「我が名はタート。使い魔の名はピアス=コンチ。我が身に宿る魔法の力よ、左手の証より現れいでよ!」
左手を口元に寄せ、己の瞳と同じ色に輝く紋章に声を響かせる。と、そこから現れた“魔法の力”が彼の身体を包み込み、目の前にふわりと1羽の蝶が現れた。
「行け」
藤色のそれは命じられるとヒラヒラと羽を動かしながら空高く舞い上がり、木で造られた重厚な門を越えて行った。
その門の向こうに静かに佇むレンガ造りの建物は、かつて自分も生活していた王立魔法学校の寮である。ここは、現役生には出るも入るも簡単な場所だが、卒業して部外者となってしまえば他の一般人と同じ。閉ざされた空間なのだ。
己の主の家名を出せば中に踏み込むことも可能だったが、当の主人がそれを拒むため、目的の人物が自ら外に出て来るようにタートは魔法を使ったのだった。
「ご主人様! 今、アキさんのところにたどり着いたみたいですよ」
上に広げた右手から可愛らしい少年の声が聞こえて来た。ちら、とそこに視線をやるタートの表情は複雑で。
「…そうか」
と、眉間に皺を寄せ変な形に口を曲げたままの彼に、ちょこんと手の平に乗せられていた巻き貝がため息をつく。
「そんな顔するなら引き受けなければよかったんじゃないですか?」
「言うんじゃない、ピアス。お嬢様のためならば俺は何だってやるんだ」
振り向きはしなかったが、言いながら横に動いた視線の先には中の建物と同じレンガ造りの塀にもたれかかって待っている少女 ―― トルテがいた。彼女に聞こえないように話すタートに、小さな使い魔は呆れた声を返す。
「あー…ますますロリコンに拍車がかかって」
「な…っ!? お前はなんてことを言うんだ!」
「だって、ご主人様に対する純粋な忠誠心だけ持っているって言うなら、そんな嫉妬丸出しの顔しないですよね?」
「うっ」
主人の胸に刺さるようなことを言いつつも、本人は面白がっているわけではなく…ただ思ったことを口にしただけだ。17年も付き合えばそのことがよくわかっているため、タートは、
「お前はどうしてそうズケズケと物を言うんだ……」
と、少し目を怒らせるもため息を吐いて肩を落とすことしかできなかった。
そこでやっと自分が言ったことが失礼なものだとに気付いた巻き貝は、己の身体を懸命に傾ける。
「ごめんなさーい! でもでも、僕、どうしても言わずにはいられなくて」
「……知っている。だからもう喋るな」
諦めたように言い放ったタートは、使い魔を優しく握ると己のスーツのポケットの中に突っ込んだ。
それとほぼ同時に、大きな木製の門に作られた人間ひとり分が通れるサイズの出入り口がギィッと音を立てて開いた。
まず姿を見せたのは、先程宙へと放った紫色の蝶で。ひらり、と舞うその後ろから薄い笑みを浮かべたアキが現れた。
タートの右肩に止まった蝶を追いかけていたアキは、そのまま彼の方へ歩み寄ると少しだけ首を傾げて口を開く。
「僕に何かご用でしょうか?」
「用があるのは私じゃない」
そう言われても、今アキの視界に入っている人物はタートだけだ。他に誰が…と思考を巡らせはじめてすぐ、
「アキ」
背後から名前を呼ばれて振り返った。そこには、別れた日よりもどことなく大人っぽくなったトルテがいた。
「……トルテ……」
「突然ごめんなさい。わたし、どうしてもアキに言わなきゃいけないことがあって…」
困ったように茶色の瞳を陰らせる彼に、軽く頭を下げた少女は己の声で話しかける。その様子に少しびっくりしていたアキは、続けられる言葉で更に驚くこととなる。
「わたし、アキのことが好きです。お父さまお母さまより……他の誰よりも、何よりも、あなたが好きなんです!」
「!」
大きく目を見開いた先では、頬すらもピンク色に染めたトルテが真っ直ぐ自分を見ている。
彼女の指先は微かに震え、逸らすことなく向けられた顔のどこにも嘘など見つからず…その姿がアキに己の口元を手で覆わせた。なぜなら、純粋に慕ってくれていたトルテの想いをまだ小さいからと否定していた自分が恥ずかしくてたまらなかったからだ。
政略的な婚約だと諦めていたのは……ちゃんと好きになれるはずがないと決めつけていたのはアキ自身。きっと相手も同じと思い込み、まだまだ子どもでちゃんとした恋愛感情なんて持ち合わせているはずがない、とトルテの表面しか見てこなかったのも自分だ。
今になって初めてそれに気づいたアキは、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「すみません………僕は、トルテを傷つけていましたね」
「アキはわたしの本当の気持ちを知らなかったんですもの。仕方ありません」
緩く首を振ったトルテは、高い所にあるアキの瞳を見つめる。
「信じてくださいました? わたしの気持ち」
それに頷いて見せると、安心したように柔らかい頬笑みをこぼした。
初めて見るその表情にドキリとしたアキだったが、彼女を取り巻く穏やかな空気には覚えがあった。
いつも自分と共にいるときのトルテの雰囲気。表情には全く出なかったが、温かく幸せそうな空気の色は、今、彼女が纏っているものと同じであった。
もう1度、彼女はずっと自分を好いていてくれたのだということに気づかされたアキは、深いため息を吐いたのだった。
「あの…これだけ聞いてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
言いにくそうに話しかけて来たトルテに首を傾げると、少女はキュッと唇を噛んだ後でそこを動かす。
「どうして婚約解消したんですか?」
とたん、空気が凍りついた。
トルテの表情も硬くなり…アキも口を引き結び、視線を地面に落した。
家同士のための割りきった婚約なのだから解消しても問題はない。アキはそう考えていたのだが、婚約者であった彼女の気持ちが自分にあることを知った今、己の行動は相手のことを考えない身勝手な物だったと思い知らされた。
今ですらトルテを傷つけているのに、聞かれたことに答えれば……。
それを想像して右手を握りしめたアキは、
「…それは言えません」
弱く…しかし、はっきりと首を横に振った。
トルテは下を向いたままの彼に詰め寄ると、そのクリーム色した制服を掴んで無理矢理視界に入りこむ。
「わたしにはその権利があるはずです。そうでなければ、あなたを諦めることすらできません!」
当事者であるのに何も知らされず、アキと両家の両親の間で決まってしまった婚約の解消。
自分はアキのことが好きなのに、なぜそうしなければならないのか。
トルテはそれがずっとずっと知りたくてたまらなかった。
想像することはいくらでもできた。なんとなく予想もできている。
けれども、“好き”な気持ちが全てを否定して、どうして婚約解消したのかという謎に立ち戻ってしまうのだった。
理由はきっと想像通り…己にとって辛いものだろう。本当なら聞きたくないことである。
しかし、はっきりと本人から聞かされなければいつまでたっても前に進めないことをトルテは知っていた。
だから言えないというアキに詰め寄った。そうでもしなければ彼はきっと何も言ってはくれないと思ったから…。
傷つくことがわかっていて、それでも前に進むために答えを求めていることがわかったアキは、己の独りよがりな考えに苦笑してからしゃがむと、トルテの桃色の瞳ににこりと微笑みかけた。
「好きな人がいるんです」
「お好きな方、ですか」
「他の誰よりも…何よりも、好きな人です」
強い光を瞳の奥に宿したアキが言ったことに、トルテは一瞬だけ目を見開く。
―― 誰よりも、何よりも、好き。
それは、つい先ほど自分が彼に伝えた言葉。父よりも母よりも…他のどんな存在よりもアキが好きだ、と。
同じように好いている人物がアキにもいるのだと知って、悲しさと嬉しさで自然と目尻が下がった。
「わたしと同じですね」
「えぇ」
頷く彼に、トルテが聞く。
「どなたか聞いてもよろしいですか?」
言うべきか言わないべきか。迷ってしまったアキは、視線を彷徨わせるばかりでしばらく口を開くことがなかった。
その様子でピンと来たのはトルテだ。
知らない人物なら、きっと躊躇うことなく教えてくれるはず。なのに言えないということは…彼女自身も知っている人物。
となれば、トルテの頭に浮かぶのはただ1人だけだった。
「……シラサギ、ですか?」
「!」
思わずトルテを見てしまったアキの様子で、自らの考えが当っていたことを知った少女は、
「そうですか……」
と呟きながら、まるで何かを堪えるように桃色のスカートを握りしめた。
「トルテ。君の気持ちに気づいてあげられなくてごめんね」
「…いいえ。わたしがはっきりしなかったのがいけないんです。言わなくてもわかってくれてる…と思っていました」
心底すまなさそうに謝ってくる少年に笑って答えたトルテは、その人の名を呼んだ。
「アキ」
「はい」
「言わなくちゃいつまでたっても片思いのままですよ? わたしみたいに」
「…うん、そうだね」
アキは、眩しそうに目を細めながら1つ頷いた。
きっと想像以上に少女の心は傷ついているだろう。指が白くなるほどスカートを強く握ったままの拳がそれを物語っていた。
けれども、それを感じさせないような笑顔を浮かべるトルテがとても輝いて見えて。己の胸の痛みをしっかりと感じながらアキも微笑みを返すのだった。
「それでは、わたしはこれで失礼いたします。突然お邪魔してすみませんでした。お家を出て大変なことも多いと思いますが、頑張ってください」
「ありがとう」
「お元気で」
「トルテも」
互いに別れの言葉を交わし合う。トルテは、しばし名残惜しそうにアキを見つめ続けていたが、思い切ったようにクルリと反転すると、少し離れた場所で控えていたタートを連れて寮から離れていった。
アキは、彼女の姿が見えなくなるまでずっとその場で見送った。それが彼が少女に対してできる最後のことだったのだから。
真っ直ぐに前を見つめ毅然として歩いていたトルテだったが、長いレンガ造りの塀の角を曲がった瞬間、ピタリと立ち止まった。
「…お嬢様?」
背後からでは様子のわからなかったタートが覗き込むと、ついさっきまで笑っていたはずの顔は跡形もなく。ボロボロと頬を流れる涙で濡れていた。
「お嬢様……」
溢れて止まない透明な滴を拭ってやることはいくらでもできたが、あえてそれを選ばなかったタートは少女を己の身体とレンガの壁とで挟んでやる。
泣きたいときに泣けばいい。
自宅でアキに別れを告げられたあの日から、気落ちしてはいても決して泣くことはなかった。その彼女が自分から涙を流したなら、それが今1番必要なことなのだ。
タートは周囲から主人の姿を隠しながら、その小さな身体を優しく抱きしめる。
この7歳の少女が、再び顔を上げて歩き出せるように。
ただ、それだけを天に願いながら……。
- continue -
2013-11-23
「縛りSSったー」を使用したシリーズです。
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ryu__raは「ピアス」「片思い」「スカート」に関わる、「一次創作」のSSを10ツイート以内で書きなさい。
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9.3の診断より。
例によって例ののごとく、10ツイート=1400文字では収まらず、文字数縛りを考えずに書いたものです。
屑深星夜 2010.9.9完成