森の中にひっそりと佇む家の中。テーブルについた庵は、お茶会の用意をする音音を見つめていた。口元には柔らかな笑みが浮かんでおり、室内の空気はとても暖かい。
もうすぐテーブルセッティングが終わる…というころ。庵がピクリと顔を上げた。覚えのある気配が近くにある。それは、穏やかな森に似合わないピリピリとしたもの。音音も周囲の様子が変わったことに気づいたのだろう。ポットを持った手を止めて赤い瞳を向けてくる彼に、庵は心配するなと頷く。
相手は、気配を消すのが誰よりも得意なはずの人間である。それが、同業者である庵だけでなく、音音や森で暮らす動物たちに気づかれるということは、本気ではないか、本調子ではないか……。
「ご用がおありでしたら、玄関からどうぞ?」
屋根裏に気配が動いたところでそう言うと、悩んでいるらしい間の後で大人しく移動したそれがガチャリと扉を開けた。
気配の主は、銀の雪を青道着に刻んだ『凍星』。その姿を認めた音音は、慌ててポットを机に置いて庵の後ろに立つと、武器である『奏』をギュッと握り締める。しかし、凍鉉の意識はそちらには向かず、水色の髪の向こうで閉じられたままの瞳は、ただただ『白狐』である庵を見ていた。
「まさか貴方の方から会いに来ていただけるとは思いませんでした。今日はどんなご用です?」
「……」
目の前に、自分を出し抜いた者がいる。その気配も声も忘れることなどできない。プライドを傷つけられたことで湧き上がった対抗心もまた、凍鉉の足をここまで運ばせた。しかし、凍鉉の頭の中には未だ勝利のイメージはない。再び負けるかもしれないと言う状態のまま何故ここに来たのか。
庵にはその裏側が見えていたが、敢えて触れずに僅かに首を傾けて聞く。
「これから手合わせいたしますか?」
「……いや」
「では、何故ここに?」
知られたくない本心を暴いてやるのも楽しいが、それは相手を逆なでするだけ。これから音音とのお茶会を控えている庵は、それが中止になることだけは避けるために、取り敢えず『凍星』自身に理由を問う。凍鉉はゴクリと唾をのみ込むと、瞼に隠されていた銀を見せる。
「そなたらのおかげでこちらの評判は地に落ち、商売上がったりだ」
「それは申し訳ありませんでした」
「私が以前のように仕事をするには『白狐』に勝たねばならぬ。だから、そなたをターゲットにさせてもらう」
「……わかりました。ですが、それとは別に聞きたいことがあるのではないですか?」
吸収の能力のおかげで、庵には凍鉉の考えていることなどわかっていた。確かに、今彼が喋ったことも、ここへ来た理由の1つではある。しかし、それよりも強く願うことが……1つ。
庵の問いにギクリとした途端、凍鉉の背後の扉が開く。
「うお!?」
予想外の人物がいたことに驚きの声を上げたのは冬継だ。その半歩後ろには千影がいて、コトリと首を傾ける。気配に気づいていた凍鉉は驚くこともなく、半身を開いて2人が中へと入れるようにする。
「あー……邪魔だったか?」
「いえ、いいタイミングです」
「庵ちゃん、音音ちゃん…」
既に手にはレース飾りのついたシュシュを握っている千影。彼の目には庵と音音しか映ってないらしい。
「相手している暇ありませんから、それ、何とかしておいてくださいね?」
一瞥してそう言った庵の様子で、今は邪魔してはいけない時なのだと悟った冬継は、「あぁ」と頷いて、今にも飛んで行きそうな千影の首根っこを掴んだ。
「それで? 早く見せてくれませんか? 貴方の記憶にないと言う人間の顔を」
「!? そなた、考えていることがわかるのか?」
凍鉉の疑問にどちらとも取れない笑みを見せるだけで、決して答えはしない庵。気配でそれを肯定と受け取った凍鉉は、テーブルへと近づいて氷の彫像を作り出す。
「これだ」
分かりやすいように、だろうか。雪像のように白く濁ったそれは、作りから男性とわかる。細い目は目尻の方が垂れ気味で、耳には幾つものピアスをつけている。前髪の一部は顔にかかっているようで、伸ばされた襟足は1つに纏められ僅かに鎖骨に掛かっている。
色のついていないそれは、光のない凍鉉の視界を覗いたようにも思える。しかし、その精巧さは、とても目の見えない人間が作ったものとは思えなかった。
像は庵の方を向いている。が故に、一番最初に口を開く。
「僕は見たことありませんね。音音は?」
聞かれた音音はフルフルと首を横に振る。室内へ入り、凍鉉の右側に立った冬継は、像を覗き込むようにした後でポツリと言う。
「俺もねぇわ」
そして、己が手綱を持っている千影を見るが、庵たちと己を交互に見ているだけで像を見てもいなかった。出会って以降のことしかわからないが、興味がないことは基本覚えていない彼のこと。
「……会ってたとしても覚えてねぇな」
聞いても無駄と判断して苦笑した冬継は、タバコを咥えたことで空いた手で千影の頭を撫でる。
「……そうか。ならいい」
氷像を消した凍鉉の声は、覇気の感じられない弱さ。彼の心は、期待していた応えを貰えなかったことで深く沈み込んでいた。それもまた彼には初めての経験で落ち着かなかったが、だからと言ってどうしていいかもわからない。どうしてこんな気持ちになるのかもわからないのだ。対処法など出てくるはずがない。
「気になるのでしたら、別の人間も紹介しますよ?」
「本当か!?」
思わず零れ出た本音。その様子に仮面の向こう側で目を細めた庵は、机の下で足を組み直す。
「……ひとまずお茶会にしませんか? それが終わったら僕が案内しましょう」
目の見えない凍鉉に地図を書いてやっても意味はない。だからこその言葉。音音にカップを増やすように頼んだ庵は、客人たちに椅子を勧める。
とても居心地の悪い空気の中飲んだ紅茶は、凍鉉の心をほんの少し温めてくれた。
- continue -
2013-12-12
我が子、凍鉉(いづる)の6話目。
屑深星夜 2013.12.5完成