サン 19

「ボウズの時計」


 なんでこんなにイライラするんだ……?

 別に栄養が偏っているわけでも(吸血鬼にしてみれば偏っているのかもしれないが)ないし、癇に障ることがあったわけでもない。だが、家にいても落ち着くことができず、いつものように散歩に出かけても周囲の人間を観察して楽しむ余裕もない。
 サンは、首から下げた懐中時計をずっと握ったまま、何にも目もくれず早足で歩いていた。そんなこと、長い長い人生の中でも経験したことのなかったサンは、自分で自分をどうしていいかわからず、ただ闇雲に歩き回ることしかできなかった。

 本当は、原因は何となくわかっていた。

 舞蝶からの連絡がないからだ。

 あの夜、共に夕食を食べてから1ヶ月が経過していた。
 『仕事が一段落するまで来れない』という言葉通り、顔を見せることも、連絡が来ることもない。そのことはサンも理解しているのだが、何故か会えない日々が続くにつれて落ち着きがなくなっていく。
 意味もなく家の中をウロウロしてみたり、食事中に箸に歯を立てて「お行儀が悪いですよ!」とモントに怒られたり、柄にもなく仕事を頑張ってみたり……。
 日に日に機嫌は悪くなったが、毎日の食事だけは決して欠かすことはなかった。

 あぁ、もう…くそっ!!!

 行き場のない荒れた心情をぶつけるかのように、時計の少し上の鎖を握り、首に食い込むくらい引っ張る。
 何かに当たることでストレス解消するのと同じように、少しの痛みを感じることでスッキリとしたかったのかもしれない。だが……。

 ドンッ!

 大通りを早歩きしていたサンは、すれ違いに失敗して半身を接触させる。その衝撃は結構なもので、ブチリという音と共に鎖が千切れ、反射的に開いてしまった手の平からすり抜けた懐中時計が宙を舞う。

 カシャン…!!

「………ああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!」

 地面に落ちた瞬間をスローモーションで見ていたサンは、弾かれたように叫び声を上げる。サンはそれによって動きを止めた人ゴミを掻き分けて時計の元へとたどり着くと、恐る恐る拾い上げる。
 針は辛うじて動いていたがガラス面が割れてしまっていた。また、衝撃によって凹みもでき、細かい傷もついて……。
 しばし呆然としていたサンであったが、すっくと立ち上がると風のようにその場を立ち去った。



「旦那ァ、だから無理ですって」
「何でだよ! お前、時計屋だろ!? 直せ。今すぐ直せっ!」
 商品の並んだ陳列ケース越しであるにもかかわらず、氷瀏が思わず身体を引くほどの勢いで詰め寄る。さすがと言うべきなのか。青年は困りながらも営業スマイルは失われていない。
「直しますよ。でも、いくら俺だって今すぐは無理ってもんですよ」
 時計の惨状を見れば、一朝一夕でできるようなものではないということは馬鹿でもわかる。グッと焦りと己への憤りを飲み込んだサンは、ひとつ大きく息を吐くと、さっきよりもずっと落ち着いた声音で問う。
「……どれくらいでできる?」
「手元にある部品で交換できねぇとなると作らなきゃいけねぇんで……早くて1週間ですかね」
 片手しかないとはいえ彼の腕は確かだということは、己の依頼人である老婦人からも聞いていた。何の信用もない店に任せるくらいなら、時間がかかったとしても氷瀏に直してもらう方が確実。そう判断したサンは、わかったと頷くと舌打ちしながら店を後にした。



 ……落ち着かねぇ。時計があった時のがいくらかマシだった、と思うくらい落ち着かねぇ。
 それに、何でかパッタリ食欲がなくなっちまった。……つっても、無理矢理押し込んだけどな。

 会いたい。

 誰かに対してそう思うのは久しぶり過ぎて、過去の苦さも思い出す。
 でも、満月でもねぇのにどうしても眠れなくて。

 あぁ、こいつは……。

 認めたくねぇ。認めたくねぇが……あいつはおれの“特別”になっちまったみてぇだ。

 そう受け入れちまえば驚くほど心が落ち着いてスッキリしやがる。それが正解だっておれ自身に告げてるみてぇで悔しいけどな。
 会いたいなら会いにいけばいい。忙しいっていうならおれが任務の手伝いしたっていいんだ。
 よっしゃ! と立ち上がり、窓を開けたところで眉を顰めた。

 微かに漂う血の匂い。

 それは、気持ち悪さよりもおれの中の不安を煽る。所謂、第六感ってやつに促されるように駆けだした足は、一直線にどこかへ向かっていた。

- continue -

2014-4-14

我が子、サンの19話目。


屑深星夜 2014.4.14完成