プシュ――――…
『石山〔イシヤマ〕…石山…』
同じ車両の別の入口から乗り込む客の中に“いつもの”顔を見つけた私は、右手で持っていた傘を左手に預け、ポケットの中に入れていたMP3プレーヤーを取り出した。そして、今、気づいたかのように目の前に立つ由衣子の肩を叩く。
「そうそう、由衣子。この間見た『ブロークバック・マウンテン』の曲、気に入ってただろ?」
「うん! 内容自体も切ないラブストーリで泣けたけど、あの音楽も絶対涙を誘ってたもん!!」
「そのサントラ見つけたから買って入れといたんだ。聴くか?」
「え!? ホント!? 聴く聴く!!!」
嬉々としてプレーヤーを受け取った由衣子は、イヤホンをはめてすぐに曲を聴き始めた。それを確認した私は、隣に立ってニコニコしてる美知子に近づき、小声で話しかける。
「なぁ」
「はい?」
「あれ、絶対由衣子狙いだよな?」
顔の向きは変えずこっちへ少しだけ身体を寄せた美知子に顎で示した先には、さっき電車に乗り込んできた“いつもの”男が、吊皮に捕まった手の影からこっち ―― 由衣子の背中 ―― を見ていた。
私の方を見てたわけじゃなかったが、美知子にはそれだけで通じたらしく、
「そうね〜」
と相変わらずの間延びした声が返って来た。
「きっかけは絶対あの日だろ?」
あの日 ―― もう、2か月前のことだ。
電車に乗って大学に向かう途中、急ブレーキのせいで由衣子が倒れそうになったんだ。その時、私より頭1つ近く違う背の高い兄ちゃんが由衣子を助けてくれたんだ。
「……もしかして、これがきっかけで恋が芽生えたり?」
なーんて、あの時は冗談半分に言ったんだけど…どうやらそれが本当になったらしい。
最初のうちは時々見かけるなぁ…って程度だったんだが、2、3週間前からか? 水曜日以外の平日に、必ず同じ電車に乗ってる。
私が“いつもの”と言いたくなる気持ちもわかるだろ?
…と言っても、立ち位置の関係もあって由衣子は全く気付いてないんだが。
「本当に恋が芽生えてしまったみたいね〜」
「…うらやましい…」
ドアの方を向いて音楽に聴き入ってる由衣子と、それに熱い視線を送っている男とを交互に見ながら思わず本音を漏らせば、目だけでこっちを見上げる美知子がニコリと微笑む。
「さーちゃんの理想の男性は、自分より背の高い人だものね〜?」
「悪いか。そう思うのは勝手だろ? こんなんでも私は女なんだから」
言いながら肩を竦めた自分の脳裏に思わず浮かんできた顔に苦笑すると、美知子がそっと右手を握ってきた。
「…いつかわたしたちみたいに、さーちゃんのことぜーんぶ好きになってくれる人が現れるわ〜」
「……うん」
その温もりをギュッと握り返した私は、口角を上げて笑って見せると再び目線をあの男に向ける。
「それより、今は由衣子のことだよな。あの兄ちゃん…美知子から見てどうだ?」
「背が高くてあの目つきですから怖そうに見えますけど、悪い方には見えませんね〜」
そこで言葉を切ると、零れ落ちそうなほど大きな目を細める。
「それにあの瞳を見ていると、ゆっこのことを本当に想って下さってるのが伝わってくるわ〜。…さーちゃんは?」
「少なくとも、由衣子が盲目的に惚れてたあいつよりは数十倍マシだろ」
聞かれた私は、迷いなくそう言った。
あいつって言うのは、もちろん、谷岡 怜也〔タニオカ レイヤ〕のことだ。
元々映画好きだった私たち。性格もその他の趣味もバラバラな3人がこれだけ仲良くなったきっかけも、それだ。だから、大学生になって選んだサークルも映画に関するとこだった。
谷岡は2つ上の先輩。どれだけ脱色したんだってほど明るい髪色に、張り付いたヘラヘラ顔。
確かに見かけはカッコよくないこともない。話し上手だからか知らないけど、どんな人間とも瞬時に仲良くなれるってのはすごいと思った。が…それを変に悪用してるような節があるのがいただけない。
いつも周囲から人の姿が絶えることはなく。その中央でまるで王様みたいに笑ってる姿は、見てるこっちが嫌になるほどだった。
曲がりなりにも同じサークルに入っているだけあって、映画好きは同じ。持ち前の話術もあって、由衣子があいつに惹かれてくのにそう時間はかからなかった。
他の先輩やら“元カノ”の肩書きがつく何人もの人物から良くない噂を聞いていた。
“彼女”になるための第1条件は、己のルックスに似合う女。自分を目立たせるためだけのただの飾り物のようなもんで、扱い的には“彼女”というより“ペット”に近い。己の言う通りに動けばそれなりに長続きするが、わがままでも言ったらその瞬間用無しだ。
別に谷岡にとってそれは大した問題でもなく。1人ダメになれば、また次の女と取り換えるだけ…。
そんな最低の男なのにも関わらずあいつの周りに人が群がるのは、“友だち”には優しいのと……金持ちだからだ。
結構いいとこの坊ちゃんらしく、親が稼いだ金を豪快に使って見せる。まぁ、そのおかげで女に貢がせるってことがなかったのは唯一の救いなのか…?
私も美知子も、そんな男やめとけ、と何度も止めた。けど、『人を好きになる』ってことは、他人にどうにかできるもんじゃない。
―― いつか傷つくことになるかもしれない。
由衣子自身、どこかで考えてたと思う。
それでも、好きだから。どうしてもその気持ちを抑えられないから。募りに募った想いを告げた。
谷岡の好みとは正反対と言ってもいい由衣子だ。きっと断られるだろうと心のどこかで思ってた。だが、私たちの期待とは裏腹にあいつは由衣子の想いを受け入れた。
もちろん、由衣子は喜んだ。好きな男が自分の想いを受け入れてくれたんだ。喜ばない方がおかしいだろう。
いつでもどこでもあの男のことを考え。その好みに合わせて自分すらも変えて。何をされても言われても文句ひとつ言わない由衣子を、私たちはずっと見て来た。
なのに、結果はあれだ。
4月22日、由衣子の誕生日。努力ではどうにもならない理由で振りやがった。
呼び出されて行った城川公園で、私たちを見つけたとたんに泣きだしたその顔は今でも忘れられない。
あんな顔、2度とさせてなるものか!!
今も、由衣子の背から視線を外すことのない男がどんなやつかはわからない。でも、あの日由衣子を助けてくれたときの印象だけでも…谷岡なんかより何十倍も誠実そうだ。
「まぁ、どうするかは由衣子次第だけど、このまま様子見でいいんじゃないか?」
「そうね〜」
軽く頷いた美知子はクスリと音を立てて微笑む。
「失恋には新しい恋が効くとも言うものね」
「じゃ、私たちは由衣子の気持ちを優先しつつ、あの兄ちゃんの恋の応援をするってことで」
「はい〜」
私たちは、さっきからずっと繋いだままだった手を互いに力強く握り合った。
「冴ちゃん、このサントラ今度貸して!! 家でじっくり聴きたい〜!!」
イヤホンを外して私を見上げて来る由衣子の頬は、興奮で少し紅潮してる。
そんな様子に思わず目を細めながら頷く。
「あぁ、いいよ。土曜日、由衣子ん家行くとき持ってくよ」
「ホント!? ありがと!!!」
「いつも通り、ゆっこのバイト先に5時でいいかしら〜?」
「うん、それから家に移動して夜通しDVD鑑賞だね!」
「面白そうなのを探して持って行くわ〜」
美知子の満面の笑みにゾワッと鳥肌が立ってしまった。
今回の鑑賞会で見る作品を選ぶのは美知子だ。
美知子の言う“面白そうなの”の多くはホラー映画。あの容姿で恐怖モノが好きだっていうんだから…今まで付き合ってきた多くの男もさぞ面食らったことだろう。
現につい先週、付き合って1ヶ月の男を振ったところだ。告白され付き合う数は多くとも、長続きしないのが美知子の常。
「今度こそわたしの全部を好きになってくれる人かもしれない、って思っていつも付き合いはじめるんですけど〜」
悲しそうな瞳でため息吐いた美知子を、由衣子と2人で抱きしめて……その日はオールでカラオケに行って歌いまくってきたな。
まぁ、その流れもあって、今回は美知子がDVD選定者になっているわけなんだが。私としては、ホラーはできるなら避けたいジャンル。3人で見るから逃げ出さずにいられるけど…1人だったら絶対見ないもの。
いつもなら「嫌だ」「他のに変えろ」なんて軽口を叩いて紛らわせるが(だからと言ってホラーをやめてくれるわけじゃない)、そう言えない事情のおかげで鳥肌立ち放題だ……。
「……お、お手柔らかに頼む」
「楽しみにしてるね」
対照的に、映画なら何でも派の由衣子は笑顔。その顔を見ながら私はこっそりとため息を吐いた。
あぁ……。土曜日が来るのは楽しみだけど…少しだけ憂鬱だ。
- continue -
2013-11-23
屑深星夜 2010.12.20完成