大きな国の中心にある、石畳の道に石造りの家々が並ぶ一番大きな栄えた街がフィトラリーだ。
ここはいつでも人々で賑わっている。
商人や旅の人々もよく行き交うこの大きな街は今日も色んな人を受け入れ、そして吐きだしていた。
「センセーさよーなら!」
「おぅ。またな!」
まだ十代にもなっていない少年達を、道場もある古びれた家から送りだした男はにこやかに手を上げる。
その男、エルゼク=カートルマンはこのフィトラリーで子供達に武闘や勉強を幼馴染と二人で教えている。
大きな街の割りに二人でやっていけるのは、専門的な学問を学ぶならフィトラリーから少し離れたところに学問専用の街があるからだ。生活に余裕のある家や本格的に勉強したいと思う者はそこに行く。
また、ここで勉強だけではなく格闘技を教えるのは将来兵士になりたいという子供がいるからというのもあるが、大きな城壁や城門を隔てた外ではたまに賊の類いや魔物が襲ってくる為でもある。格闘技を多少なりとも学ぶ者はこのフィトラリーだけで無く、どこの街でも少なくなかった。
子供が大好きなエルゼクは今の仕事をとても楽しんでいる。大変な時もあるが、とてもやりがいがある。
元々明るくて面倒見が良い、人好きのするエルゼクは生徒達にも好かれていた。
ただ恋愛に関しては得意とは言い難く、エルゼクなりに真面目に付き合ってきた彼女とも実はこの間別れたばかりだ。
幼馴染のライン曰く「思いきりが足りないんじゃないのか」だそうだが、彼女の将来をも左右するのだと思うと自分が安定した仕事とも言い難いので気軽に「結婚しよう」等と言えるはずもなく、結局「このままじゃおばあちゃんになる」と振られた。
その彼女は今は別の男の奥さんになっている。
「おばあちゃんは酷いだろ……もうすぐ三十歳ってだけじゃねーか……」
「女の三十路は死活問題なんだろ」
そんなことを言ってくるラインはというと、思いきりが良いからかエルゼクとも昔から仲が良い幼馴染であるエリーという女性と結婚して数年が経つ。
「そいやエルゼク、お前最近あの店に行ってないんだって」
子供達を見送った後にラインがニヤリと聞いてきた。
エルゼクは自分の短い髪をくしゃりとつかみながら笑った。
「だってあっちの店、少し遠いだろが」
「遠い?遠い、ねえ?ちょっと前までは散々誰かと行ってたのにな?」
「……るせぇ」
ラインが言う店は、この家からそれなりに離れたところにある今人気のバルだ。
この間まで付き合っていた彼女がそこに行くのが好きだった為、エルゼクもよく付き合っていた。
人気があるだけあって酒やソフトドリンクの種類も多いし食べ物も割と美味い。
だがそこに行けば別れた彼女を思い出してしまい、未だにエルゼクはその店に近寄れないでいた。
「未練たらたらだな?」
「るせぇっつってんだろ。一途って言え」
「ったく。おい、何なら久しぶりにその先のいつもんとこにでも行くか?」
ラインが苦笑した後に手でくい、と飲む形をとった。
「いや、良い。お前今日はエリーが好物作ってるっつってたろ。早く帰れよ」
ラインが結婚する前は、この古いが無駄に広い、親の形見でもある家で居候しつつ一緒に仕事をしていた。だが流石に結婚してからは別の場所で新居生活を始めるようになり、ラインはここには通ってきている。
「あーまあな。お前も来る?」
「行かねえ。俺は一人寂しくお前が言ういつもんとこで人間観察でもしながら飲む。知り合いでも居たら喋ったりをサカナにな」
「……え」
一人で行くというと何故かラインが微妙な顔をしてきた。
「何だよ」
「いや、あれだ。その、あれだ!明日は朝一で棒術教えるだろ!忘れてた忘れてた!だから酒はやめとけ」
「あー」
「あーじゃねえよ。分かったな?」
「なんだよくそ、分かったよ」
ラインは帰り際に再度「一人で行ってんじゃねえぞ」と念を押して帰っていった。
「は、何だってんだ」
エルゼクはまた髪に手をやった後で伸びをした。
エルゼクの持つ青い瞳は他にも居るが、紺色の髪は色んな髪の色をしている住民達の中でも割と珍しい方であり、子供の頃は変に目立つのが嫌で短髪にしていた。
今は全く気にはならないがずっと短髪できているので今更伸ばす気がないだけだが、こうしてつい髪に手をやるのは子供の頃からの癖になっている。
「一人で行くなっつーのは酒を飲むなってだけだよな」
自炊はあまり得意ではないので極力避けたいと思っているエルゼクは、今も食事の為にその先にある飲み屋に向かおうと考えていた。普段もテイクアウトの店で弁当を買うことが多い。
先程まで子供達に体術を教えていたので袖なしのシャツだけだった上から、出かける為に愛用している薄手のロングコートを羽織る。
背が高いのでロングコートを着ても様になっているのだが、エルゼク自身はあまりそういうことは気にしない。ただ着やすいという理由だけで愛用していた。
外に出ると、まだ夕食の時間には早いだろうしと散歩する事にした。
のんびり歩いていると日が暮れかかっているのもあって子供達の姿はもう見えない。今エルゼクが歩いている方向と逆の、飲み屋や道具屋等が集まっている方だと今頃は大人達で賑わい始めているだろう。
ただ城壁近くのこの辺りは一見穏やかな雰囲気もあるが何もなく、少し離れたところにある川の流れる音と時折聞こえる鳥や虫の鳴き声くらいしかこの時間は聞こえてこない。
普段は人と話すことが好きなエルゼクも、夕暮れ時のこの時間帯は何となくこの辺りをぶらりと歩くのが好きだった。
だがいつものようにぶらぶらと歩いていると草むらに人らしき何やらが倒れているのに気付いた。
「おい、マジかよ……」
呟きながらもエルゼクは駆けだした。
戦時中というならよく行き倒れた者を見かける事もあったが、十三年程前に隣国とは半永久的に停戦という条約を結んでいる。それ以来兵士という職業はあるものの、たまに魔物に出くわす以外は基本、平和なものだった。
旅人は毎日のように出入りがあるが、いくらなんでも行き倒れはそうそう無い。
警備の兵士は気づかなかったのか?と少し疑問に思いつつエルゼクは倒れている人物の様子を伺う。
「だ、大丈夫かっ?」
うつ伏せになって倒れているのは小柄で華奢な人物のようで、一見男か女か分からない。
怪我をしている可能性もあるだろうとエルゼクは慎重にその相手を抱き起こした。
「ぅ……」
切り込みのあるデザインの袖から覗く華奢な腕は透き通るように白い。
肩より長い銀髪は緩くリボンでしばってある。
女性なのだろうか、だったら見ず知らずの自分が抱きかかえるのは……等とエルゼクが思い始めたところで相手が気付いたのか顔を上げてエルゼクを見てきた。
やはり透き通るように白い肌に髪と同じく銀色の瞳。
とても可愛らしい顔をしているが、しかしどうみても少年の顔だと分かるとエルゼクはなんとなく安心してしっかりと体を支えた。
「大丈夫か?今の状況は分かるか?」
「……あ……、は、はい……」
相手はおずおずとした様子で返事をしてきた。
ゆっくりと抱き上げていた体を起してやると、何とか自分で動いてきた。
「す、すいませんでした……」
「いや。怪我はしてねぇのか?具合は?なにがあったんだ?襲われたのか?」
一度に聞いても答えられないだろうと思いつつも、聞かなければ何も言わなさそうでついエルゼクは立て続けに質問していた。
「いえ、大丈夫です……、そ、その……お恥ずかしいことに多分、疲れとその、空腹のせいか、と……」
エルゼクの勢いに圧倒されている様子を見せつつも、その少年は恥ずかしそうに小さな声で呟いてきた。
「恥ずかしいことねぇぞ。詳しいことはじゃあ後で聞こう。立てるか?あーくそ、でも俺の家、何もねぇんだよな。でも飲み屋に行く訳にも行かねえな、ふらふらのお前連れて……」
「立てます……あと、その……」
「ああ、悪ぃ。とりあえずあれだ、俺の家来い。そっから考える」
ゆっくり立たせると、エルゼクは思い出したように少年を見た。
「そいや名前、何ていうんだ?俺はエルゼク。エルゼク=カートルマン」
「アーレです……ただのアーレ」
アーレは本当にどこも怪我はしていないようで、ゆっくりとだが一人で歩けるようだった。
自宅に連れ帰った後にとりあえず生徒の保護者に貰った菓子があったので飲み物と一緒にアーレに与えた。
どこかで料理のテイクアウトでもと考えていたエルゼクに、アーレは「差し出がましくなければ……僕が作ります」と提案してきた。
具合が悪そうな相手にそんなことはと言うエルゼクにアーレは「簡単なものなら全然負担じゃないです……」と控えめな笑みを見せてきた。
台所に案内し、辛うじてある材料や道具の場所を教えつつ、エルゼクは内心少し首を傾げていた。
アーレの発音は聞いていて心地が良いくらい綺麗だ。
本人は遠慮の為か元々そういう性格なのか話し方は自信なさげだが、発音に少しのなまりも無い。生徒に色々教えているのもあり、エルゼクは言語に関しても多少詳しいつもりだ。
そして銀色の髪に銀色の瞳や大人しそうながらも気品のある顔立ちを見ていると、とても名字のない地位にある者のような感じはしない。
「お前の発音、綺麗だよな?」
アーレが野菜を切っている時に何気なく口にすると、手の動きを止めた後に「そうですか……?ありがとうございます」とまた自信のなさそうな笑みを向けてきた。
何か訳ありかもしれないと思いつつもエルゼクは「まあ良いか」と気にしないことにした。
数少ない材料しか無かったというのに出来上がった料理がとても美味しそうだったからだ。
食べてみても実際美味しい。
……こんな美味いもん作るやつなんだ、多少訳ありでもきっと良いヤツだ。
色々話してたらどういうヤツかも分かるだろうよ。
そんな風に思っているとエルゼクの口が少し歪んだ。
「お、お口に合いませんでした、か……?」
微妙な顔をしたエルゼクに気付いたアーレが申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「いや、うめぇよ。じゃなくてな、悪ぃ。俺さーニンジンだけは苦手でな」
綺麗にスライスされ、サラダの上に乗っているオレンジ色のものを指差しながらエルゼクは苦笑した。
この間生徒の一人が持ってきた親からだといういくつかの野菜の中に入っていたものだろう。
「そ、そうなんですね……ごめんなさい……」
「いや、謝るんは俺だろ。良い歳して好き嫌いとかな、全く」
「いえ……」
少し恥ずかしいと思いつつエルゼクが髪に手をやると、アーレは控えめな笑みを見せてきた。
この日以来、アーレはエルゼクの家に居候している。
本人曰くこの大きな街フィトラリーで何か仕事を見つけて働こうと遠く離れた小さな村からやってきたらしい。
「どんな仕事したかったんだ?」
「……そうですね、人の役に立つようなこと、を……。僕、喜んでもらうのが嬉しくて」
「へぇ」
「だ、だからその、拾っていただいた際に料理を作った時、エルゼクさんに喜んでもらえたのも、僕、凄く嬉しくて……」
「あー。……でもよ、お前人付き合い苦手なんだろ?」
「う……」
実際大人しそうなアーレは人付き合いに慣れていないらしい。
実は友達すらいたことがないと恥ずかしそうに打ち明けられた時は失礼ながらもぽかんとエルゼクはアーレを見てしまった。
「まぁ、だから一新しようと旅に出ようと思った訳だしな、とりあえずあれだ、その後ろ向きな性格から変えたほうが良いんじゃねぇのか?」
最初に話を聞いていた時もアーレは何度も「僕は何も出来ないから……」と落ち込んでいた。
「は、はい……!がんばります」
「じゃあ慣れる為にも、まず俺に対し敬語やめろよ」
「ええ……?で、でもお世話になっているし、エルゼクさん年上なのに……」
「関係ねぇよ。俺が良いっつってんだから。人に慣れてぇんだろ。まず俺から慣れろよ」
「は、はい、がんばります」
「がんばります、じゃねえだろ」
「が、がんば、る……」
「おぅ」
そんなアーレでもこの大きな街だと仕事は見つけやすかったのか、毎日時間はまちまちだが出かけている。
「何の仕事見つけたんだ?」
「そ、それはまだ恥ずかしいので、内緒です……」
「んだ、そら。つかほらまた敬語」
「な、内緒!あ……でもその、もしよろしかったら、いや、よければなんだ、けど……仕事は見つかったけど、その、ここに居候させていただけ、いやさせてくれない、かな……?」
おずおずと言ってくるアーレにエルゼクは「何だそんなこと」と笑った。
「もちろん良いに決まってんだろ。どうせ無駄に広い家だしな。自由に使え」
「……ありがとう。でも見ず知らずの僕を……何でそんな簡単に」
「あー、飯、美味かったし」
「……それだけ?あはは」
エルゼクの言葉を聞いて、アーレはきょとんとした後にとても楽しそうに笑ってきた。
その笑顔が何だかいつもの遠慮がちな笑みと違ったせいか、エルゼクは少しどきりとしつつも同じく笑う。
「いや、結構重要だからな?」
「ふふ、ありがとう。もちろんその……居候させてもらうし、これからも……料理は任せて。あと、少しだけど……家賃も入れさせてもらうし」
「料理はありがてぇけど、家賃は別に良いぞ」
「そういう訳にもいかないよ……」
居候しているアーレを初めて見た時、ラインは「とうとう歳の離れた少年に手を……」等とエルゼクを引いたように見てきた。
「冗談でもやめろ」
「なんだよ、なんで冗談だって分かるんだよ」
「ざけんな」
エルゼクとラインのそんなやりとりを、アーレは黙ってただニコニコと見ていた。
基本的にはアーレも仕事でか家を出ている時間帯なのであまりラインと会う事は無い。だがこの間たまたま帰ってくるのが早かったアーレが子供達を見送った後のラインにお茶を出したことがあった。
「あの……お茶です、どうぞ……」
「お、すまないな、サンキュ」
嬉しそうに受け取ったラインはそれをゴクリと飲んだ瞬間吹き出した。
「え、な、なにか……!?」
それを見ていたアーレがおろおろとしているところにエルゼクが戻ってきた。
「どうした?」
「ら、ラインさんが……」
「い、いや。大丈夫だけどアーレくん、これ、茶じゃなくてしょうゆ」
「ええ!?すっ、すみません……!すみません、すみません……!」
「マジでか、アーレ、やるな」
微妙な顔をして口を押さえているラインにエルゼクは可笑しげに笑う。
「笑いごとじゃねえエルゼク。しょうゆ一気飲みするとこだったぜ……ってああ、いや、別に大丈夫だからそんな謝らなくても。な?」
ジロリとエルゼクを睨んだ後で、ラインは必死になって謝ってくるアーレに困ったように笑いかけていた。
後でエルゼクが「お前、意外とおっちょこちょいなんだな」と楽しそうに言うと「そ、そんなことは無いつもりなんですが……」とアーレはまた申し訳なさそうに俯いていた。
その後暫く内に籠って悩んでそうに見えたので、エルゼクは微妙な顔でそんなアーレを見ていた。
エルゼクは悩むのは苦手だ。
悩んでも仕方が無いと思ってしまうし、悩むくらいなら行動に出るほうだからかもしれない。
彼女のことは正直まだ引き摺ってはいるが、悩んでいる訳ではない。
好きになるとただひたすらその人だけになるので、どうしても後を引いてしまうのだ。
未練がましくああすれば良かった、こうすれば良かったと考えている訳ではない。こればかりは時間が癒してくれると思っている。
だから人付き合いが苦手そうな大人しいアーレを見てると気になってしかたがない。
付き合いが苦手なら苦手で割切れば良いものの、アーレはそれなのに人の役に立ちたいという思いが変に強いようである。
だというのに自分は何も出来ないとばかりにどこか後ろ向きの様子だから本当に大変だろうなと思う。
多分そんなアーレだからだろう。
どこかよくつかめない感じがしばらくこうして一緒に暮らすようになってもエルゼクはしていた。
- continue -
2015-9-7
「Guidepost」様に書いていただきました!
続きもありますので…楽しんでください!