうして生き続けることになっても、アムネウスの中で死を望む気持ちはなくなりはしなかった。
古いレンガ造りの家々が並ぶ、ティアリード領主の館がある街の外れ。本通りから一本奥へと入った道沿いに『クーク』はあった。
「わぁっ!!!」
店に入った瞬間に、叫び声と共に白い粉が飛び散る様を見たアムネウスは、店主 ―― クークとの出会いを思い出す。
大好物のカステーラだけはティアリード製でなければ許せない。
そんなサタンの拘りのためティアリードへやってきたアムネウスは、店を探して街中を歩いていた途中で大荷物を抱えた人物に出会う。小さな身体に見合わぬ大量の持ち物で前も見えていないのだろう。フラフラしていた人物は、石畳の地面に足を引っかけて地面に倒れ込んだ。
袋から飛び出して散らばった物を拾ってやれば、犬耳の生えた少し水色がかった白い髪の生えた頭をペコペコと下げる。
「すみません!! ありがとうございます!!」
彼の持ち物は小麦粉に砂糖、バターなど。明らかに菓子用と思われるものばかり。アムネウスは、まだ幼さの残る少年に率直な疑問を投げかける。
「君は菓子職人かい?」
「は、はい! まだ…店を出したところなんですけど……よかったら、お礼に食べていってください!」
邪気のないクリクリとした暗い赤色の瞳に見つめられれば断ることもできず、彼について小さな店に行くことになった。
建物は古いけれど、年季の入った木の柱は温かみを感じさせ、入った瞬間に肩の力が抜ける。店内に充満する甘い香りもまた心を優しくさせ、入口で立ち止まったアムネウスは大きく息を吸った。
まだ十代であろう、年若い店主のクークが自信作だと言って持ってきたのは、カステーラだった。もちろん、店で売っている商品はそれだけではなかったが、ベースとなっている生地は1種類しかないようで、皿に乗ったものがそれだけの拘りのある菓子だと言うことがわかる。
アムネウスは、生クリームの添えられたふんわりとしたカステーラをフォークで切り、刺したそれを口へと運ぶ。
「……美味い」
「本当ですか! よかった〜!」
ホッと胸を撫で下ろす姿に視線をやると、店内をチラと見回したクークがポツリと言うのだ。
「……実は、まだお客さんはひとりも来てないんです」
「ひとりも? 宣伝はしていないのかい?」
「店のことで精一杯で、そこまで手が回らなくて……」
情けなく笑いながら頭を掻いた彼は、せっかくいい腕を持っているというのに、いまいち自信が持てていないよう。客がまだいないというのも原因のひとつだろう。
「もったいない」
本心からそう零したアムネウスは、椅子から立つとサファイヤのようなブルーの目で少年を見下ろす。
「カステーラを包んでもらえるかい?」
「え…?」
「初めての客になりたいと言っているんだけど?」
「え、え…? ホントですか!?」
「この味なら、カステーラに目がない俺の上司も気に入るだろう。きっといい宣伝にもなる」
「……あ、ありがとうございますっ!!!」
その涙ぐんだ瞳と喜びに満ちた笑顔が忘れられない。
アムネウスの予想通り、サタンのお気に入りとなったクークの作るカステーラを買い求めるようになって6年。歳を重ね、少し背が高くなった今も、彼のおっちょこちょいなところは変わらなかった。
「大丈夫かい?」
「あ、アムネウスさん!! いらっしゃいませ! だ、大丈夫です!」
パチリと指を鳴らして、彼がぶちまけてしまった小麦粉を『魔力』で集めてやる。
「すみません、ありがとうございます」
「顔を洗っておいで。顔まで真っ白だ」
「はい!」
頷いて水場まで移動する途中でも、自分の足をもつれさせる姿に思わず笑みが零れた。
「お待たせしました。今日もカステーラですか?」
「あぁ。一緒にそこのラスクも貰おうか」
「はい。いつもありがとうございます」
「クークの腕がいいからだよ」
「そんな! アムネウスさんが居なかったら、僕、ここまで頑張れなかったかもしれません!」
ニコニコ顔のクークからは、出会った時とは打って変わった自信が満ち溢れている。サタンに気に入られた味という噂はすぐに広まり、カステーラと言えば『クーク』と言われるほどになったのだ。固定客もついて安定した収入を得られているようだ。
「あの日、君と出会ってなければ、俺は今も美味いカステーラを探してティアリード中を歩き回っているんだろうなぁ」
「サタン様は本当にカステーラが大好きなんですね」
話しながら慣れた手つきで商品を包んだクークが、カウンター越しにそれを差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取ったそれを持参した布袋に入れていると、カウンターから出てきた彼が傍に寄ってくる。
「あ、あの……アムネウスさん」
「何だい?」
「今度来た時に、開発中の商品の試食をしてもらえませんか…?」
見上げてくる濃い赤色の瞳に見つめられて、アムネウスは疑問に思う。サタンを含め、その役に相応しい人間は他に沢山いるだろうに、何故自分なのか。
「……俺でいいのかい?」
「アムネウスさんがいいんです! お願いします!」
口にした問いに即座に返ってきた答えもだが、深く頭を下げて頼まれては、断るという選択肢を選ぶことはできなかった。
「わかった」
「……っ! ありがとうございます! よーし、頑張って完成させるぞ〜っ!」
片手を上げて気合を入れる姿は、20を超えても出会った頃の彼を思い出させ、アムネウスは青色の瞳を細めたのだった。
今でも、己の存在など必要ないと思う気持ちはなくなってはいない。
けれどもアムネウスは、以前より『生きている』ことに対する抵抗感がなくなっていることに気がついていた。
だが、自分を変えているものが何なのかは、どれだけ考えてもわかりそうになかった。
何にせよ、自分で自分を殺せない以上、サタンの元で働きながら生き続けるしかない。
「サタン様、お茶の用意が整いました」
「おぅ!」
そんな、いつもの午後。
- end -
2015-6-17
「Guidepost」様のキャラ(まだ未登場…なのかな?)をお借りして書いたお話…第三段です。
設定としていただいたキャラの、サタンとアムネウスのお話でございます。
とはいえ、主役は上司であるサタンではなく、部下の方ですね……。
キャラ設定に「何処か歪んでいる」とあったので、こんな感じで広げてみました。
クークは私が創ったキャラです〜。
こうして世界設定は増えていくのね…(遠い目)
屑深星夜 2015.5.18完成