白鷺物語 12

13.寮での夜2


 星の瞬く夜空の下。
 生徒たちに危険がないよう、一定時間までは明かりが灯っている屋上の手すりにもたれながら、シラサギは夕食で出た蜜柑をひと房、口に放り込んだ。
 隣で同じように立って月を見ていたアキにもひとつ差し出すと、笑顔で受け取って同じようにパクリと食べる。そんな彼にシラサギが話しかける。
「アキ、家を出たんだって? トルテに聞いてびっくりしたよ」
「あ、はい。明日にでもお伝えしようと思っていたんですが……驚かせてしまってすみません」
 きちんとシラサギの方を向いて頭を下げたアキは、気にするなと軽く首を振ってくれる彼女をしばらく見つめ、ふっと口を開く。
「さっきの…」
「ん? さっきのって?」
 首を傾げるシラサギに、アキは嬉しそうな…そしてどこか懐かしそうな瞳を向け、
「『人間として最低なことしてるあんたたちみたいなやつらは、王立魔法学校の恥だ』」
と、書庫で彼女が言ったことを一言一句間違えずに繰り返した。
「あぁ〜…」
 そのことか、と何度か頷いたシラサギは、フッと笑ってアキへと身体を向ける。
「アキ、覚えてたんだ」
「もちろんです。初めてシラサギさんに会ったときのことですから」
 微笑み合う2人の脳裏には、3年前…。王立魔法学校に入学した年のことが思い出されていた。


 入学して半年。シラサギが、秋を迎えた校内をウロウロしていたときのことだ。
 人通りが少なく、できるだけ静かな…のんびりと昼食がとれる場所を探して、広い学校の敷地内を日々探索し続けていた彼女は、その日、講堂の裏で3人の同級生たちに囲まれて暴行を受ける少年と出会った。
 当時、同級生であったカメラ、フォーカス、マクロの3人が貴族であるとは知っていたが、それを恐れて誰かが傷ついているのを見過ごすことなどできないと、止めに入った。
『人間として最低なことしてるあんたたちみたいなやつらは、王立魔法学校の恥だ』
 そのときに放った言葉は、彼らを怒らせ魔法まで使わせたのだが、カラスを呼び出したシラサギに返り討ちにされスゴスゴと逃げ帰ることとなる。
 助けた後で、虐められていた人物が同学年の有名人 ―― 貴族の中の貴族、アキだと気づいたシラサギだったが、別に態度を変えることはなく。
 まるで世話のかかる弟たちの面倒を見るかのように服の汚れを取り、まだ習いはじめて間もない魔法で傷まで治して手を伸ばす。
『これからお弁当食べるけど……一緒に、来る?』
 共に向けられた笑顔は、シラサギにとってはごく普通のもの。けれどもアキにとっては、これまでの人生で初めて向けられる、作られていない本当の顔だった。

 赤ん坊のころから彼の周りに近づく者は、利を得るために偽りの笑みを浮かべてばかり。遠巻きに見ている者は、アキの家の権力を恐れて話しかけても来ない。また、そういう人間は近くに来ても己の本質を巧妙に隠し、アキの前ではただただ従順な自分を演じるのだ。
 同じ年の貴族の中には、『家を継ぐわけでもない末っ子のくせに生意気だ』と虐める者もいた。が、両親はアキには全くの無関心でそのことに気づきもしない。
 どれだけ忙しくとも長男には1日1度は顔を見せるくせに、末っ子の彼にはただ不自由なく生活させるだけさせておいて、会いにすら来ないのだ。使用人たちもお世話しているお坊ちゃまが虐められている、なんて主人に知られたらどうなることか…とそれだけを恐れ、彼らがアキに無関心なのをいいことにその事実を隠していたのだった。
 飾ることのない笑み。
 …たったそれだけ。だが、アキにとってシラサギが特別な人になるには、それだけで十分だった。


「また、助けていただいて…ありがとうございました」
「どういたしまして。まさか同じ人に向かって言うことになるとは思わなかったけどね〜」
 もう1度深く頭を下げるアキに軽く会釈を返したシラサギは、微笑みながら空に浮かぶ三日月を見上げる。

『言わなくちゃいつまでたっても片思いのままですよ? わたしみたいに』

 横顔を見つめるアキの耳に、夕方会った少女の声が蘇る。
 彼女の気持ちを無駄にしないためにも、明日にでもシラサギに自分の想いを伝えようと考えていたアキは、キョロキョロと周りを見回して誰もいないことを確認した。
 だんだんと激しく脈打つようになる己の胸にそっと右手を添えて3回ほど深呼吸をする。
 気休めにもならなかったが、そうやって心を落ちつけようと努力した後、震え始めた右手を下ろして、えいや、と口を開く。

 しかし、声が出てこない。

 ここで口を閉じてしまえばそれっきり。もう2度と告げられなりそうな気がしたアキは、そのまま大きく息を吸って音と共に思いっきり吐きだした。
「し…し、し…シラサギさんっ!!!!」
「どうしたんだ? アキ。急に大きな声で…」
 震えていたが、いつもの何倍ものトーンで呼ばれたシラサギは、不思議そうに首を傾けるとその赤い瞳をアキに向けた。
 呼びかけた方は、煩いくらいの心臓の音を頭に響かせながらもその視線をしっかりと受け止めて…。

「ぼ、僕……僕、シラサギさんのことが好きです。他の誰よりも、何よりも、あなたが好きなんです!」

 はっきりと自分の気持ちを言葉に乗せた。

「……え?」

 シラサギは、一体何を言われたのかすぐにはわからなかった。
 けれども言いきった後も寄せられる真剣な瞳や薄く頬を染めた彼の表情に、やっとその意味を理解したとたん、ドンと心拍数が上がる。


「えぇぇぇぇ―――――――――――……っ?!!」


 驚きの声を響き渡らせた彼女の頭の中はパニック状態だった。
 何せ、今まで生きて来た中で“好き”と言われたのは親兄弟にだけ。初めて他人に告げられたその言葉が、頭の中で駆け巡り続け、シラサギの瞳が困惑に揺れる。
「す、す、好きって………あ、あぁっ! 友だちとしてってことだよ、ね!?」
 まるでそうであって欲しいというかのように聞く彼女に、まだ頬は赤いが告白する前のほどの緊張はなくなったアキは、柔らかく…優しくシラサギを見つめながら僅かに首を振る。
「女の人として、です」
「ええええ……そんな、女って…ボク、こんななのに?」
 両手を広げて己の姿を見るシラサギは、アキと同じ濃紺のシャツとクリーム色のズボン―― 男子生徒が着る制服 ―― を身にまとい、髪型も含めてまるっきり少年にしか見えない。
 その上、幼いころならいざ知らず。父が亡くなって以来、その代わりになろうと真似て来た口調も、女らしさを失わせていた。
 けれどもアキは己の茶色い瞳にシラサギを映したまま、言いきる。

「姿形は関係ありません。僕は、飾ることのない“あなた”が好きなんです」

 アキは、本当に自分のことが好きなのだ。

 やっと頭がそれを認めたシラサギは、体内で激しく打ち続ける心臓の音を聞きながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。そこでハッとする。
「!!! ま、まさか…婚約解消した理由って……!?」
 ボクが好きだから!?
「あ、あぁぁ……そ、それは……」
 言葉にはされていないが、彼女の考えていることが青くなった顔色でわかったアキは、オロオロし出す。
 確かにそれも理由の1つではある。けれども、好きになったのは自分であって彼女には何の否もない。
 それなのに全部自分のせい…と己を責めるような表情をさせてしまったことに動揺していた。
「それは、し、シラサギさんのせいじゃ……」
 焦りながらも、貴女のせいではないということを何とか伝えようと数歩先にいるシラサギへ近づこうと足を踏み出したそのときだ。
「な…いぃっ!!?」
「え!?」
 アキが何もないはずの床につまづいて…。

 ドサッ!!!

 折り重なるように倒れこんだ2人は…その衝撃よりも置かれた状況に驚いて動けなくなっていた。

 身体全体で感じる、相手の体温。
 すぐ側から香る自分とは違う匂い。
 ぼやけるほど間近にある…互いの顔。


 何より……柔らかな、唇の感触。


「す…す、す、す、すみませんっ!!!!!!」
 先に我に返ったアキはサッと身体を離すと、茹でダコのようになっているシラサギを引っ張り起こす。そんなアキ自身の頬も告白したとき以上に朱に染まっている。
 口を開くことなく、ただただ呆然と己を見つめてくるシラサギにアキが言う。
「あ、あの! 婚約解消は僕なりのけじめです。…家は関係なく、ただ1人の人間としてこれから生きていくために……。決してシラサギさんのせいじゃありませんから、気にしないで下さい」

 ドクンッ

 言葉に添えられた微笑みに、シラサギは思わず視線を逸らした。耳まで真っ赤に染まったその横顔に、アキは立ちあがりながら続けて語りかける。
「今は…友だちのままでも十分です。でも、僕がシラサギさんのことを好きだということは覚えておいてくださいね! あなたに振り向いてもらうために、僕、頑張りますから」

 こ、これ以上頑張られてもっ!!!

 シラサギは形のよい眉をハの字にして心の中だけで叫ぶ。しかし、どういう訳か脈打つ心臓は浮かれたように元気な音を響かせている。
 アキは、そんなシラサギの顔も可愛らしいと思いつつも、彼女の赤い瞳が自分を映していないことが寂しくて。
「僕、部屋に…戻りますね。蜜柑、ありがとうございました」
 言いながら身を屈めたアキは、

 チュッ

未だ熱い彼女の頬に唇を寄せた。
 驚いたシラサギは、思わずアキを見つめてしまう。それに満足そうに微笑んだ彼は、身を翻して己に与えられた部屋へと戻って行った。


「……ど、どうしよう……」

 三日月見下ろす屋上で。ペタリと座ったまま呟くシラサギの視線は、倒れたときに手から零れ落ちた蜜柑の皮に注がれていた。
 突然の出来事に握りしめてしまっていたそれは、しわくちゃの状態。ほのかに蜜柑の香りがする手で、熱を持ち続ける己の頬を押さえたまま動けないシラサギの姿は、そんな蜜柑の皮とどこか被って見える。

 唇に残る柔らかさ。

 忘れたくても忘れられないその初めての感触は、己の胸を嫌でも高鳴らせる。
 顔はもちろん、全身に溜まった熱は…冷めることなどないのではないかと思えるほど後から後から湧いて出て、益々シラサギの頭を悩ませた。



 今後の彼女の毎日がどう変化するのか。
 それを知っている者は、今は天におわす神様ばかり。

 ただ1つだけ言えることは、きっとこれまでよりも刺激的な日々になるだろう……ということだけ。


 お後は、皆様のご想像にお任せいたします。

- end -

2013-11-23

これにて、エセ魔法学園モノ「白鷺物語」終了でございます。

ツイッター診断を用いて書き始めたものですので、もう最初っから行き当たりばったり。
(だいたい)1話1話が独立したお話とはいえ、一応書き始めたシリーズだったのでなんとか終わらせたいなと思ったわけです。
何話か書いているうちに終了に向けての流れが考えることができて助かりました。

まぁ、今後をアニメの予告チック(?)に言うなら…

「アキの押せ押せラブアタック☆」
「トルテの未だ一途な想いは…」
「タート、己の想いを認める日」
「ミーちゃんの恋は前途多難!?」
「アキ VS 9人の弟」
「ゴイサギ、行き過ぎたシスコンの行方」
「必見! 今明かされる、チェインの正体!?」
  ・
  ・
  ・
「国を変えた英雄シラサギ」

…ってな感じでしょうか(爆)
(注:多少は考えてたものもありますが…終了時に考えたお遊びなので、信じないように(笑))

この行き当たりばったりなシリーズが、みなさんに楽しんでいただけたなら嬉しい限りです♪
最後までお付き合いありがとうございました!!


屑深星夜 2010.10.26完成