神の御座す国、アルディーノ。
アルディーノ七領が1つ、ティアリードは職人たちが集まる土地である。その起源ははっきりと記録されていないが、己の腕を磨くだけだった職人が、互いに競い合い学び合うために集まったことがはじまりではないかと言われている。その説が1番有力とされる理由は、少なくとも300年以上前からずっと、3年に1度、様々な職人の技術を競う大会が開かれ続けているからである。その大会で1位を取ったものには多額の優勝賞金が与えられ、自らの技術を高めるために使われている。
現在は、職人拘りの逸品を求めて、商人はもちろん個人旅行者も訪れる活気のあるティアリードであるが、60年程前まではそうではなかった。
領内には職人ごとにギルドが作られ、製品の品質維持はもちろん、販売に営業、雇用等も管理することで構成員の共存共栄を実現してきた。が、長い時間が経つうちに、繁栄しすぎたギルドは何をするにも『金』が必要となる汚れきった集団に成り下がっていたのだ。
おかげで、新しい技術がなかなか生まれない。所属していない者の商品は市場に出回らない。高額な『金』を支払ってでもギルドに所属せざるを得ない状況を作り上げ、『親方』と呼ばれる一部の人間が私腹を肥やしていた。
そんな状態では個人客は全く相手にされず。商人であっても袖の下があるかないかで売値が変わってしまい、如何に職人ギルドの機嫌を取るかが取引きするために最も必要なことであった。
そんなティアリードを覆う闇を払ったのは、50年と少し前に代替わりした領主 ―― マモンであった。
職人ギルド解体という目標を掲げた彼は、まず始めに特許制度を作って、ギルドではなく国が技術を守れるようにしたのだ。その後、ギルドに所属するメリットが無くなる政策を次々と押し進めたことで、徐々にギルドは衰退していく。そして、治世50年を迎えた3年前、ついに、悪いイメージしかないギルドという名はティアリードから消えてなくなった。
もちろん、ギルドの負ってきた役割全てが悪いものだったわけではない。技術を受け継ぐ次世代の育成は個人ではなかなか難しいもの。そういう良い点は名を変えて残し、職人たちはもちろん、彼らが作った製品を求めてやってくる人々にとってもよい土地に変えていったのだ。
だが、人々は知らない。そのような大胆な改革を推し進めてきた男が、元はイラースに生まれた浮浪児だったことを。
イラース領主、サタンの治世が始まって24年 ―― 今から61年前のこと。
蒸気機関が開発されたことで、イラースの民の暮らしは少しずつ上向いていたが、全ての者がその恩恵に預かるにはまだまだ時間と金が足りなかった。領全体の経済状況は好転していても、最貧層の生活は前領主の時と変わらず……いや、その時よりも悪くなっていたかもしれない。
働き口が増えたとはいえ、法律によって『子どもを労働させてはならない』と決められていては、浮浪児たちを雇うところなど存在せず、彼らが生きていくためにはゴミを漁るだけでは全く足りず、盗み等の犯罪に手を染めなければならなかった。それ故、人々から蔑まれた子どもたちが攻撃の対象となったことがあった。
怒りが頂点に達したというのもあるのだろうか。我を忘れた人々が、武器になりそうな棒や尖ったものを持って浮浪児たちが暮らすゴミ捨て場へと押し寄せた。
その当時10歳であったマモンは、幼いながらも持ち前の頭の良さから子どもたちを率いるリーダーであった。だが、多勢に無勢。仲間たちを逃がすのが精一杯で、普段から自分にベッタリのジョエルと共に人々に囲まれ、己の死を覚悟した時だ。
「弱い者苛めは感心しねぇな〜?」
赤い竜の翼が生えた大きな背中に庇われて、マモンはその琥珀色の瞳を見開いた。周囲から聞こえるざわめきに混じる名前から、彼が領主サタンなのだとわかった。
「こいつらに罪があるとすりゃあ、まともな生活させてやれない俺様のせいだ。文句があるなら俺に言いに来やがれ」
その堂々とした振る舞いに有無を言わせぬ迫力。『魔力』を持つ領主だと言うことを差し引いてもサタンに逆らえる者は誰もおらず、騒ぎは収束したのだった。
「大丈夫か?」
差し出されたサタンの手に思わず自分の手を重ねようとしてしまうが、黒く汚れたそれで触れるのはどうかと思ったマモンは、慌てて引っ込めて頷く。
万が一捕らえられてもいけないし……と己に言い訳して立ち上がろうとしたが、腰が抜けてしまったのか動くことができなかった。そんなマモンの背中に隠れているジョエルに緑色の瞳で睨みつけられたサタンは手を戻して肩を竦めると、しゃがみ込んで子どもたちに目線を合わせる。
「お前がボスだな」
「お、おう」
「真っ先に仲間を生かそうとしたことは評価してやる。けどな? 生きるためとはいえ、ちゃちな犯罪にその頭を使ってんのはもったいないぞ」
そうしなきゃ生きられないんだから仕方ないだろ! と瞬間的に叫ぼうとした言葉はサタンの楽しげな笑みに止められて。
「ちゃんとした知識を学ぶ気はねぇか?」
気がつけば、呆けたままにコクリと頷いてしまっていた。撤回しようにも、「よし決まりだ!」とサタンに頭を撫でられてしまえば……もう何も言うことができなかった。
そうして、サタンが用意した全寮制の学び舎で暮らすこととなったマモンは、自ら受け入れた以上はと真面目に勉強に励んだ。もちろん、これまで知らなかった知識を得られることが楽しかったのもある。が、1番は……もう1度、あの手に撫でてもらいたかったからかもしれない。
ボスであったマモンの態度に反発する仲間ももちろんいた。しかし、ジョエルを含め多くの者は彼に倣って学び舎へとやってきて、人並みの生活をするようになっていった。
そんなマモンがイラースを出たのは、もうすぐ16歳になろうという頃。
学び舎へ顔を出したサタンと再会したのだが……彼にすっかり忘れられていたことが原因であった。
サタンの言う通りに勉強を続け、全てにおいて大きく成長した自分に何か言葉をかけてくれるかもと期待していたのに、完全にスルーされたのだ。一体何のために今まで頑張って来たのかと裏切られたような気持ちになったマモンは、寮の部屋に閉じ籠る。泣くことだけは堪えたが、暫し物に当たり散らしたせいで部屋の中はグチャグチャ。その後はベッドに突っ伏して、ご飯もたべずにふて寝していた。
「マモン様のことを忘れるなんて、信じられませんね」
床に散らばった物を避けながらベッドに近づいてきたジョエルにそう言われて、イラッとしてしまう。ついさっきまで散々サタンのことを汚い言葉で罵っていたというのに、他人に言われると、わかっていても納得できなかったサタン側の事情(想像だが)が口を吐く。
「……会ったのは1度だけ。それもほんのちょっとのことだ。今日だってじっくり話す時間はなかったわけだし……仕方がない」
「それでも、仕方がないで終わらせてしまえば、いつまで経ってもサタン様に認めてはもらえないんですよ?」
「う……」
うつ伏せの体制のまま言い淀むマモンの姿を隠すように、広げられている黒い翼をそっと撫でたジョエルは、ポンと手を叩く。
「そうだ! サタン様が注目せざるを得ないことが出来たらいいんじゃないでしょうか?」
「注目せざるを得ないこと…?」
「えぇと……目立つ服に変えるとか、あっと驚くようなことをする……とか?俺にはそんなことしか思いつきませんが、マモン様ならいい案が浮かぶのでは?」
首を傾げたことで、彼のブロンドの三つ編みがブラリと揺れた。それを何気なく目で追ったマモンの頭に閃いたのは『世界一のカステーラ職人になる』という方法であった。
そうしてジョエルと共にティアリードへやってきたマモンであったが、カステーラ職人になるべく門戸を叩いても、腐敗した職人ギルドでは技術を学び取るのも一苦労。例え一人前になれたとしても、己の店を持つことは夢のまた夢である。
2年という短い修行時間でも、このままギルドの世話になっていても自分が望む未来には近づけないと理解していたマモンが、ギルドから脱退することを考え始めた頃。その腹部に、鳥のような、ティアリード領主の証たる黄色の文様が浮かび上がったのだった。
「てめぇんとこは、毎度毎度チマチマチマチマ。どんだけ手をかけりゃ気が済むんだよ。時代は安さを求めてんだ。機械化してパーッとやっちまうのが1番だってのに」
煉瓦造りのティアリード領主の館のある一室に、サタンの声が響く。なぜイラース領主の彼がここにいるかと言うと、技術協力を得るためである。……であるはずなのに、その言葉だ。カチンと来たマモンは、表情には出さないように気をつけつつ豪奢な刺繍の施されたソファーに深く座り直す。
「……なら何でお前の部下はうちに来るんだ? その手をかけたものが欲しいってお前が言ってるからじゃないのか?」
「う」
「確かに、安さを求める傾向はある。けど、手をかけた作品が欲しくない者はいないだろ。その証拠に、ここ10年のうちの業績は横ばいだ。それこそ、ティアリードの職人たちの技術がアルディーノに暮らす全ての人たちに認められてるってことだろう?」
マモンの言葉に嘘はない。
いくらイラースが安価な商品を大量生産して発展していても、売れるものではなくては意味がない。機械技術は発展していても、人々が欲しいと思うような商品アイディアがイラースには足りないのだ。そこで、売上に応じて特許料を支払うことで、ティアリードの職人の商品の廉価版をイラースが制作・販売するという方法が1年程前に浮かび上がったのだが……。
「それでも、うちの機械が世界一に決まってる!」
「うちの職人が世界一だ!!」
「イラースだ!!」
「ティアリードだ!!」
このように、互いに一歩も譲らない言い合いが必ず始まってしまい、肝心の話が全く進まないのだ。
「マモン様。美しいお顔が乱れております」
「サタン様。本日はお仕事のためにいらっしゃったのでしょう? 手早く済ませなくては、お茶の時間に間に合いません」
ニコリと笑った互いの補佐官―― ジョエルとアムネウスに毎度の様に止められるのだが、それでも燃え草はなくならず、今日もまた大した進展もなく会合の時間が終了となるのだった。
その夜。マモンは、自分の部屋のベッドの上で頭を抱えていた。
「なんで喧嘩になっちまうんだよ……」
本当はサタンと仲良くしたいのに。サタンに己のことを認めて欲しいだけなのに。
『世界一のカステーラ職人になる』という目標は諦めなくてはならなかったが、奇しくも『魔力』を与えられ、サタンと同じ立場に立つことになったのだ。彼の記憶に残ることは可能になったのだが……今の関係では、悪い印象しかないだろう。
どうしてこうなってしまうのかという疑問に答えるのは、己の翼で風を送りつつ、マモンの黒い羽を整えるジョエルである。
「それだけティアリードを大切に思っていらっしゃるからでしょう」
その言葉に頷く自分と頷けない自分が居て、マモンは顔を顰めた。
大切でないとは言えないだろう。幼少時は周囲に蔑まされて生きてきたのだ。あんな人間をもう二度と作らないことは、領主となったマモンのどうしても譲れないことである。だが、こうして必死になって領主であろうとしている根っこには……やはりサタンの手の温もりが関係しているのだ。
「この世に、サタン様と喧嘩できる者など他にはいらっしゃいませんよ。それだけでもすごいことではありませんか」
例え喧嘩ばかりでも特別なのだと言う長い付き合いの部下に、心から納得できてはいなかったがコクリと頷いた。
「今日もお綺麗です」
見つめる緑はうっとりとして、かつ妖しげに光る。が、背後からそれを聞いているマモンは知る由もない。
俺の…俺だけの、マモン様。
この人だけは、誰にもあげない。
サタンはもちろん、神にだって。
だから、道など外さないし、外させない。
そうしてふたり、永遠に生きるんだから。
誓うように、黒い翼に唇が触れる。
- end -
2015-6-17
「Guidepost」様のキャラ(まだ未登場…なのかな?)をお借りして書いたお話…第四段です。
設定としていただいたキャラの、マモンとジョエルのお話でございます。
主役はマモンなんですが、ジョエルの話だな、という終わりになりました。
マモンの設定に、サタンとよく喧嘩するという設定があったのもあって、サタン様がこちらにも出張しております。でも、やっぱり名脇役☆
屑深星夜 2015.5.30完成