凍鉉 1

「依頼」


 表通りでは、太陽がサンサンと降り注いでいるというのに、ジメッとした空気の支配する裏通りに一歩入ると、押し迫るように建っている建物の所為だけでなく、明るさがグンと下がる。
 そんな裏通りを奥の奥。廃墟となったビルの地下に足を踏み入れる者たちがいた。
 身体つきのがっちりとした黒服の男たちに囲まれて立つのは、分厚い脂肪を身に纏った……女。黒い毛皮のコートに身を包み、唾の広い帽子を身に着けているため顔を確認できたわけではなかったが、その場にそぐわない白粉と香水の匂いが、彼女の性別をはっきりとさせていた。
 ゴミ溜めのようなその場の空気が許せないのか、白いハンカチを口元に宛てた女は、開いている手で、目の前にある扉を開けるように周囲の男たちを促す。一番近い場所にいた者がそれに頷き、錆びたドアに拳を近づける。
『用があるならさっさと入ってきたらどうだ』
 声は一言も発していない。それでも、中にいる者は自分たちの存在に気付いていたらしい。その事実に驚いてノックできずにいた男だったが、雇い主である女に背を叩かれて慌ててドアノブを捻った。
 外でさえ暗いというのに、明かりのない室内は闇に包まれている。
「キャ!」
「だ、大丈夫ですか!」
 入ってすぐ、3段ほど続く階段を踏み外した女が用心棒たちに助け起こされる。
「あぁ、そなたらには明かりが必要か」
 漸く思い出したと言わんばかりの声に、すぐそこの机にランプがあると告げられ、男の1人がセットになって置いてあったマッチで明かりを点けた。
 ふわり、橙色の淡い光に照らされた部屋の壁はコンクリート張りのまま。中央に置かれた机と、その向かい合った二辺に椅子が1つずつ置かれている以外に、家具らしい家具は認められなかった。
「どうぞ、お座りを」
 そう進める男の水色の髪がサラリと揺れる。その瞳はピッタリと閉じられていたが、彼の視線はしっかりと正面に立つ女性に向けられていた。
 古びた木製のそれは、女が座れば壊れてしまいそうなほど脆弱だ。幸いなのは埃にまみれていたため、彼女自身がそれに座ることを拒否したことだ。
「お前が『凍星(いてぼし)』なの?」
 男たちがホッと息を吐く気配に僅かに首を傾げた男だったが、女の言葉に徐に頷いて見せる。
「いかにも。私が『凍星』だ」
「おおいやだ。盲(めしい)じゃないの。こんなのに頼んで本当に大丈夫なの?」
 盲という言葉に『凍星』の肩が震えた瞬間、部屋の中の温度が数度下がった……ような気がした。
「この私の腕を疑うと言うなら、今ここでお主を殺ってもいいが?」
 いつの間に移動していたのか。姿勢を低くした状態で机に乗り上げていた男の右手に握られた銀色の針が、女の首を狙っていた。
「ヒィ…ッ!」
「奥様!!」
 周囲の男たちが驚いて懐にあった銃を向けるも、瞬間的に2人の周囲を囲む分厚い氷の壁に阻まれて意味をなさない。
「どうする? 今ここで死ぬか?」
 寒さからか、恐怖からか。腰を抜かすこともできずにブルブルと震えるしかなかった女は、その問いかけにぎこちなく首を横に振るしかできない。
「標的は?」
「ク、グロシール男爵をっ!!」
「依頼料は?」
「こ、この中にある!」
 喋ることもままならない主人に代わって、氷の檻の外側から叫ぶ男たち。その様子を見る必要もない『凍星』は無言で壁を取り除くと、低い天井の中で器用にバク転し、ストンと元居た椅子に腰を下ろす。
 情けない悲鳴と共に床に崩れ落ちる女を囲む3人の男。残りの1人が手にしていたアタッシュケースを机の上で開き『凍星』へと向ける。
「500万入っている。依頼の完了を確認したら、もう500万届けよう」
 その中身に手を伸ばし、その表面だけでなく束になった裏側まで触れた『凍星』は、己の記憶の中にあるものと変わりないと確かめると、ゆっくと首を縦に振る。
「承知した。しばしお主の隠れ家で待っているがよかろう。必ず、よい知らせをもたらそう。グロシール男爵夫人」
 グタリと力を抜いたまま男たちに抱え上げられた女だったが、その名を聞いたとたんに脂肪に埋もれた緑色の瞳を限界まで見開いて恐怖に叫び出す。用心棒たちはその巨体を支えながら逃げるように部屋を出ていく。
 『凍星』は表情の変わらない顔を、真っ直ぐにそちらの方へと向けていた。

- continue -

2013-12-12

我が子、凍鉉(いづる)の1話目。


屑深星夜 2013.11.27完成