出会いはもう、8年も前のことになる。
21歳であった凍鉉の元に、存命であったギルドマスターから1つの依頼が舞い込んだ。
それは、とある高貴な家柄からで、つい先日亡くなった前当主の落とし種である男を殺すようにとの依頼であった。
ターゲットの名は、志乃 尚久(しの なおひさ)。外で作られた子どもらしく依頼者たちと直接の関わりはないのだが、彼が前当主の血を引く唯一の男児。前当主の妻と娘たちにとっては目障りでしかないということだ。
既にギルドトップの実力者として活躍していた凍鉉にとって、これは至極簡単な仕事だったはず。
だが、蓋を開けてみれば、1度ならず3度も失敗させられた仕事となる。
1度目は、針を突き立てる寸前に、森林公園の時のように依頼自体のことを忘れさせられ気絶。依頼を達成しないままにギルドに戻った凍鉉は、初めての失敗にギルドマスターに笑われ、尚久の切断の能力について教えられた。
彼は、手や指、身体を使って動物以外の物なら何でも切ることができる。その能力によって直接命が危なくなるということはないが、武器に限らず、今回のように記憶を切られてしまえば、気絶している間に殺られてしまうかもしれない。……それを考えると、慎重にならざるを得なかった。
しかし、綿密に行動を追ったあとに実行に移した2度目もまた同じ結果に終わり、ギルド内での凍鉉の評価は地に落ちる。
屈辱を味わわされ対抗心を持ちはしたが、本人についての記憶はなくなっているため、彼にそれほどの執着を持つことはなかった。
その後、しばらくは別の人間がこの依頼を遂行に当たるが、凍鉉のように全てが失敗に終わる。
次にその依頼が凍鉉の手元に戻ってきたのはひと月後のこと。
今度こそはと向かったそこで、今度は正々堂々と(と言っても、実力差ははっきりしているのだが)勝負を挑むことにした。
「志乃尚久! 私と勝負しろ!」
凍鉉が彼に会った記憶は切断されて消えてしまっているが、相手は殺し屋である自分のことを知っているだろうと思っていた。2度の失敗で顔を見られているはずなのだ。そう考えてもおかしくない。だが……。
「あー…えっと、すみません。どなたですか?」
相手もまた自分のことを覚えていないというこの状況。それを好機とすぐに仕事をしなかったことが、殺し屋『凍星』の敗因だったかもしれない。
どうやら尚久は、切断の能力を使うと多かれ少なかれ記憶を失っていくのだと知った凍鉉は、これまで人と普通の関わったことなどないくせに、彼の友だちであると偽り、対抗心から勝負を挑んだのだと嘘を吐いた。仲良くなって油断を誘った方が尚久に勝てると思っていたのだ。
仕事の最終期限は、尚久が20歳になる前日まで。まだ3か月ある。
まさか、その短い期間で彼から離れられなくなるなど、これっぽっちも思っていなかった。
盤面に分けられた白黒の石たち。凍鉉には数えずともわかっていたが、諦めきれない尚久が整地し、明らかなその差に机に突っ伏す。
「あああああ〜……また負けた〜!」
「今回も私の勝ちだな」
「たまには勝たせてくれてもいいじゃないか〜」
「勝負となれば手は抜かぬ」
得意気に胸を張る凍鉉をチラリと見上げた尚久は、クスリと笑みを零す。
「負けるの嫌いだもんね?」
「悪いか?」
「ううん? 勝負に拘らないと凍鉉じゃないよ」
これまで感じたことのない温かな空気。咄嗟についた嘘であったのに、尚久に近づけば近づくほど心地よくなるその隣。
その声で話しかけられることが。
その視線に見つめられることが。
その笑みを向けられることが。
嬉しくて、嬉しくて。
好きになったのは、凍鉉の方が先であったろう。
己の体温が変化しはじめたのは想いを自覚したころで、それによって、人に触れる喜びを知り、人に触れてもらえる悦びも知ることとなる。
3か月という短い期間のうちに、凍鉉は尚久のことを殺せなくなっていたのだった。
尚久を守るために依頼主を殺ろうか、とまで考えていた凍鉉だったが、そうする前に、尚久自身が元凶である者たちの中から己の記憶を消してしまったからであった。
もちろん依頼は破棄となり、報酬が入ることはなかったが尚久が殺されることはなくなった。だが、しかしその影響で、尚久から凍鉉の記憶が消えてしまっていたのだ。
もう既に、尚久を失えなくなっていた凍鉉は、ゼロに戻った関係を元に戻すだけでは満足できず、更にはもっと彼の傍へと近づくために、己の想いを告げたのだった。
両想いになってから起こった変化が2つ。
1つは、凍鉉が側にいれば、能力を使った尚久から記憶が消えることはなくなったことである。ただその代わりに、程度によって疲労が貯まる、内臓が壊れる等の身体への影響が出ることも知り、髪を切る以外に己の能力を使うことがなくなった。
もう1つは、尚久の視界が凍鉉のものとなったことである。けれども、その銀の瞳に尚久自身の姿が映ることは決してなく、手指で触れて彼の姿を覚えるしかない。
辛さもつきまとうものではあったが、2人でいられる以上の幸せはない。
彼らの蜜月は2年ほど続いた。
事が動いたのは、凍鉉が所属する暗殺者ギルドのマスターが死んで以後のことである。
凍鉉を甘やかすところのあった彼は、恋人ができた凍鉉がギルドから遠ざかって仕事を疎かにしていても、何も言うことはなかったが、周囲は違う。ストッパー役になっていたマスターの死後、凍鉉を目障りに思う者たちが動き出し、命を狙われることになったのだ。
凍鉉を狙うことがどれだけ大変か知っているギルドメンバーが、恋人である尚久をターゲットにするのは予想の範疇。
何も知らせぬまま幸せな日々を送っていたかった。が、それでは守り切れないかもしれない。そう考えた凍鉉は、尚久に己が殺し屋であることを告げることを決める。
嘘を吐いていたのだ。別れる、と言われることも覚悟はしていた。実際にそう言われたとして、離れることなどできるはずはなかったが、責められてもおかしくないことをしていたと、尚久と過ごした約3年間で学んでいたからだ。
しかし尚久は、まるで知っていたとでも言わんばかりに微笑むだけ。不安げな表情で己を見上げる凍鉉を抱きしめて、凍鉉が恐れていた言葉を言うことはなかった。
視界を得たことで感覚がつかめず、暗殺能力の落ちた凍鉉は、ギルドからの攻撃に押され気味であった。防御としても使える氷の能力もまた、常人の体温を得た状態では使うこともできない。
尚久も自分も守る。そして、生き残る。
その想いが凍鉉を支えていたが、小さな傷を何度も負い続けることで日に日に弱っていく凍鉉を見ていられなくなったのは、尚久の方であった。
「別れよう」
「……今、何て……言った?」
「その方がいい」
「今、何て言った!」
椅子を立ち己の胸ぐらを掴む凍鉉の手に触れた尚久は、それを外させながら繰り返す。
「別れよう」
その瞳にも声にも、既に迷いなどないのだが、動転している凍鉉はそれに気付こうとはしない。今度は尚久の肩を掴み、フルフルと首を振って訴える。
「嫌だ! どうして別れなければならぬ!」
「もう、凍鉉が傷つくところは見たくないんだよ」
「私は負けぬと言っている! 絶対に、自分もお前も守ってみせるからっ!!」
「凍鉉は、強い凍鉉のままでいるのがいい……」
「私は、弱くなっても志乃の傍にいる方が………っ!!!」
叫ぶ途中でブツンと脳内に響く音。衝撃に身体を震わせて気を失う凍鉉を腕に抱きながら、胸に感じる激痛に顔を顰める。ゲホゲホ止まらぬ咳に、血が混じって手を濡らす。
汚さぬように気を付けながら、身を預ける恋人であった人物の身体を優しく優しく抱きしめた尚久は、凍鉉の身体を危険の少ない場所へと運んでそっと姿を消した。
尚久の存在を忘れた凍鉉は、失った何かを埋めるかのように、己を付け狙うギルドを壊滅せる。そのことで再び名を上げた『凍星』は、フリーの暗殺者として活躍するようになったのである。
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2013-12-12
我が子、凍鉉(いづる)の12話目。
屑深星夜 2013.12.9完成