サン 12

「ルビーと弾丸」


 人と吸血鬼の結婚は、人間を吸血鬼にすることで成立する。
 しかし、己の心臓から直接血を飲ませるという自分の眷属たる吸血鬼を生む方法とは違い、己以外の純血種2名の血を飲まなくてはならない。そうすることで、一族皆から受け入れてもらう大事な儀式でもあるのだ。
 とはいえ、既に腹にいる子どもが生まれるまでは吸血鬼になるわけにはいかない。人から吸血鬼へと身体の組織が作り変えられる現象は、胎児には耐えられないからだ。

 子どもが生まれたらレビが正式な妻になる。
 ずっとは連れ添えなくとも、長い時を共に生きていく相手ができる。

 サンの頭にはそれしかなく、ずっと幸せな日々が続いていくのだと信じていた。
 しかし、一族は慎重であった。サンとレビ、2人の前では祝いの言葉を述べたが、それから眷属をも使ってレビの素性を調べ上げた。
 結婚の儀の後で子どもができていたなら気にしなかったかもしれない。しかし、人と吸血鬼の混血である腹の子は、吸血鬼を殺すことのできる力を持つダンピール。一歩間違えば自分たちの脅威になりかねない。故に秘密裏に調べ上げ、ある事実にたどり着く。

 レビ=ルール ―― 本名、ルビィ=レイシング。ヴァンパイアハンターとして有名なレイシング家の三女であった。

 恐れていたことが現実になった、と思ったナハトの者たちは、サンに伝えないままにレビを腹の子共々殺しにかかったのだ。
 もちろん、サンに言えば邪魔されることは分かりきっている。故に彼らは、サンを遠方に住む眷属に会いに行かせ、彼が留守にしている間に事を起こした。
 しかし、選んだ時が悪かった。吸血鬼である自分たちの能力を活かそうと満月の夜に実行したのだが、それはサンの能力も増強することとなる。風に乗って届いた血の匂いに不安を煽られたサンは、己を待っていた眷属を締め上げて家族の計画を聞き出し、大急ぎで我が家へと戻ったのだ。


 彼の目に映る自宅は、吸血鬼対ハンターの戦場と化していた。
「な、んでハンターがこんなに……?」
 屋敷を囲む壁の外では、銀製の武器を持ったたくさんの人間たちと、ナハトの眷属となった元は人間であっただろう吸血鬼たちが戦っている。既に門は開いているようにで、どれだけのハンターが敷地内に入ったかはここからではわからない。
「ご主人様。あちらは手薄のようです……」
 上空を飛ぶ蝙蝠に頷いたサンは、彼の誘導に従って戦いの隙間を素早く移動し、高い塀を越えた。

 既にサンの家で暮らすようになっていたレビは、一族が己を疑っていることに薄々気がついていた。が故に、実家に連絡を入れて仲間を近くに集めていたレビは、サンが出かける今夜事が起きると予想し、ハンターに囲まれてざわつく邸内からそっと屋敷の外へ出た。

 屋敷の前庭には、眷属たちの守りと門を突破してきたらしいハンターたちが二十余名程いる。その相手をしているのは片手程の眷属とサンの家族で、1番後方で赤黒い弓で朱色の矢を射る母に駆け寄った。
「サン!? お前、何でここに……」
「そんなん母さんたちのせいだろっ!? 何やってんだ!? 何でこんなことになってんだよっ!!」
 叫ぶサンの背後にスタッと降り立ったのは、大量の黒い燕を背後に従える曾祖父だ。
「レビ…いや、ルビィはヴァンパイアハンターだったんだよ」
「……え?」
「奴等にダンピールをやるわけにはいかんっ! 殺すしかないのじゃ!!」
 そう叫んだ彼は、900歳を超えた寿命間近な老人でありながら、自分の3倍はするであろう巨大な斧を振って銀の武器を扱うハンター2名と対峙している
「嘘、だろ…?」
「嘘じゃないわ」
「嘘だ! レビは? レビは……」
 信じられない、と首を振る息子に、母は目的の人物がいる場所を指差す。
 恐る恐る追った視界に映ったのは銃を手にしたレビ。周囲に銃口を向け、いつでも逃げられる態勢を取っている彼女は、サンの前で優しく微笑んでくれた彼女ではなかった。

 ガゥンッ!!

 レビを守るように囲むハンターが放った銃弾が、彼女を襲おうと動いていた眷属の心臓を正確に打ち抜く。とたん、真っ白に色を失ったようになったそれは、灰になって風に溶けた。
 銀の武器でついた傷は治癒が遅い。その上、それで心臓を傷つけられれば命はない。
 呆然としたままのサンを庇いながら、一族たちは前庭にいるハンターの数を少しずつ減らしていく。中でも、一番レビに近い位置で大剣を振り回す父と、糸を操る祖母の息の合った連携は並のハンターでは太刀打ちできない。
 しかし、眷属の壁を超えてやってきた新たな者が加勢し、少しずつ少しずつレビが門へと近づいていく。

 その、朱色の瞳がサンを見た、ような気がした。

「レ…ビ……レビっ!!!」
 途端に走り出したサンは、武器も出さずに一直線に駆けて行く。が、レビはと言うと、鋭い視線と共に銃口を彼に向けるだけ。
「サン!」
「戻ってらっしゃい!!」
 それでも、サンの足は止まらない。
「レビっ!! レビっ!!!!」

 パァン!!

 乾いた音が周囲に響いて、一発の弾丸がサンの心臓を射抜いた。
「サァァァァン!!!!!」
 母が真っ先に駆け寄るが、衝撃に左胸を押さえフラリとした身体は灰には変わらない。しかし、ホッとする母の耳にプチ…ッという小さな音が届く。

 痛みに飛んだ理性。
 同時に伸ばした爪で我が身を引き裂き、何体もの龍が現れる。

 自分がどんな表情でいたかなど、全く覚えていない。
 邪魔なものを龍で排除しつつ、ただただ一直線にレビへと向かう。

 血族婚を重ねたが故に、濃縮された血は彼に一族で一番強い力を与えた。
 それは、標的である者だけでなく家族も敵も、近隣の村の大半をも巻き込んで、辺りを荒野へと変えていた。


 まだ満月が西の空に浮かぶ頃、血みどろで目覚めたサンの右手の中に収まっていたのは、レビに渡したはずのルビーのネックレス。2人の関係が切れたのと同じように、鎖はブツリと切れていた。
 目の前に広がる現実を理解できず、呆然としたまま立ち上がったサンはフラフラと周囲を見てまわる。
 屋敷はもちろん、よく遊びに出かけていた村のほとんども消えてしまっていた。力が届いた端らしい場所は半壊か瓦礫のような形であり、ほとんどが見覚えのある状態では残っていない。

 ふ、と目に入った記憶にある建物。

 それは、以前レビが住んでいた家であった。正式に結婚するまではそのままにしておいて欲しいという彼女の願いもあり、家具も荷物も半分ほどが遺されていたはず。
 半分が抉り取られたようになっているそこに残ったレビの机。

 カタリ

 半ば無意識に開けた引き出しの奥に見えた十字架に身体が逃げる。引き出しの中が見えないように低くした態勢で荒くなった息を整えたサンは、そっとそこを覗き込み、もう一つ入っていた小さな箱を手に取る。
 恐る恐るそれを開け、目に入ったものにペタンと地面に尻をつけた。

「何で…? 何で使わなかったんだ…?」

 箱の中に入っていたのは、銀製の弾丸。これを彼女が使っていたとすれば、今頃死んでいたのはサンの方であっただろう。

 サンの家には持って来れなかっただけなのか。
 それとも、敢えてここに置いてあったのか……。

 そこで始めて流れた涙。

 叫びにも似た慟哭は、それが枯れるまで闇夜に響き続けた。




「……まだ、捨てられねぇよ」
 未だ耳に残る自分の声に苦笑しつつ呟いたそれは、とうにいない誰かに向けられたもの。
 鎖の音を立ててネックレスを離したサンは、引き出しの中の黒い包みを見ながら、割烹着と三角巾を脱ぎ捨てる。
「あん時殺してくれりゃよかったのによ……お前、何で使わなかったんだ?」
 もちろん、その問いに答えてくれるものはいない。わかっていても、この200年間、何度も問い続けたこと。
 サンはひょいと包みを摘まみ上げ、それをユラユラと揺らす。

「だからおれは、まだ人が嫌いになれねぇんだ……」

 自分は嫌いで嫌いでたまらねぇけどな。
 ……さっさといなくなれりゃ、どんなにいいか。

 ずっとずっと己の中にある望み。
 しかし、全てを失わせた責任がある以上、そうはできない。

 暫く布袋を見ていたサンは、大きなため息を吐いた後、コートのポケットに入れたのだった。
「ご主人! ちゃんとやってますか…」
「モント、後任せた。机の中身だけ触んなきゃいいわ」
「え、えっ?」
「じゃな」
 ポン、と三角巾をした頭を叩いて部屋を出て行ったサンは、モントが自分を呼ぶ声にも気づかない振りして、蝙蝠傘をお供に家の外へ出たのだった。

- continue -

2014-1-8

我が子、サンの12話目。過去編はこれにて終幕。


屑深星夜 2014.1.7完成