悪魔の涙1 番外編2

悪魔の涙1 番外編2


『…っ、ひぁっ…あ、うぁん…』

 耳に残る、快感の滲む啼き声。

『やぁ! か、ずしっ…かずしぃ…っ』

 呼びながらすがってくる白い腕。

 いつも高慢な笑みを乗せている頬は涙に濡れ、透明な滴はただただ美しく。いつしか、怒りより、それをもっと見たいという欲望に突き動かされ、俺は腰を使っていた。



 …っ!

 液につけたまま長い時間放置してしまった写真を目の前に、舌打ちした。

 ……また、だ。

 視界から、あいつの姿が消えない。
 思い通りにならないことはないと公言してはばからず。周囲の気持ちを考えずに事を運ぶ…はた迷惑な存在。甘やかされて育ったからか、20になっても子どものような振る舞いをする男 ―― 明日葉 絵瑠〔アシタバ エル〕。

―― お前を一生許さない!!

 あの日、告げた言葉は紛れもなく俺の本心。だが、5日経っても消えない姿に…ずっと、悩まされていた。

 何があいつの目に止まったのかは知らないが、スタジオ撮影が終わったとたんに名前を尋ねられた。ただのアシスタントである俺に、スーパーモデルが、だ。
 驚きはしたが、礼儀を知らない振る舞いを許せるわけもなく。いずれは本人のためにもなるだろうと忠告したら、ますます興味を持たれた。
 そして、「面白い」と零した同じ唇で、

―― オレのものになれ。

……と言ったのだ。
 正気か、と確かめれば大真面目だと言われ。こっちの話を聞くこともなく、周囲に丸め込まれて同居することになってしまった。
 勝手に事を進められていい気分ではなかったが、所詮金持ちの道楽。いつかは飽きると思い、仕方なく付き合ってやることにした。

 生活を共にしたのは2週間にも満たなかったが、それでも人となりは見えるもの。
 いっそ純粋に見えるほど、欲望に忠実。
 身体は大きくとも、まるで小さな子どものような振る舞いは、これまでこいつを叱るような者がいなかったという現われ。
 俺には…そうしてくれる人が近くにいてくれたが、こいつにはいなかったのか。そう思えば、彼が俺に執着するほどの興味はないが、飽きるまでは気まぐれに付き合ってやってもいいか、と思い始めていた矢先だった。

 俺の隠してきた恋心を暴かれ、最悪の形で相手 ―― 洋二〔ヨウジ〕さんに知られてしまったのだ。


 真崎 洋二〔マサキ ヨウジ〕。それなりに名前の知れたカメラマンであり、俺の叔父だ。
 洋二さんは中学卒業後から、俺の父母と一緒に暮らしていたので、お腹の中にいたころから俺を知っている。
 父 ―― 一宏〔カズヒロ〕と洋二さんは8つ違いの兄弟。一宏が大学進学のために家を出て1人暮らしをはじめたとき、洋二さんは10歳。病気がちだった母親と…彼女を深く愛する父親と3人で暮らしていた。
 母親がいるうちはよかった。しかし、中学生になった春に彼女が他界すると、洋二さんの生活は一変した。
 元々病気がちで先は長くないと知っていても彼女を愛し、結婚した父親は、洋二さんをその身代わりにしてしまったのだ。
 もうこの世にいないと知りながら、彼女が着ていた服を着せ。息子であると理解しているのに、妻の身体を愛するように息子に迫った。
 ……愛する者を失った悲しみに耐えられなかった父親は、洋二さんに甘えることで己を保とうとしたのだ。
 まだ12歳。精神的にも身体的にも未熟な時期の洋二さんがそれを全て受け入れきれるわけもなく。それでも、父が痛いほど母を愛していたことを知っていた洋二さんは、1人それに耐えた。
 ずっと“母親の身代わり”であれば…まだ、よかったのかもしれない。
 が、2年もすると……父親が洋二さんに求めるものは大きく変化し、いつしか“息子”を愛するようになっていた父は、洋二さんにも同じ気持ちを返すように強いた。
 父親が愛していたのは母で…母親も彼を愛していた。だから、“母”を求める父に応えていただけだったのに。
 己だけを好きでいろと“息子”の気持ちすら縛ろうとする父に恐怖した。けれども、慣らされた身体は与えられる愛撫に反応し。心とは関係なく愛の言葉を口にさせられ。嫌だと抵抗すれば……暴力を振るわれた。


 大学4年の正月。久しぶりに帰省した一宏はその事実にやっと気づいた。
 後は卒業論文の提出を残すのみとなっていたため自宅へと戻った彼は、父の行動をやめさせようと努力した。しかし、一朝一夕に行くような事柄でもなく。近いうちに結婚を決めていた一宏は、精神科医に父の治療を任せつつ、弟を自分の元で引き取ることに決めたのだった。
 今思えば……父 ―― 一宏は、1人平和に大学生活を満喫していて、弟に対して後ろめたい気持ちがあったのだろう。高校には行かずにカメラの勉強がしたいという洋二さん願いを聞き入れ、彼が20歳になり、自力で生活できるようになるまで援助を続けていた。
 1人暮らしをはじめてからも洋二さんは度々うちに顔を出してくれた。だから、おれにとって彼は、仕事に忙しく厳しい父よりも父親に近い存在で。それでいて優しくて尊敬できる兄でもあり。憧れの存在になるまでに、そう時間はかからなかった。


 洋二さんの過去を知るに至ったのは、初めて鈴子〔リンコ〕さんと会ったときだった。仕事中に突然パニック症状を起こした洋二さんは、カメラの機材を倒して怪我をし、病院へ運ばれた。
 珍しく自宅にいた父の元に連絡が入り、心配だった俺は病院へついて行った。
 先に病室に居た鈴子さんは、洋二さんと結婚を約束した間柄だと言った。既に目立ち始めたお腹の中にいる子が生まれたら、式を挙げることになっているようだった。
 彼女は、兄である父に今までにも似たようなパニック発作が起こったことを告げた。しかし、原因を聞き出そうとしても頑なに拒む上、聞いたことで症状が出るためカウンセリングもできない。
 心配で心配でたまらないという表情の彼女を見て、父は、己が知っていることを語って聞かせたのだ。
 俺ももうすぐ15になろうとしていたし、洋二さんは相変わらず俺を可愛がってくれていたから。何かあってもすぐに対処できるように聞いていろ、と言われ、俺も洋二さんの過去を知った。

 知ったからといって、俺と洋二さんの関係が変わることはなかった。
 けれども、1年も経たないうちに洋二さんと鈴子さんが結婚し……その式の最中、自覚してしまった。

 洋二さんのことが好きだったのだ、と。

 自分には見せたことがないような幸せそうな笑みを浮かべる洋二さんに、胸が痛んだ。
 どうして、隣に居るのが自分ではないんだろうと。その笑顔を向けてもらえるのは自分ではないんだろう、と泣きそうになった。
 もし、もっと早くこの気持ちに気づいていたら。鈴子さんより先に…洋二さんのことが好きだと言っていたら、何か変わっただろうか。
 そう考えてしまうほどの想いだった。
 けれども、それを洋二さんに伝えてはいけないことも理解していた。
 洋二さんがパニック発作起こす原因は、同性から好意を向けられたとき。彼にとって、父が…母でなく、同じ性を持つ“自分”を愛することは、それほど受け入れがたいことだったのだ。

 洋二さんが幸せなら、それでいい。俺の隣でなくとも、ずっと笑っていてくれるなら……いいんだ。
 幸せな彼をそばで見ていられるなら……。

 無理矢理、言い聞かせた。
 洋二さんを傷つけることになるくらいなら、今のままでいいんだ、と。


 押し込めた気持ちは、8年経っても消えることはなく。最初は偶然だったが、絵瑠によって知れたこの想いは……傷つけまいと思っていた洋二さんを傷つけてしまった。
 想いが通じることはないのはわかっていた。
 それでも。父のように、兄のように共に暮らし……離れてからも俺の様子をたびたび見に来てくれ。1人息子だったせいで、憧れていた洋二さんと同じカメラの世界に入ることを父に反対されても、俺をずっと応援してくれた。そうやって…いつでも幸せそうな笑顔を向け、温かい手を差し伸べてくれる洋二さんのそばにいたかった。
 それすら許されない状況になった俺には、自分が楽しければそれでいいと笑う絵瑠に対して冷静ではいられなかった。
 相手の意思も考えず、ただ痛めつけ。衝動のままに煮えたぎる感情を、あいつの中にぶちまけた。

 怒りから、だったはずだ。
 許すものかと乱暴したはずなのに。

 今、思い出されるのは……泣きながらも、俺の腕の中で乱れてよがる妖艶な姿。

 何をしていても浮かぶ幻に、何故、と問うても、答えは返ってこなかった。


 次の日の仕事は、ファッション雑誌の撮影。モデルは……絵瑠だ。
 目を閉じていなくとも見えるようになった残像に首を振りながら、撮影の準備をした。
 あんな形で終わりが来たものの、未だ俺が好きなのは洋二さんのはずだ。
 そう己に言い聞かせ、いつもと同じように彼の動きを追い、その仕事ぶりを目に焼き付ける。
 どれだけあいつの姿がちらついても、絶対に見てやるものか!
 スタジオに来たときからそう決めていたのに。笑えなくなったと聞いたとたんに目が裏切った。

 ……っ!!

 スタイリストの持つ鏡を覗く絵瑠の切なげな顔を見た瞬間、カァッと全身が熱くなった。
 これはなんだ? 幻に悩まされているときも、ここまでの反応はなかった。

 一瞬で自身の質量が増すほどの熱。

 それをもたらしたのは……絵瑠。

 ……まさか、とは思いつつも。絵瑠が笑顔を失った原因が、もしかして自分のせいかもしれないと思えば。胸の痛みと共に、言いようのない優越感が広がって。もう、この気持ちを誤魔化しようがなかった。


 撮影終了後、絵瑠を探して謝ろうと思っていた。
 理由があったにせよ、俺がしたことは許されたことではない。また、それが原因でモデルにとって生命線とも言える表情 ―― 笑顔を失わせたとしたら。何をしてでも償いをしなければ、と考えていた。
 しかし、控え室に戻ったはずの絵瑠の姿はなく。お付きの者も他のスタッフも、彼がどこへ行ったのか把握していなかった。
 嫌な予感がして探し回れば、控え室用の一室で、同じアシスタントの先輩によって縛られた絵瑠を発見した。
 痛々しいその姿に怒りを感じると共に、自分もそれと大差ない存在だと…現実を突きつけられた。
 けれども、俺を見て泣き出す絵瑠を見れば抱きしめずにはおられず。愛しさと、苦い気持ちを感じながら彼が落ち着くまでそうしていた。

 謝っても、許してはもらえないかもしれない。それだけのことを自分はしたのだ。

 最悪の事態を想定して己に言い聞かせていたのだが。予想に反して……待っていたのは、夢のような展開だった。


 案内されたマンションで絵瑠から先に謝罪されて驚いた。それは自分の方だと言えば…

「……どうしてくれるんだ? お前しかだめになったぞ」

…聞き間違いかと思えるほどの言葉に、身体が高ぶった。そして、失くしたはずの笑顔を俺に向けてくれて。

 愛しい。

 謝罪よりも償いよりも。溢れ出したその気持ちが抑えられず。おれは、彼を手に入れた。



「ひゃっ、あ、あぁっ…ん、そこ、いっ…!」

 耳に届く、甘く掠れた啼き声。

「ふああぁ!! あっ…かず、し……一史ぃ!!」

 必死に抱き寄せてくる白い腕。

 快感に上気した頬にはうっすらと笑みが乗り、瞳から溢れ出る滴がそこを更に美しく彩る。愛しさを込めて、目の前の肢体と繋がった欲望を一段と深く差し入れた。

「…っ……出すぞ……」
「あぁっ! あ、あ、ああぁ――――――…っ!!!!」

 幻ではない、幸せな現実に酔いしれながら。俺は、腕の中で痙攣する細い身体を、強く強く抱きしめた。

- continue -

2014-02-10

「ポケクリ」での公開時に、急展開とのご意見もあったため、一史視点を書いてみました。
半分以上は謎の解明ですが…(苦笑)


屑深星夜 2011.6.5完成