“大小”恋物語 5

5.視線は語る ver.涼


 はぁ……

 電車に揺られながら、俺は思わずため息を吐いていた。
 原因はわかっている。今日もある人物を見つめ続ける、将磨のせいだ。


 視線の先にいる女は、小竹 由衣子と言うらしい。(名前や年齢などの基本的なことについては、柳楽が同じ中学出身だったおかげで簡単にわかったのだが)
 正直パッとしないごく普通の容姿に、申し訳程度の化粧。元から童顔な顔を一層若く見せるのは…小学生かと突っ込みたくなるような背の低さ。
 俺にはどこがいいのかさっぱりわからんが、将磨にはピタリとはまったようだった。

 出会いは、もう2か月ほど前の通学電車の中で…だった。
 急ブレーキのせいで倒れそうになったチビ女を側にいた将磨が助けた。普段、女に免疫のないこいつは、礼と共に向けられた笑顔にやられたらしい。
 その顔が忘れられずに、1週間。
 寝不足になるほど悶々と過ごしたくせに、原因が何かこれっぽっちも気づかないこいつにこっちが呆れた。

『それは恋だ』

 教えて初めて自覚した将磨は、ボンと音を立てるように一瞬にして真っ赤になった。図体はでかくなってもこういうところはチビだった昔とかわらない。
 そんな、手のかかる幼馴染に訪れた初めての春に、少しは手伝ってやるか…と手を貸してやったのが間違いだった。

 話しかける勇気はないが、その姿は見ていたい。

 片思いの相手がいる者なら、誰しも持つ感情だろう。ただ、中学高校ならいざ知らず…別の大学に通う女に惚れるとこうも面倒なことになるとは思ってもみなかった。
 自覚後の2週間で、同じ電車に乗れる時間まで調べ上げやがった。
 2年生でも1限目からの授業が多いようで、月・火・金は出会ったときと同じ時間の電車に乗るようだった。これは将磨にとっては嬉しいことだろうが…問題は、同じ電車に乗るならこっちは地獄の坂を駆け上らなければならないってこと。
 1回や2回ならいい。
 …が、この状態がもう3週間だぞ!? 付き合わされるこっちの身にもなれ!!! と言いたくもなったが、放っておけないのは長い付き合いのせいか。


「どした? かんかん。んな大きなため息ついて」
 電車の中だからか、小声で話しかけてきた柳楽を睨みつける。
「かんかんって呼ぶな」
「もー…かんかんったら、いいかげん慣れてよ」
 言いながらバシバシと俺の肩を叩く姿は、まるで中年の主婦よう…。
「慣れるか!」
俺は、心底面白そうな柳楽の手を乱暴に掴んでそこから下ろさせた。
 柳楽は笑みを崩さずそれを受け入れ、再び俺に聞いてくる。
「で、どした?」
「……ここのところの地獄の坂ダッシュを思い出してた」
「あー…あれはため息も出るってな」
 何度か頷いて同意した後、今度は呆れも含んだ顔で言いやがる。
「にしても、かんかんってほんとおーしょーのこと好きね?」
「あぁ?」
「だって、そうでもなきゃわざわざ一緒に登校したりしねぇだろ。あ、オレが一緒に行かないのはおーしょーが嫌いだからってわけじゃねぇかんな。オレの身体がポンコツなせい☆」
 男のくせに頬に人差し指を当ててポーズを取るこいつに、更に深いため息が出た。

 確かに柳楽は、月・火・金は俺たちと一緒には来ない。だが、チビ女たちは1限からで、俺たちは2限から…という今日と同じ木曜日だけは同じ電車で行く。
 その事実だけで、それなりに将磨を気に入っているのがわかる。が、だからって俺が将磨と登校している理由が“好きだから”ってことにはならないだろ。

「馬鹿か。ただの腐れ縁だ」

 …そう。ただ、これまでの人生の半分以上一緒にいたもんだから、放っておけないってだけだ。


 将磨との出会いは、小1のとき。同じクラスで、名簿順に並ぶと前後の関係。
 最初はそれだけだった。
 けど、あいつは生まれた月が遅いということもあり誰よりもチビ。
 人見知りだったのか…それとも、ただ自分に自信がないだけなのか。いつも周囲に対してオドオドしていて、何かと目立っていた。
 そういう人と違う者をからかうやつはどこにでもいるわけで。虐めの対象になりはじめたこいつを見かねて助けてやったせいで、何かと俺に頼るようになった。
 おかげで、ここからはもう…教師の作為を感じるな。
 中学3年までの12年間、ずっと同じクラス。高校ではさすがに離れるかと思ったが、理系で選択が同じだったこともあり、驚きの15年間ずっとクラスメイトってやつだ。

 別に離れようと思えばいつだってできたはずだ。中3で俺の身長を追い越してからは、虐められる理由もなくなったわけだしな。
 だが、それでも変わらず頼ってくる将磨を放っておけず。気がついてみればこの年まで一緒にいたってだけの、本当に…ただの腐れ縁だ。


 7月になっても未だに明けない梅雨のせいで、今日も雨。車内は冷房が入っていても蒸していて、何度ため息をついてもイライラ感はなくならず…。
 チラッと隣に立つ将磨を見れば、チビ女を見つめ続けるその横顔は幸せそうに微笑んでいやがった。

 それだけで満足なのか、お前はっ!? この状況が今後も続くと考えるだけで…俺は頭が痛い。


 痛む額を押さえているうちに、藤間を通り過ぎ群青駅に着いていた。
 改札を出て、傘をさして大学までの道を歩き出すと、1歩後ろをついて来る将磨がボソリと呟く。
「……今日も可愛かったな……」
 その満足気な声に益々イラついた俺は、ギッと背後を睨む。
「後ろ姿だけでわかるわけないだろ」
「わかるよ! 立ってるだけでも可愛い!」
「チビだからな」
「チビって言うな!!」
 隣までやって来て、俺の黒シャツの袖を掴んできた将磨の目は、好きな女をけなされたせいで珍しく怒った色をしている。そんな様子すらも癇に障って、思いっきり右手を振って将磨の手を引き剥がす。
 と、ハハハッとなんとも明るい笑いが背後から聞こえて来て、俺たちは思わず足を止めて振り返った。もちろん、声の主は一緒にいたもう1人 ―― 柳楽だ。
「かんかん毒舌〜」
「まだ言うか!」
 噛みつく俺に、柳楽は紺色の傘の下で肩を竦めて言いやがる。
「オレの記憶が正しけりゃ、ちーちゃんは可愛いぜ?」
「ちーちゃんって…まさか?」
「そ。おーしょーの想い人のこと。小竹の“コ”は“小さい”だろ? だからちーちゃん。ちっちゃいからってわけじゃねぇからな〜」
 その男にしては高くて馬鹿らしい声を聞いているうちにすっかり毒気を抜かれた俺は、
「…相変わらずお前のネーミングセンスはわからんな…」
と言いながらゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。
 不思議とそれだけでさっきまで感じていたイライラも頭痛も納まってしまった。そんな俺を見て笑いを深めた柳楽は、まださっきのことで眉間にいつもの倍は皺を寄せてた将磨に近づく。
「ま、とにかくおーしょーが笑顔にやられんのもわかるね、オレは」
「だよな!」
 同意を得られたことで機嫌を直した将磨は、電車内でチビ女を見つめていたときと同じ幸せそうな微笑みを浮かべる。
 それを見ても今度はイラつくことはなく。俺は落ちついた声音で将磨に話しかける。
「将磨、これだけは言っとく。お前、ずっと見てるだけで満足なのか? この梅雨空みたいにグズグズしやがって……相手が気づいてたとしたら、お前半分ストーカーだぞ?」
「う…」
 自分でもそう思っていたのかもしれない。痛いところを突かれた、とでも言うように胸を抑えた将磨を真っ直ぐに見上げる。
「このままじゃ一生、背景だぞ? それでもいいのか?」
「い、いやだ」
 珍しく、目も逸らすことなくすぐに返事が返って来て俺は少し驚いた。
 いつもならこいつは、考えていることがあってもなかなか口に出せない。最低でも1度は躊躇う上に、自信がなければ目を合わせて話すことすらできないのに。

 それほどあの女に本気だってことか。

 俺はそう心の中で呟きつつ、将磨に聞く。
「じゃあ、どうする?」
 今度の問いには不安げな顔になって、俺と柳楽を見た。
 しかし、これは将磨自身の問題だ。まずはこいつの意見を聞くべきだ、と柳楽も思っているのかはわからないが、俺たちはだんまりを決め込む。
 すると助けは貰えないとわかった将磨は、上を見たり下を見たり。視線をフラフラさせながら己の中で答えを探し始めた。
 2分後。やっと何かを見つけた将磨は俺の方を見た。が、決して視線を合わせようとはしないのは…自信がないってことの表れだ。
 俺よりも頭1つは大きい図体の男が、何度か口を開けては閉じる…というのを繰り返す姿はずっと見ていたいものではなかったが、この幼馴染に己の意見を言わせるには忍耐が必要だと経験上知っている俺は、とにかく待った。

「……話かけ、る?」

 答えを見つけてから更に1分。やっと聞こえた小さな声は、予想はしていたがあまりにも幼すぎてため息が出た。
 それを聞いてビクッと身体を震わせるこいつに、俺は右手の人さし指を突きつける。

「ぬるい。告白しろ!」
「え…えぇぇぇ!?」

 想像もしていなかった、とでもいう驚きように俺は額を押さえ、柳楽は声を上げて笑い出す。
「そうでもしなければあの女の記憶にすら残らないだろ」
「おーしょー純情すぎっ! んで、かんかんスパルタ!!」
 かんかんって呼ぶな、と睨みつけると柳楽はピタリと笑いを止めはしたが、俺ではなく将磨に1歩近寄る。
「でも、おーしょーが頑張るならいいこと教えてやるよ」
「え! な、何?」
 “いいこと”に思いっきり反応した将磨に、ニコリと微笑んだままの柳楽が首を傾ける。
「頑張るか?」

 何を頑張るかというと…俺が言った告白すること、だ。

 将磨にやる気があれば“いいこと”を教えてやるが、そうでなければ協力しない。その意思を言下に伝える柳楽にゴクリと唾を飲み込んだ将磨は、
「……う、うん」
ぎこちなくはあったが、しっかりと頷いた。
「「よし」」
 同じタイミングで声を出した柳楽を見ると、ニヤーッと嬉しそうな笑みで俺を見てやがる。それに鼻で笑ってやると、今度は将磨を見上げて言う。
「ちーちゃんのバイト先、教えてやるよ。さすがに電車内で告白は無理っしょ? 帰りは会えねぇしな。ちなみに、土曜日が狙い目だな。夕方までのシフトみてぇだし」
 何でお前があの女のバイト先なんか知ってるんだ、と聞きたかったがその隙を与えなかったのは将磨で。
「歩!!」
 自分が持ってた灰色のチェック柄の傘を投げ出して柳楽に抱きつく幼馴染に、俺は呆れて笑った。

- continue -

2013-11-23

屑深星夜 2010.12.18完成