もう一度、大事だと思ったもん失っちまったら、おれはどうなっちまうのか。
血の匂いの強くなる方へ進むにつれ、人の気配がなくなっていく。心臓が脈打つ音がやけに大きく耳に響き、増々嫌な予感が募る。
銃の発射音が耳に届いたのは、廃ビルが立ち並ぶ区画にやってきた時だった。
すぐに消えてしまう音を頼りに辿り着いた場所は、壁に描かれた落書きすら埃とカビで汚れたビル。サンは周囲を確認することもなくダッシュで気配のある方へ走る。
足音が響いても構うことなくやってきたそこには、額に銃口を当てられた舞蝶が……。
「ボウズっ!!!!」
ナイフを出す時間はない。半ば無意識に伸ばした爪でコートごと腕を引っ掻いて赤い龍を飛ばす。
間に合えぇぇ…っ!!!!
足は止めなかった。少しでも早く手が届くように。……もう二度と、大切なものを失わないために。
銃声は響いた。が、弾が吸い込まれた場所はコンクリートの天上であった。
「貴様、何者だっ!!」
「悪ぃが名乗る必要性は感じねぇなっ!」
倒れたままの舞蝶を背中に庇いながら、もう片腕にも深々と爪を立てて背後にいる連中へ向ける。
「おめぇら、人の大事なもんに手ぇ出してんじゃねぇぞ…?」
乱入者に驚いていた能力者たちが攻撃を仕掛ける前に、龍は彼らを飲み込む。
「殺すんじゃねぇぞ」
わかってる、とでも言うようにペッと吐き出された数名の能力者は完全に意識を失っていた。
「くそっ!!」
2人を囲んでいる人間はあと6人。その内、舞蝶の弾丸を受けていない者はあと3人…。そのうちの1人が一瞬にして5個の火の玉を生み出す。
「させるかっ!」
小さいがその分高速で向かってくるそれを、右足腿につけた傷から溢れ出した血で素早く壁を作って火の玉を相殺させる。が、合わせて動き出していた別の男が、電気を纏った拳で呆然としたままの舞蝶を狙っていた。
「だから、手を出すなっつっただろ!!」
「…っ!?」
サンが指示する必要もなく、意思を持つ龍が真横から体当たりを喰らわせる。それによって吹っ飛んだ身体は、壁に打ちつけられてドサリと落ちた。
「あと、3人〜」
サンの言葉通り、立っている敵は3名に減っていた。何時の間に動いていたのか。もう一匹が動きの遅い2人を捕らえていたようだ。
「お前…っ!! なめんじゃねぇぞ!?」
怒りを露わにした火の能力者がさっきの倍火の玉を生み出した時、その横に立っていた人物の姿がフワリと掻き消える。
気配は、真横。
襲い来る炎を防ぐ方に気を遣っていたサンの反応が遅れ、瞬間移動で距離を詰めた敵が振りかぶったナイフが煌めく。
パァン…ッ!!
「ぐぁ…っ!」
ゴトンとナイフの落ちる音が響いた。
弾丸が射抜いたのはサンを狙った男の手。……それは、自分の銃を取り戻した舞蝶が放ったものであった。
「ぎゃああ!」
その間に2匹の龍が残り2人に喰らいつき、敵は全て戦闘不能。ホッと肩の力を抜いたサンは血の龍を消した。
「ありがとな。助かったぜ」
気に入りだというコートの袖には大きな鉤裂きができ、血がポタポタ垂れている。自分で傷をつけたとはいえ痛くないはずはない。それなのにいつも通り笑うサンに、銃を片づけた舞蝶は呆れたため息を吐く。
「……助けてもらったのは私の方です。ありがとうございました」
「あー…第六感ってのも、信じてみるもんだなぁ」
第六感という言葉に眉を顰める舞蝶に頭を掻いて見せようとするが、己の手が血で汚れていることに気付いたサンは手を宙に挙げたまま首を竦める。
「血の匂い嗅いだとたん嫌な予感がしたんだよ」
そう説明するしかない。勝手に走り出した身体は、何かに導かれるようにここにやって来ていた。
「無事で、よかった」
……本当に。
銃口を押し当てられた姿を見た時は肝が冷えた。済んだことだと言うのに、思い出した失うかもしれないという恐怖に、僅かにサンの身体が震える。
「すみません」
「無事だったんだからいいさ」
危機は脱した。それだけで十分とサンは笑う。
「手当しましょう」
「今はいい。すぐに血は止まるしな。それより、こいつらどうするんだ?」
「本部に連絡します。その方が早いですから」
「縄でもあるんなら縛っとく、が……」
ゾクリ
背筋に走る悪寒。反射的に舞蝶を抱き込んでコンクリートの床を転がれば、何かの衝撃によって凹んだ壁にビキビキとヒビが入る。勢いのまま膝立ちになったサンは、まだ塞がっていない傷口から流れる血の全てを使って正面に分厚い壁を作る。
先ほどの男たちの攻撃は1つの傷から作ったものでも難なく受け止められたが、今度は違う。動きすら視認できない重いものが壁を大きく歪ませて、その身で直に攻撃を受けたわけではないのに、伝わってくる強い衝撃に眉間に皺が寄る。
まだ、敵がいたのか。
相手が大きく移動せず、殴る蹴るの猛攻撃を仕掛けてくれたから見えた姿は人のようでいて人ではない。手足を覆う毛や耳や尻尾から判断するに、人の姿を取った獣 ―― 獣人。
人間ではありえない力とスピードに、背後の舞蝶ごと後ろへズズズと押されていく。防戦一方ではこちらに勝ち目はないと判断したサンは、新たな傷を作って攻撃するが、素早さで劣るため掠りもしなかった。だが、そのおかげで距離を取った相手が攻撃を止め、一息吐くことができた。
「……鴉(からす)……」
腰布にある文様を見て舞蝶が呟いたのは、闇の世界でよく聞くもの。人を殺すことを悦と感じる者たちが集まった能力者集団の名である。
「いきなり攻撃してくんのはやめてくんねぇか? ボウズ」
怒らせるかもしれない…と考える頭はサンにはない。壁になっていた赤い血を龍の形に戻しながら、いつもの調子でヘラリと笑う。しかし相手は口を開こうとはせず、黒髪から覗く金色の瞳でこちらを見ているだけである。
サンは少しでも戦闘を避ける道を探すために、思い浮かんだことを聞いてみる。
「もしかしてこいつら、ボウズの仲間だったのか?」
「……違う」
短い否定の言葉を口にした獣人は、足元に転がる男を軽く蹴る。それだけでボールのように飛んで行った身体が壁にめり込んだ。
己も人ではないとはいえ、自分の力だけで同じことはきない。獣人だからこそとも言えるありえない力に笑んだ頬が引き攣る。
勝てる相手ではない。が、逃げるにしても何らかの隙を作らない限り、すぐに背後を取られて命を失うことになるだろう。今はなんとか会話を長引かせ、相手の情報を少しでも引き出すのが吉か……と攻撃の理由を問うてみる。
「じゃあ、何でだ?」
「『今日“も”いい夜だ』と言っていた」
「いい…?」
「『血が、騒ぐ』」
誰が、と聞く前に思い浮かんだのは、サングラスの向こうで光った瞳。
『あんたもじゃねぇのか?』
ニヤリと唇の端を吊り上げた男の幻に、ブルリと身体が震える。
あの夜、共に酒を飲んだ男は鴉のメンバーだったのだと知ったサンは、別れの間際に感じた恐怖はその所為だったのかと納得する。
ネコ科…腕の模様から察するに虎であろう男の表情に大きな変化はなかったが、長い尻尾の動きがこの状況を楽しんでいるように思えてならない。
「『きっと面白い奴がいる』と言っていた通りだな」
「悪ぃが、おれじゃボウズの期待には答えられねぇと思うけどなぁ〜」
軽口を叩いて見せるが、状況はすこぶる悪かった。
言葉から察するに戦いは避けられそうにない。そうなれば既に多くの血を失っているサンの理性が飛ぶのは確実で、周辺への影響が懸念される。
下手をすれば過去の二の舞になるかもしれない、ということが怖くてたまらなかったが、実の所、この獣人相手に狂暴化したとしても勝てる保証はないのだ。
己が生き残るか、敵が生き残るか。
脳裏に浮かぶ2つの未来のどちらにも付属してくる舞蝶の死が、爪の伸びたサンの指を微かに指を震わせる。
「そうでもない」
来る。
ガァン、とまともに受けたら脳天が潰れそうな蹴りが入る。さっきよりも力を上げたのか、分厚くした壁でも身体が押される。
サンにとっての最悪は舞蝶を失うことだ。周囲の人間を巻き込むことも胸の痛いことではあったが、今、そこまで気にする余裕はない。
「舞蝶! おめぇ、早く逃げろ!!」
「で、きません」
「できなくてもやれっ! お前だけは死なせたくねぇっ!! また大事なもん失うわけにはいかねぇんだよっ!!」
「え…?」
「このままじゃ、また……」
―― 巻き込んじまう。
その言葉を言うことはできなかった。
- continue -
2014-4-16
我が子、サンの20話目。
屑深星夜 2014.4.16完成