「こ、ここ……どこですかぁ?」
不安げなモントの声が響くのは、木々に太陽の光を遮られた森の中。
手には買い物カゴをぶら下げたモントは、近所の八百屋へ向かったはずであった。しかし、見えている距離であっても迷う極度の方向音痴である。日常茶飯事であるこの状態ではあるが、涙腺の弱いモントの金色の瞳には涙が盛り上がっている。
「ふえぇぇ……」
「……誰です?」
「へ?」
音もなく現れた人物は、周囲の緑に溶け込みそうな服を身に纏った、雪のように白い髪に、赤と青…左右色の違う瞳を持つ青年だった。
人の気配などなかったそこに人がいた。その事実に、こぼれそうになった涙はすっかり止まっていた。
青年は、輪廻(りんね)と名乗った。
ひとまず自分が方向音痴で迷った末にここにたどり着いたことを告げると、はぁ…とため息を吐いた彼は「ついて来てください」と言って歩き始めた。
結構な早足で歩く彼の後ろを頑張ってついて行ったモントであったが、森はどうにも歩きにくい。元が蝙蝠である彼は平地でも足を引っ掻けることもあるくらいだ。木の根や柔らかい土に足を取られ、2度3度と転んでしまう。
その様子にまたまた大きなため息をした輪廻は、起き上がったモントが自分の近くに来るまで待つと、さっきよりもゆっくり歩を進める。それに気がついたモントはホッと肩の力を抜くと「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えたのだった。
どれだけ森の奥に入ってしまっていたのだろうか。5分10分歩いても森の出口は見えてこない。
それほどの時間無言でいると、どうしても暇になるもので……。暫く迷っていたモントだが、意を決して前を歩く青年に声をかけた。
「あ、あの…あの…輪廻さん、でよろしかったです?」
「はい」
「輪廻さんはどうしてこの森にいらしたんですか? おかげでボクはすっごく助かりましたが…」
「さて、なぜでしょうね? 私にもわかりません」
本当に分からないのだろう。首を傾げでそう言う彼に、モントは疑問符しか浮かばない。
「え、え? わからないんですか? 森が好き、とかそういうことでもなくて、です?」
「ええ、まあ…人がいるところよりは好きですね」
「人がいるところ…街にいるのは嫌いなんです? おうちは街にあるんですよね?」
「街なんて大嫌いですよ。あと、僕は家は持ってないんです。野宿で、事足りますからね」
「えぇ!?」
思わず大声が出てしまったのも仕方がないだろう。身なりもしっかりとしているし、男の人とはいえ美しい類に入る彼が、こんな森の中で生活しているとは思わなかったのだ。
「の、野宿してらっしゃるんですか!! ご、ごはんとかどうしてるんですか!?」
「ご飯は…食べなくても生きていけますし、たまにお節介な人が来るので食べていますよ」
「たまにじゃなくてちゃんと食べなきゃだめですよ! 食べなきゃ生きていけません!」
それは身に染みて知っており、そして、己の主人にも言い続けていること。
普段はお気楽そのもの。ヘラヘラと笑っている彼であるが、その心の奥では己の死を望んでいる。しかし、自分の責任を全て果たすためには死ねないが故に生き続けていてくれるのだが、彼の中に何が起こるのか。周期的にパタリと物を食べなくなることがあるのだ。
どこか主人が被ってしまったモントは、輪廻の真横までやってくると彼の横顔を見上げる。
「お兄さんの好きなものって何ですか? お礼にご馳走します。こう見えて料理は得意なんですよ!」
主人のためにと生まれてからずっと料理を仕込まれていたモントだ。例え己は主人の血とトマトジュースしか飲めないと言っても、胸を張って言える。
しかし、チラリと自分を見た彼からは面倒だという心の声が聞こえて来そうで……モントはドキドキと彼の返事を待つ。
「…はぁ、そうですか…。特に、これと言って好きなものはありませんが…いただけるのなら何でもいいですよ」
てっきり断られるもの、と思っていたモントはパァァッと表情を明るくする。
「な、何でも、ですか? あ、じゃあ、おでんでも大丈夫ですか? ご近所さんにいい大根をいただいたので、昨日下茹でしておいたんですっ! 後は、こんにゃくとはんぺいを買いに行けばすぐできますっ!」
「構いませんが………。子供がおでんとは…なかなか渋いですね」
「ボクの好みじゃないですよ! ボク、作っても食べられないですから! ご主人が和食好きなんです。昔はお肉も食べてたって聞いてるんですけど、最近はあっさりしたものばっかり食べたがって……」
主人の話に盛り上がりかける彼を止めたのは、輪廻のため息だった。
「よくわかりませんが…わかりました。とりあえず、そのおでんをいただきに行けば良いのですね?」
「はいっ! 味は舌の肥えたご主人の保証付きですから問題ないで……あ」
そこまで言って気がついた。
「その前にボク、ちゃんとお兄さんをおうちに連れて行けるかな……? ご主人がおうちにいてくれればいいんですけど…」
「…貴方は召使か何かなんです?? まぁ、何でも良いのですが。…迷子だけはやめてくださいね。迷子になり次第、私帰りますので……」
「だ、大丈夫です! ご主人のとこに行けば帰れますから!! えっと、えっと…こっちです!」
せっかく食べに来てくれると言ったのに、彼を帰してしまうわけにはいかない。
主人が家にいなかったら、主人に家まで連れて行ってもらえばいい。どうせ、買い物もするのだ、と思い直したモントは、青年の手を取って己のセンサーが告げる方向へ歩いて行く。
「…まあ良いでしょう…」
それ以上何も言わなくなった彼を家に案内できたのは、買い物も追えた2時間後のことだった。
- continue -
2014-1-8
我が子、サンの13話目。
サンと言いつつモントのお話ですが…。
屑深星夜 2014.1.8完成