白鷺物語 9

9.入試前の家出


※これまでの話から4年ほど前の話になります。




「うわぁぁぁん!!!」
「シー姉ぇぇ! トラがクロたたいたぁぁ!!!」
 黒と青。その髪色以外は見分けのつかない5歳くらいの双子たちが抱き合って叫ぶ視線の先には、茶色い髪色の少し年上の少年。彼 ―― トラフサギは白いメッシュの入った茶髪をなびかせつつ、ニヤリと橙色の瞳を笑ませて部屋の隅へと逃げていた。
 その側で、黒髪のおかっぱ頭の小さな男の子がひと回り以上大きな子の長い白髪を思いっきり引っ張っていた。
「い、痛いよぉ! アガミ、やめて!!」
 涙目になる少年 ―― コサギと末のアガミサギを引き剥がしたのは、飴色の長髪を三つ編みにしたアマサギだ。
「またお前かアガミ。髪を引っ張ったら痛いだろう」
「だって、コサなくとおもしろいもーん」
 そう言ってきた2つ年下の弟の背に隠れたコサギを見て、アガミサギは天使の皮を被った悪魔の様な頬笑みを見せつつ、アマサギの手の届かない場所へと逃げて行く。
「待て! はぁぁ…姉さん、またアガミがコサの髪引っ張って遊んでたよ。なんとか言ってやって」
「……後でね……」
 ため息をつきつつ発した言葉に、キッチンの開いたスペースで本と向き合ったままの“姉”は、顔を上げることなくボソリと呟くだけだった。
 お世辞にも大きいとは言えない居間の中央では、また別のトラブルが起こっていた。
「遊んだら片づけろっていつも姉ちゃんが言ってるだろ、ダイ! そんなんじゃ下が真似するからやめろよ!!」
 後ろのひと房だけが長い白髪をなびかせながら、自分よりも身体の大きなダイサギを通せんぼするのはチュウサギである。言われた方はチッと舌打ちをして、緑の瞳を座らせる。
「いいじゃねーか! またすぐそれで遊ぶんだから」
「そう言って遊ばないのはどこのどいつだよ!」
「あ〜? どいつだろうなぁ? まったく、チュウはいつも煩いんだよ」
 自分だとわかっているのに肩をすくめてとぼける一緒に生まれた兄に、チュウサギは声を荒げる。
「僕は姉ちゃんに迷惑かけらんないから言ってるんだろ!? 最後に片づけてんのはいつも姉ちゃんじゃないか!!」
「勝手に片づけてくれてんだからいいだろーが!」
「よくないっ!!」
 ついには取っ組み合いの喧嘩になり、他の兄弟たちは壁際に寄って被害を避けつつ、それぞれの遊びを続けていた。
「あー…まーたダイとチュウが始めたか」
 それまで、部屋の様子をただただ静かに見続けていた少年がそう呟くと、すぐ隣で勉強していた姉が顔を上げずに命令する。
「ゴイ、止めてこい」
「悪いけど俺じゃ無理。無駄なことはやらねぇ主義なの」
 肩をすくめる2歳年下の弟であるゴイサギに、やっと顔を見せた少女は苛ついた顔で言い放つ。
「ボクは勉強中だから邪魔するなって言っといただろ? ゴイ! お前が何とかしろ!!」
「だーから無理だって。シラサギこそ王立魔法学校に入れるわけないんだから、無駄なことやめてこいつら構ってやったら? シラサギがいればあいつらみーんな大人しくなんのに」
 自分も含め、いつも家を空けっぱなしの母の代わりを担っているこの姉以外の言うことを聞く弟たちではないことを知っているゴイサギは、呆れ顔で言い放つ。
「それじゃあいつまでたったってこの暮らしは変わらないだろ? だからボクはこうやって一生懸命……」
それに言い返していたとき、狭い部屋に散らばっていたはずの弟たちがワラワラと集まってきた。
「シー、ボクおなかへった〜」
「あ、ねーちゃん、おれも」
「「シー姉!! アガミがぼくたちのおやつ取ったぁ!!」」
「姉さんごめん、コサが泣きやまなくって…どうしたらいいかな?」
「お、お姉ちゃん…っ…また、ダイたちっ…ケンカ…っ…」
「姉ちゃんのために協力しなきゃいけないって何度言ったらわかるんだよっ、ダイ!!」
「オレにはオレのやり方があんだよ! お前に言われたくねー!! もー…ねーちゃん、チュウなんとかしてよ!!」
 8人の弟たちにくっつかれて勉強どころではなくなったシラサギは、腕を震わせながらもなんとかこらえていた。
 いくら長女という立場とはいえ、まだ11歳の少女だ。この家庭環境の中にいれば、己のやりたいことは我慢しなければならないこともあると理解はしていたが…今日はもう、限界だった。
「……勉強なんて諦めろよ、シラサギ」
 大きなため息と共にそうゴイサギが言ったとたん、プチンと何かが切れる音がした。

「あぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――っ!!!! もぉぉぉぉ…煩いっ!!!」

 叫びながら手足を振ってへばりついていた弟たちを引き剥がしたシラサギは、部屋のドアまで駆けて行くとそこから鼻息荒く叫ぶ。
「何でもかんでもボクに言ってくるんじゃない!! ボクは勉強したいんだよっ!!! 邪魔をするんじゃない!!! あー…もう、おまえたちなんか知るか!! 勝手にやってろっ!!!!」
 そして、驚きで目を丸くしたままの弟たち9人を置いて1人狭い家を飛び出したのだった。


 彼女の名はシラサギ。光の具合では白にも見える銀色の髪を短く切り揃えているせいで、一見すると少年のようにしか見えないが11歳の少女である。
 ごく一般的な家に生まれたのだが、あまりにも仲が良い両親だったおかげで、いつの間にやら下には8人の弟がいた。
 子どもというものはただでさえ金がかかるというのに、それだけの数いるものだから、両親が休まず働いても家はあたり前のように貧乏だった。
 それでもまだ、塾に通ったり、ほんのたまの休みには家族で出かけたりする余裕があったのだが……10人目の子が生まれる直前に父親が他界して、状況は悪化した。
 母親の稼ぎでは食べて行くのもやっとで、通っていた塾は早々に辞めた。
 衣服は近所の人からお古をもらってはリメイクしていたが、靴の変えはなかなかなく、穴が開いても履き続けるのが普通。ゆえに、娯楽用品など買う余裕はもちろんないわけで。母が休みの日には弟たちを引き連れて家の外へ出て1日遊び、近くのゴミ捨て場でまだ使える物を拾っては家に持ち帰っていた。


 今日もまた留守を預かり兄弟の面倒をみていたシラサギは、昼ご飯を食べさせた後、キッチンの片隅であるものとにらめっこしていた。
 それは、以前通っていた塾の先生に譲ってもらった「王立魔法学校入学試験対策」という本と拾ってきた裏紙。塾に通えなくなった今も、彼女は1人で勉強をしていたのだった。
 なぜ、シラサギがそこを目指しているかというと…理由は2つあった。
 1つは、ただ単純にお金を稼いで母に楽をさせたかったから。
 もう1つは……この国を変えたかったからだ。
 国の中枢を握るのは「王立魔法学校」を優秀な成績で卒業したほんの一握りの者…と決まっている。たとえ、国を預かる者の中に入れなかったとしても「王立魔法学校」の名前は強大で、多くの企業や民間の塾講師などが卒業生を欲しがるのだ。
 そのため、国民のほぼ全てがそこを目指すが、入学する者の多くは金にものを言わせた貴族たち。中間層以下に開かれた門戸はとても狭く、相当な勉強をしても入れる者は僅かであった。
 満足に塾にも通えないシラサギがそこを目指すのは無謀のようにも思えるが、それでも彼女はやると決めていた。自分たちのような弱者に厳しい世の中を変えるには、そうしなければならないと知っていたからだった。


 父の死は、過労によるもの。多くの家族を養うために働き過ぎてしまったのは仕方のないことなのかもしれないが、多産の家への補助があったり、少しでも給料の高いところで働けていたならば……もしかしたら、父親はまだ生きていたかもしれない。
 片親となった家への援助も一定の金額に決まっているため、子どもの多い家には雀の涙ほどにもならない金だ。
 また、王立魔法学校以外は奨学金のようなものがないせいで、一番教育を受けるべき年齢の子どもたちが、金が払えないせいで学ぶことが出来ない状態だった。

 きっと他にも多くの問題があるのだろう。それらを知っている者もどこかにいるはずなのだ。
 しかし、王立魔法学校へ通う多くの者が貴族であるおかげで、国の中枢を握るのも貴族がほとんど。彼らには、先程挙げたような問題を理解できる者は……ほとんどいなかった。

 それでは国は変わらない。変わらなければ…自分の家族も、似た立場の者たちもずっとずっと苦しいばかり。

 シラサギの抱えるその思いを知る者は家族にはいなかったが、唯一応援してくれたのが本をくれた先生。
 己の願いを叶えるためにも、背を押してくれた先生のためにも、シラサギは3日後に控えた入学試験にどうしても受からなければならなかった。


 それなのに、家の中は毎日戦争状態だ。
 己がついてやっていれば少しは大人しくなるものの、それでは自分の勉強時間は夜中しか取れないわけで。いくらなんでもそれだけでは試験に間に合わないと理解していたシラサギは、弟たちには悪いと思いつつも、1ヵ月ほど前から、家事だけこなした後はキッチンの空きスペースで勉強するようになっていた。
 もちろん、最初のうちは弟たちも我慢していた。大好きな姉の邪魔をしてはいけないと頑張っていたが、3歳から9歳までの幼い子たちだ。自己主張は激しいし甘えたい盛りでもある。
 我慢に我慢を重ねた末のここ1週間は…もう、無法地帯。
 長男であるゴイサギは自分が言っても意味がないと、ただシラサギの側にいるだけで何もせず。三男のアマサギと五男のチュウサギは今も気を使ってくれてはいたが、それすらも裏目に出る始末。
 試験も迫ったこの日、焦りもあったシラサギはとうとう家を飛び出してしまったのだった。


 脇目も振らずに駆け通し…息苦しさにシラサギがやっとスピードを緩めたのは、大きな商店街にやって来たときだった。
 幅の広い一本道の両側には大きな建物が並び、ショーウィンドウには客が思わず立ち止まるようなディスプレイが。歩いている者たちはみな笑顔で、大きな馬車が行き交ってとても賑やかだった。
 肩を大きく上下させながら人の流れと共に進むことしばらく。数人が立ち止っていた店のショーウィンドウが気になり、ふと立ち止まった。
 そこには大きなテレビが1台、ドンと飾られていた。
 これは、魔法が使える者にとってはわざわざ買うようなものではないが、使えない者にとってはとても便利な物。シラサギの家族もみんな魔法が使えないのだが…貧乏一家にはとても手の出せない高価な物でもあった。
 しばらく見ていると、やっていたアニメ番組が終わってCMが流れはじめた。
 きっと住宅の宣伝なのだろう。美しい外観の一軒家の中で、両親と1人の子どもが暮らしていた。
 仲良くご飯を食べ、リビングで寛ぐ姿。その静かで…そして温かい家庭の姿にシラサギは、
「…いいな……」
と、ポツリと呟いた。
 その家では、きっとゆったり時間が流れているのだろう。笑顔絶えない両親の間でその愛を一身に受ける1人の子ども。
 穏やかで優しい空間は、自分の家では絶対に実現しない光景で……。

 もし、弟たちがいなかったなら。
 もし、父がまだ生きていたなら。

 そうすれば…自分は人並みの平穏な暮らしを送ることができたかもしれないのに。

 思わずそう考えていた。
 しかし、想像の中の自分は楽しそうだったが、どれだけ再生しても心は“楽しい”とは思えなくて。考えれば考えるほど、自分を慕ってくるあの賑やかな弟たちが恋しくなって…1人ぼっちの自分が寂しくなった。

 家に帰ってしまえば、また元の、戦争のような騒がしさが待っている。勉強なんて満足にできず、入試に失敗してしまうかもしれない。

 それでも。

 弟たちの声がなければ落ち着かず、勉強にも手がつかなさそうで。何より、自分を必要として…愛してくれる人たちの中にいない今が不安でたまらなかった。
「……あいつら、どうしてるかな?」
 アガミサギ、アオサギ、クロサギ…コサギはきっと泣いているだろう。アマサギ、チュウサギが4人を宥めて…トラフサギとダイサギは互いのせいにして喧嘩をしているかもしれない。
 そして、ゴイサギは……。
「…っ…シラ…っ……姉ちゃん!!」
 丁度思い出していた人物の声が背後から聞こえてきて、シラサギは急いで振り返る。そこには前屈みになってハァハァと荒い息を整えるゴイサギが居た。
「…ゴイにそう呼ばれたの、久しぶりだよね」
「……え?」
「ちっちゃいころは姉ちゃん姉ちゃんってボクの後をついてまわってたくせに、いつの間にか生意気な口聞くようになってさ」
 自分と同じ赤い目で見つめてくる少年に、シラサギは肩をすくめて笑って見せる。
「かと思えば相変わらず弟たちの面倒は全部ボク任せで? 結局ボクの側を離れずに追いかけて来てるし」
 ゴイサギは少しずつ落ち着いてきた胸を押さえながら話し出す。
「だ…だって、姉ちゃんがいなきゃあいつらどうにもならねぇし……?」
「うん」
「姉ちゃん連れ帰って来いってチュウとかアマだけじゃねぇ。チビどもも煩かった…し……」
「うん」
「ぜってぇ、俺が帰ってきて欲しいわけじゃねぇから!!!」
「……うん?」
 自分が言い放った言葉に、ニコニコと見つめてくる姉からふいと視線を外したゴイサギは、唇を尖らせながらしばらく視線を彷徨わせ……
「…………ごめん…なさい……」
…小さな小さな声で告げたのだ。
 その顔は照れて真っ赤になっていて、少し前から被っていた生意気の皮がはがれた小さいころのままの弟になっていた。
 成長して変ったように見えても、自分を慕ってくれているその姿は昔のまま。
 それが嬉しくて。そして…可愛らしくて。意地悪そうに笑ったシラサギは、下を向いたままの弟の顔を覗き込む。
「なーにがぁ?」
「……勉強の邪魔して…」
「うん。で?」
「……帰ってきて…よ……」
 控えめな声ながら聞こえてきた声と、自分の服の裾を掴むゴイサギに満足したシラサギは、
「うん、ゴイがそう言うなら帰ろうかな。ちょーっと寂しくなってたとこだし」
ニコリと笑いながら弟の肩をガシッと掴んだ。
 家を出て行ったときとは打って変わって、とても機嫌のよい姉をふて腐れた顔で見たゴイサギが言う。
「……わざと言わせただろ……」
「勝手に言ったのはお前だよ?」
「…………」
 それ以上、彼は何も言うことができなかった。
 シラサギは空いた方の手を腰に当てて長く息を吐く。
「さーてと、帰ったら帰ったできっと煩いから、おやつにべっこう飴でも作ってやろうかな?」
 家で待っているだろう8人の弟たちの顔を想像して苦笑する姉に、驚いたのはゴイサギだ。
「え!? 今日は芋じゃねぇの?」
 姉の言葉に驚くのも無理はない。おやつと言えば、いつもは安く買える芋を蒸かしたものや残り物の魚の骨などを炒ったり揚げたりしたものばかりで、砂糖を使ったものなどめったにないからだ。
「こういうときくらいいいだろ。勉強するにも糖分は必要だしね」
 シラサギがそう言うのは、勝手に飛び出して来てしまったお詫びの気持ちもあるからだろう。言われて気づいたゴイサギは1つ納得の頷きを見せた後、さっきの仕返しと言わんばかりにニヤリと笑う。
「貧乏性のシラサギがんなこと言うなんて…雪でも降るんじゃねぇよな?」
「失礼な! ボクだって締めてばっかじゃないぞ。使うときはパーッと使う!」
 パーッと、と言いながら両手を左右に広げる姉に弟は肩をすくめる。
「それでべっこう飴ってのが…うちの貧乏さを表してるけどな〜」
「砂糖は高いんだぞ!?」
「ハイハイ。耳にタコが出来るくらい聞いてるよ」
 2人はそんなやり取りをしつつ、ゆっくりゆっくり、8人の弟たちが待つ我が家へと歩いて行った。


 3日後。王立魔法学校の入学試験が滞りなく執り行われることとなるが…この時は、まだ誰も、シラサギがトップクラスの成績で試験をパスするなんて思ってもいなかった。

- continue -

2013-11-23

縛りSSったー」を使用したシリーズです。

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ryu__raは「テレビ」「留守番」「べっこう飴」に関わる、「一次創作」のSSを10ツイート以内で書きなさい。
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10ツイート=1400文字では収まらず、6408文字となりました。


屑深星夜 2010.9.1完成