タソガレ - 3/16
身体全体に広がる喪失感。
大切な仲間との別れが自分に涙を流させるのだ、とパステルは思っていた。
透き通った雫は止めようとして止まるものではなく、拭っても拭っても後から湧いて出る。
……もう、枯れるまで泣けばいいよね。
と半ば諦めたパステルは、時折ズキリと痛む胸を抱えながら流れるに任せた。
彼女の様子に心配したクレイは、ルーミィとシロを自分たちの部屋で預かってくれた。
そのためパステルは、夕飯も食べずに自分のベッドで思う存分泣くことができたのだ。
昨夜あまり眠っていなかったこともあり、日付が変わるころには彼女の記憶は途切れ……朝、起きたときには涙も乾いていた。
しかし、ポッカリ穴が開いたような感覚は相変わらず。
胸は昨日よりも、硬い石を詰め込まれたようにズキズキと痛んだ。
大丈夫。この寂しさにもすぐ慣れるはず。
仲間たちにこれ以上心配をかけてもいけないと、そう言い聞かせたパステルは、腫れた瞼を抱えてではあったが、みんなの待つ朝食のテーブルについたのだった。
何も言わずに笑顔で迎え、朝食を食べた後はバイトに出かけて行ったクレイ。
ノルは、心配して離れようとしなかったルーミィとシロを連れて外へ遊びに行ってくれ……旅館には、後片付けをしているパステルと食後のお茶を楽しむキットンが残った。
洗い物を終えてテーブルを拭きに来たパステルに、キットンは静かに声をかける。
「トラップがいなくなって寂しいですか?」
ほんの一瞬ではあったが、忘れていたはずのその思いに締めつけられた胸を抑えたパステルはゆっくりと頷いた。
それを見たキットンは、持っていたカップを置くと苦々しく笑う。
「わたしたちも寂しいですよ。いるとうるさいばかりでどうにもなりませんが…いざ、いなくなるとね」
「そう……だよね」
「しかし、わたしたちはあなたのように涙は出ませんし、それが彼のためと思えば黙って見送ることができました」
ルーミィとシロは別だが、その言葉どおり他のメンバーは涙を見せることはなかった。
寂しそうではあったが、笑顔でトラップを送り出していたのだ。
一度言葉を切ったキットンは、僅かに首を傾けてパステルに問う。
「パステル。あなたの涙は…わたしやクレイ、ノルがいなくなったときにも同じように流れますか? ちょっと想像してみてください」
言われるがままにその状況を思い浮かべる。
昨日と同じ真っ赤な夕焼け広がる空の下、乗り合い馬車へと乗り込むのは…クレイにキットン、ノル。
想像の中の別れは、パステルの胸をキュッと締め付けた。
しかしそれは、悲しくもあったが、本人にとってその別れが必要なもの…と思えば笑って見送れた。
「……それは、トラップのときと同じですか?」
トラップにとって、昨日の別れは必要なものだった。
パステルには頷くことができなかったが、本人が望んでいたこと。
これは、想像の中の他メンバーとの別れと同じ状況であったはず。
にもかかわらず、パステルは……笑って見送ることができなかった。
………同じじゃない。
昨日味わった喪失感は、家族を失ったときに経験したものと似ている。
パステルにとって、とてつもなく大切な人を失ってしまったとき以来の感覚だった。
明らかな違いに気づいた彼女は、勢いよく首を横に振った。
「違う!」
「……では、その気持ちをトラップに伝えてあげてください。あなたのためにも、トラップのためにも…その方が絶対にいいですよ」
「……うんっ!!!」
自分の背を押してくれたキットンに思いっきり頷いたパステルは、昨日トラップが旅立ったエベリンへと向かったのだった。
相変わらず人ごみの多い街中。
無闇に歩き回るほど迷うことがわかっていたパステルは、人に聞きながらマリーナの店までやってきた。
トラップのこと。
ここにいるいないは別にしても、妹分でもある彼女のところには必ず顔を出しているはず。
そう思っての判断だったが、もし手がかりがなかったらどうしようか…とパステルの胸は不安で一杯だった。
開いている様子のない店の扉をノックするが、返事はない。
古着屋だけでなく詐欺師の仕事もしているマリーナだ。
もしかしたらそちらの仕事で、今日だけでなく昨日もいなかったかもしれない。
そうなると、トラップがここに来ていたとしても…誰も知る人はいないことになる。
可能性の高い方がだめになってため息を吐いたパステルは、上半身を折ってドアノブにもたれかかった。
昨日の今日だ。
エベリン中の宿屋を訪ね歩けば、彼に会える可能性はまだまだ高いだろう。
しかし、シルバーリーブとは違い、広くてたくさんの宿があるこの街では、パステル1人で探すには限界がある。
1度戻って仲間の力を借りようか…と悩みながら顔を上げたとき、滑った手がドアノブを偶然回した。
カチャ…ッ
パステルは、小さな音を立てて開いたドアに目を見開いた。
どうやらマリーナはちょっとした用事で店を開けているだけのようだった。
それならば、帰ってくるまでしばらく待たせてもらおう…と中へ入ると、少し遠くから声が聞こえる。
「…んだよ、マリーナ。自分の店だろ? ノックなんてして入ってくんなよ……」
聞けなくなってまだ1日も経ってはいない。
けれども、聞きたかった声に再び涙が溢れて…パステルは声がした方に駆け出した。
そして、1つ奥に入った部屋のソファにやる気なく寝転んでいたその胸に、覆いかぶさるように抱きついた。
「な!?」
てっきりマリーナだと思っていたトラップは、その重みに驚いて顔に被せていた帽子をどけた。
とたん、目に入ってきたここにいるはずのない人物の姿を認めてその名前を叫ぶ。
「パ…パステルっ!?」
「好き…っ! やっぱり…トラップが、好き!!!」
「おい…?」
「だから側にいて……一緒にいてよ。じゃなきゃ、心から笑ってなんかいられないもん!」
まだ混乱していた頭のままゆっくり身体を起こすが、パステルは少しも自分の胸から身体を離そうとしない。
そればかりか大きな声で泣きじゃくり、背中に回った腕がギュッと己を抱きしめた。
好き。
側にいなければ、心から笑っていられない。
パステルの温もりと共にやっと事態が把握できたトラップは、感極まって彼女の身体を抱きしめ返す。
「いくらでもいてやるよっ! おめぇのためにも、おれのためにも……な」
……それからマリーナが買い物から帰ってくるまで、2人はずっと互いの体温を感じ合っていた。
全ての事情を話したマリーナにニヤニヤ顔で見送られ、パステルたちはシルバーリーブへと戻る乗合馬車に乗った。
馬車の中では気恥ずかしさからか2人とも黙ったままだったが、その手は固く握られていた。
シルバーリーブにたどり着いたころには、すっかり夕暮れ時。
雲1つない赤い空には、巣へと帰る鳥の影が弧を描く。
2人は、変わらず手を繋いだまま慣れた道を旅館に向かって歩いて行った。
だんだんと近づいてくる宿の入り口には、仲間たちの影が。
それに気づいたパステルは、開いている方の手を大きく振った。
戻ってきた仲間を温かく迎え入れる大小5つの笑顔は、茜色に染まり……恋人たちの頬も、同じ色に染まっていた。
fin
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