かもめ旅行社

かもめ旅行社


 ジリリリーン、ジリリリーン!

 太陽がさんさんと降り注ぐ外よりはマシだが、カタカタと音を立てて風を送る扇風機ひとつでは、この夏の暑さには残念ながら太刀打ちできていない。
 そんな中、黒いボディーの美しい電話が蝉の大合唱に負けじと鳴り響くが、部屋の主は客用ソファーに寝そべったまま動こうとしない。うとうとしつつも、手の届く位置にある木製のローテーブルの上でだらりと寝転がる愛猫 ―― 金糸雀〔カナリア〕に手を伸ばしている。彼女が「暑いから触らないで」とでも言うように態勢を変えて離れていくと、名残惜しそうにしばらく蠢いた手は主人の腹の上に戻った。

 ジリリリーン、ジリリリーン!

 それでも鳴り止まない電話の音に慌ただしい足音が近づいてくる。持ち主が、その勢いまま木製のドアをバーンと開けるのとほぼ同時に、ベルの音が止んだ。
「ざんねーん。一足遅かったね」
「……社長。いるなら電話くらい出てくださいよ」
「やーだよー。今日は眠いから仕事なんてしなーい。燕木〔ツバメギ〕が出ればいいだろー」
 きっとこれが、毎度のことなのだろう。子どものような返事に大げさにため息を吐いた燕木は、己の短い黒髪をクシャリと撫でた。と、再び電話が鳴り始める。社長である雀森〔スズモリ〕に期待しても無駄だと知っている燕木は、電話が乗っている社長用の机へ早足に近寄ると受話器を取る。
「お電話ありが…と…」

 チン!

 営業スマイルを浮かべたまま固まる部下の前でニヤリと笑う男は、ついさっきまで少し離れたソファーで寝ていたはず。なのに、瞬間移動したかのようにいつの間にか移動していた彼は、その手で電話のフックをしっかりと押さえていた。
「何で切ってるんですか!?」
「今日は仕事しない日なんだよ」
 だから、部下である燕木にも仕事はさせないということなのだろう。言いながらフックから手を離した雀森は、机に両肘をついて手の平に顎を乗せた。
 ついさっき電話に出ろと言った口でそう言うか! と思わず言いそうになったが、それで堪える男ではないことを長い付き合いで知っている燕木は、ひとつ深呼吸をすると細めた藍色の瞳で上司を睨みつける。
「いつも仕事しない日の間違いでしょう?」
「えー? してる日もあるよ?」
「30回に1回くらいですけどね」
「きみ、わざわざ数えてるのかい? 暇だなー。やっぱり燕木が仕事すればいいんだね」
 ああ言えばこう言う。話術がそれほど得意ではない燕木が雀森に勝てたことは一度もないのだ。これ以上言い返すことを諦めた燕木は、心の中のモヤモヤを晴らすようにガチャンと大きな音を立てて受話器を戻した。

 ジリリリーン、ジリリリーン!

 今日はよく電話がかかってくる日だな……。
 そう思いながらチラリと雀森を見れば、ニコニコと笑っているだけで電話を取る気は全くないらしい。燕木は、また切られることを覚悟しながらも受話器を取った。
「お電話ありがとうございます。『かもめ旅行社』でございます」

『……あ、の……』

 それは、電話口の燕木ですら聞き取れるか聞き取れないかの小さな声だった。にも関わらず、目にも止まらぬ早さで受話器を奪取した雀森は、受話器から聞こえる声に、その深紅の瞳をそれは嬉しそうに細めたのだった。



 『かもめ旅行社』は、周囲ぐるりと森に囲まれた小さな洋館にある。旅行社の看板を掲げてはいるものの、その様相は万屋に近く、電話してきた客の要望を叶えることを仕事としている。
 社員は、日本人とは思えない金色がかった亜麻色の髪の持ち主である雀森と、これぞ日本人と言える黒髪でバカがつくほど真面目な燕木の2人だけ。しばしばお客に「手は足りてるのか?」と聞かれるが、今日生きていければそれでいいという考えの持ち主である雀森が社長なのだ。怠けるための努力を惜しまない彼の目をかいくぐり、手に負えないほどの仕事が舞い込んでくることなど、これまで一度としてなかった。



「お客様をお連れしました」
 燕木が開けたドアから入ってきたのは、20代くらいの女性であった。レースの付いた白いワンピースを着た彼女の腕には、同じような真っ白い日傘がかかっている。
「お疲れではないですか?」
「大丈夫です。そんなに歩いていませんから」
「それならよかったです……って社長! お客様の前ですよ。ちゃんと座ってください」
「やーだよー。ぼくはぼくの好きにするー」
 定位置であるソファーにうつ伏せになりながら扇風機の風を浴びている雀森を見て、客である女性は、対面にあるひとりがけのソファーに座りながらクスクス笑う。
「……あ、ごめんなさい。そこにいる猫ちゃんと同じ格好をしていらっしゃるなぁと思ったら思わず……」
 初対面の相手に対する非礼を詫びる彼女に、ムクリと起き上がった雀森は爽やかに笑いながら肩を竦める。
「こいつはぼくの分身なんですよ。なー」
 その言葉に、ローテーブルの上で寝ていた金糸雀がタイミングよく返事して顔を見合わせる。そんな一瞬の間の後、3種の笑い声が室内に響いたのだった。



 『かもめ旅行社』にやってきた女性は、雁林〔カリン〕と名乗った。三つ編みにされた長い茶色がかった黒髪は、猫でなくても思わず手を伸ばしたくなるほどで、しばし遊ばせてもらった金糸雀は、その柔らかな膝の上で丸くなっていた。
 燕木が出した麦茶を飲みながら談笑することしばらく。チリーンと涼やかな音を届ける風鈴をしばらく見つめた雁林は、静かに口を開く。
「実は……いなくなった猫の行方を捜して欲しいんです」
 生まれつき身体が弱い彼女は、大人になるまで外に出ることもままならなかった。そんな雁林の日々の慰めになればと、両親は動物を飼うことを許してくれたという。金魚に小鳥、亀に犬。多くの生き物に囲まれて暮らしていたが、彼女の1番のお気に入りは猫であった。
「毛並みは、丁度この子みたいな茶トラで、日の当たり方で金色にも見えるんです。だから、金雀〔ヒワ〕って名前をつけました」
 そう言う彼女に頭を撫でられながら、金糸雀は尻尾をパタパタ揺らす。
「でも、少し前にパッタリと姿を見せなくなってしまって。家の中のどこにもいないので外に出たんだと思うのですが、わたしの身体ではなかなか探すことができなくて……」
 成長と共に少しは丈夫になったとはいえ、1日ずっと猫の捜索ができるほどではなかった。だからこそ燕木は、この部屋にやってきた彼女に疲れていないかと聞いたのだ。
「……お願い、できますか?」
 黒曜石のような瞳はとても真剣で、その金雀という猫が彼女にとってどれほど大切なのかが窺い知れた。
 だが、燕木はその問いに軽々しく答えることはできず、社長の横顔をチラリと見る。雁林と燕木、2人の視線を受けた雀森は、顎に手を添えて何か考えている。

 チリーン……

 外から吹き込んで来た風によって、社長の机の上に置かれた蚊遣豚が吐き出す煙が大きく揺れた。
「それならこの燕木に任せるといいですよ。こいつは魔法使いなんで、あっという間に探し出してくれますから」
「ちょ…!!?」
「まぁ、そうなんですか」
 自由人の上司が言い出したことに、燕木は思わず立ち上がる。そして、胸の前で手を合わせて喜びの表情を見せる雁林に、「ちょっとすみません」と断って入口ドアまで雀森を引っ張っていくと、息の混ざる小声で話し出す。
「何言ってるんですかっ」
「嘘は言ってないだろう?」
「でも……」
 そこで深紅の瞳が真っ直ぐに燕木を射抜き、続く言葉を遮る。
「『いる』んだろう?」
 どこに『いる』のかわかっているのだろう。男の意図をしっかりと読み取った燕木は、嘘を吐くのは大の苦手だ。吐いてもすぐにバレるのがわかっている彼は、頷くことしか選べない。
「は、はい」
「なら、探せるね」
「探せても、やったら俺の首が飛びますよ!」
「飛ばない飛ばない」
「あなたが飛ばすわけじゃないでしょう」
「ぼくじゃなくてもだよ」
「そんな! わからないじゃないですか!」
「わかる」
 きっぱりとそう言った雀森は、焦って挙動不審な行動をしはじめた燕木の白シャツの首元をグイと引き寄せる。

「『ぼく』を生かしてくれてるんだからね。神様の心は空よりも広いよ」

 ニッコリと笑ったその顔は、紛れもなく『彼』のものだった。

「あの! 無理だったらいいんです。時間はかかりますが、少しずつ自分で探しますから……」
 内緒話をする2人の様子に簡単なことではないのだと思ったのか。そう言い出した雁林に、燕木は眉をハの字に歪める。

 彼女に残された時間はあと2日と少し。その間に探し出せるとは思えないし、そもそも『ここ』で探しても無駄なのだ。彼女の愛猫が『いる』のは、『ここ』ではないのだから。

 己の首にひやりとした空気を感じつつも、唾を飲み込んですっくと立ち上がった燕木は藍色の瞳を閉じる。少しすると、まるで下から風が吹いているかのように髪の毛がフワリと浮き上がって、黒が金に変化する。
 といっても、それは一瞬のこと。髪から部屋中に広がった金色の光は燕木の腕の中に集まって、気づけばそこに茶色の毛並みの1匹の猫がいた。
「金雀!」
「あなたを待っていたみたいですよ」
 駆け寄って来る雁林に言いながら猫を手渡すと、それに触れた瞬間、彼女の身体が徐々に薄く透明になっていく。それを不思議にも思わず立ったまま姿勢を正した雁林は、深く頭を下げながら消えてしまったのだった。



 三日月が僅かに大地を照らす、その日の夜。
 ある古い教会の墓地にある、これまた古い1つの墓の前に雀森が立っていた。足元には犬のようにチョコンと座る金糸雀がいる。雀森の視線は、長いこと雨風に晒されていたことで消えてしまった墓標に注がれているが、己を見上げる愛猫の視線に促されるように、手に持っていた1本の深紅の薔薇をそれに捧げた。
「あなたの『心残り』、元気そうで良かったですね」
 いつの間に背後に来ていたのか。敢えて真横に並ばずに声をかけてきた燕木に、振り返らずに肩を竦める。
「死んだ人間に元気はおかしくないかい?」
「じゃあ、ちゃんと天国へ行けて良かったですねって言えばいいんですか?」
「うん、そうだね」
 雀森のことだ。それだけで終わるはずがないと身構えていたのだが、素直に頷かれて拍子抜けしてしまう。だが、寂しさ漂う背中に感じた既視感に、長いため息が零れた。
「……もう、何度目です?」
「さぁ? あぁ。でも、この姿で会うのは初めてだよ」

 『この姿』

 燕木の記憶にあるだけでも、雀森の外見は8回変わっていた。


 この世で死を迎えた魂は、天国か地獄へ行って転生が許される時を待つことになる。
 しかし、何か『心残り』があると、魂が現世に留まってしまうことがある。1日2日でそれが晴れれば問題ないのだが……丸3日を過ぎると、魂は天国にも地獄にも行けなくなってしまうのだ。
 そうして現世に残ってしまった魂は、彷徨っているうちに映していた生前の姿を失って、まるで別人の姿となり。同時に少しずつ記憶も失っていき、最後には、人であって人でない……ただそこにいるだけの存在になる。


「転生する機会を棒に振った魂は、この世にいるうちに変質し、全てを忘れていくっていうのに。外見だけしか変わらないのはどういう仕組みですか」
「神様に聞いてみたら? 天国の狩人、燕木くん」
 言いながらひらひら右手を振った様子も、以前の姿の時とダブって見えて、中身は全く変わりないのだと、燕木は改めて思う。


 燕木は人間ではない。
 現世流に言うならば天使というのが1番近いかもしれないが、神様の元で働く天国の住人の1人である。
 その中でも狩人と呼ばれる者は、現世に留まって全てを忘れてしまった魂を支給された大きな鎌で刈り取り、光となった魂の欠片をランプに集める仕事をしている。そうして集められた欠片は、大きな丸底フラスコのようなものに入れて融かされて、そこからまた新しい人間の魂が作られるのである。
 もう何十年……何百年前のことだろう。仕事の途中で雀森と出会ったのは。
「きみたちの仕事を減らすいい案があるんだけど、どう?」
 その、魂が変質していても記憶をなくしていない、これまでにない浮遊霊であった彼の提案を、思わず天国へと持ち帰ってしまったのは、それが魅力的にも思えたからである。
 3日の間であれば、心残りを果たせば人の魂は勝手に天国へと還るのだ。心残りを無くす手伝いをする場所を作れば、現世に留まる魂も減りそれを刈り取る手間も減る。一石二鳥だと言う雀森の案を神様が採用したことで『かもめ旅行社』が生まれたのだった。


「あなたのおかげで、迷いやすい彼女の魂も『彼女』のまま転生し続けていますよ。でも、前世を覚えている人はほとんどいませんから、『あなた』を知ってる『彼女』の記憶なんて、転生を繰り返した魂にとっては、あってないようなものですよ。それでもまだ続けるんです?」
「きみはぼくが『彼女』に会う度に同じこと聞くね」
「あなたが答えてくれないからですよ」
 クスクス笑いながらその場にしゃがみ込む雀森に、一歩近づいて問う。
「ずっと、そうして生きていくんです?」
「死んでるけどね」
「あなたは、決して『あなた』としては行けない場所に迷う魂を還し続けて。それで満足なんですか?」
 燕木は己の両手を天へと向ける。と、右手には銀の大鎌が。左手には蛍のような小さな光が瞬くランプが現れた。

 何度聞いても、誤魔化されて終わりであったこと。だが、彼の答えが是以外であるならば、今日こそその魂を刈り取ると燕木は決めていた。
 生前の記憶も『心残り』も忘れられずに、魂のまま彷徨い続けることは辛いことではないのだろうか。
 己のことを何も覚えていない、昔『心残り』であった人と関わることは、苦しいことではないだろうか。

 この生活が彼を満たすものでないならば、自分がそれを終わらせる。

 これまで、自我のはっきりしている魂を刈り取ったことがないことも、出会いのときに狩人としての仕事を全うできなかった原因でもある。だが、長いこと『かもめ旅行社』で共に過ごしてきたことで、やっと、この鎌を雀森に向けることができるようになったのだ。

 雀森が何の反応も見せなかったのは、ほんの一瞬だったかもしれない。が、燕木にとってはその一瞬が永遠に思える程長く、鎌を握る手がブルブルと震え、息が荒くなる。
 それを落ち着かせるように遠くから梟の鳴く声が響き、ふっと肩の力が抜けたときだった。

「……うん」

 眼を閉じた月から、煌めく星の涙が流れ落ちるように。
 雀森の頬から、小さな雫がキラキラと零れ落ちていった。


 パッと鎌とランプを消した燕木を、潤みの残る深紅の瞳が振り返る。
「燕木は優しいなー」
「そう思うなら、もう少し仕事して俺の本来の仕事を減らしてくださいよ」
「やーだよー。仕事はしなーい。だらだら寝て過ごすー。ぼくは猫だもーん。な、金糸雀」
 寄り添っていた愛猫を抱き上げて立ち上がった彼は、『彼』らしい笑みを浮かべており、刈り取らなかったことを少し後悔するほどに、憎らしくも思えるダメ上司に戻ってしまっていて、燕木はなんとも言えない表情で笑う。

「またね、ぼくの小鳥」

 立ち去る前にもう1度。振り返って『彼女』の墓に向かってそう言うと、雀森はふわりとそこから姿を消す。
 向かう先はもちろん、どこにでもあって、どこにでもない。必要な者の傍に寄り添う古い洋館だ。


 そして。
 今日もまた『かもめ旅行社』に、黒い電話のベルが響く。

- end -

2015-6-17

リカチリカ」のフユナギ様の考えたキャラをお借りして書いかせていただきました!

設定としていただいたキャラは、雀森と燕木でございます。
私が書くとやっぱり、私らしい動きになってしまうなぁ……と思いました!

昭和レトロっぽいと思わせつつも、途中からもう、完全なるファンタジーですいませんでしたぁぁぁ!!!!
でも楽しかったです! ありがとうございました!


屑深星夜 2015.6.5完成