サン 21

「舞蝶とトラと2」


「…ハーッハッハッハッハッ!! 邪魔するやつぁ消えやがれ!!!」
 唐突に笑い出したサンは、壁であったものを巨大な1匹の龍へと変化させ、獣人を押し戻しながら襲う。しかし、素早さで劣っていることに変わりはなく、大きな跳躍で上へと逃げられた。敵はその強大な力を上手く加減しているようで、天井を足場代わりに使ってすぐに地上に降り立つ。が、その動きについて行けない“生きる武器”は、豪快に天井を突き破った。
「潰れろぉぉっ!!!」
 歪んだ笑みを浮かべながらそう叫ぶサンの様子からすると、“相手の動きについて行けなかった”のではなく“最初からついて行く気が無かった”のだと思えた。
 舞蝶は、ガラガラと降ってくるコンクリートの瓦礫を避けているうちに、2人から少し離れた場所までやって来ていた。
 敵は痛くも痒くもないと言う風情で、火の粉を払うように落ちてくる幾つもの塊を片手で弾き飛ばす。その瓦礫があと十数センチで顔面にぶつかる…というギリギリの所を抜けて行っても、サンは微動だにしない。
 目の前で繰り広げられる戦闘をただ見ているしかない舞蝶は、己の不甲斐なさに唇を噛み締めるしかない。念のため右手に銃を握ってはいるが、あのスピードだ。玉が当たるとは思えない。もし上手く当たったとしても、狙撃部隊が扱う“能力を封じる玉”が効くとも思えなかった。
 あの、ありえない腕力と敏捷さは獣人の身体能力だ。それは特殊能力とは違うため、ただ玉が当たるだけでは意味がなく、一撃必殺で心臓を狙うか、腱などを攻撃して動きを止めるかして、相手を確実に戦闘不能にしなければこの戦いは終わらない。
 相手が普通の人間であっても、動く的の一点を射抜くという作業は相当な精密さを要求されるというのに、この超人相手では博打以上に分が悪い。当たるも八卦、当たらぬも八卦のこの状態で発砲などできなかった。
 それに……。

『お前だけは死なせたくねぇっ!! また大事なもん失うわけにはいかねぇんだよっ!!』

 初めて名前を呼ばれ『逃げろ』と言ったサン。その必死な声が告げたことが何を意味するのか聞くことはできなかったが、彼のためにも生きなければいけないと思ってしまったのだ。
 しかし、やっと掴んだ鴉への糸口(…とはいえ、あの獣人は糸口と呼ぶにはあまりにも大きな存在ではあるが)である。それを目の前にして、何もせず逃げ出すことはどうしてもできなかった。
「おらっ! 行きやがれぇぇっ!!!」
 ビルの天井を破壊した龍がUターンして敵に襲い掛かる。が、地面を軽く蹴って自分からそれに近づいた男は、獣そのものである両手で大きく開いた龍の口を掴み、閉じさせる勢いでグシャリと破壊して血の粒へと還してしまった。それでも、蠢く血は獣人の男を覆うようにして広がって行く。しかし、全く焦りを見せない男がその金色の瞳を向ける先は、己を包囲するものではなく、それを操るサンだけであった。
 トン。と、ほんの一瞬だが重力に逆らって、壊れずに残っている2階部分の天上に“立った”彼の姿がフッと消えた。
「!?」
 瞬間、ドゴォォンという轟音と共に粉塵が舞う。

 まさか。

 最悪の事態を思って目を凝らす舞蝶だが、視界が落ち着くまでは全く判断のしようがない。
「……っぶねぇなぁ」
 その声が聞こえたのは上からだった。
 はっきりと見えたわけではなかったが、まだ霞んでいる中、穴の開いた天上あたりにぶら下がっている影が1つと……先ほどまでサンがいた場所から垂直に1メートルほど沈んだ辺りに大きな影があるのがわかった。
 どうやらサンは、血の龍の力で空中へと逃れ、敵の攻撃を避けたようだ。
 視界がない状態と言うのは動きにくいのだろうか。それとも、戦いを引き延ばして楽しみたいのだろうか。鴉に属する男は、粉塵が落ち着いても、己が大きく凹ませた地面に拳をつけたまま動かなかった。
「面白れぇじゃねぇか!」
 壊れた天上部分に龍を噛みつかせて宙ぶらりんになっていたサンは、スルスルと武器を伸ばして地面に降り立つと、1匹であったそれを5匹に分けて放つ。
「さっさと始末して来いっ!」
 と言っても能力差は歴然だ。小回りが利くサイズにして数を増やしても敵の素早さの方が尚も上で、包囲網を簡単に抜けられてしまう。
「ちょこまか逃げんじゃねぇ…ぞっ!!」
 左腿に爪を立て、新たに出現させた龍で隙をついてみるが、それすらも瞬発力で避けられた。チッと舌打ちしたサンだったが、何か思いついたことがあったのだろう。細めた瞳を光らせる。
 6つになった武器を次々と獣人の男へと向けるが、大柄な身体で軽々と掻い潜り、大振りながら素早い攻撃を繰り出してくる。手数が多いせいか、かなりの時間が経っているように見えるが、その間たったの1、2分である。
 相手が大きく後ろに下がったのを見て、サンは龍を1匹に纏め上げ、来たる攻撃を受け止める準備をする。が、目にも止まらぬ早さで近づいた敵を防ぐことなく、それはふわりと霧散した。
「……っ!?」
 言葉にするのもおぞましい音に、舞蝶は声も上げられなかった。しかし、閉じることのできなかった紫水晶のような瞳は、その状況をしっかりと映している。

 サンの腹部を貫通した毛むくじゃらの腕。それは、闇の中でも真っ赤に染まって見えた。

 暫し衝撃に我を忘れていた舞蝶だったが、頭に血が上ったかのようにもう一丁の銃も抜いて敵へと向ける。が、トリガーを引く前に見えた歪んだ笑みに目を疑う。
 それが敵のものであるはずがない。唇の隙間から見える尖った八重歯は吸血鬼であることを示しているのだから。
「当たらねぇなら、捕まえちまえばいい…ってな!」
 男が腕を抜き去るよりも早く、腹から流れるものも、口から吐いたものも……外界に出た全ての血で作り上げた巨龍が上から襲い掛かる。
「ハーッハッハッハッハッハッハッ!!! 消えやがれ!!!!」
「サァァァン!!!!!」
 大きな口は主人であるサンをも飲み込み、勢いのままに四方八方に飛び散る。襲い来る衝撃波に身を伏せた舞蝶は、ただただ自分自身を守るしかなかった。

 ドゴォォォォォォン!!!

 雷が落ちたかのような爆音は聞こえた。が、それは周囲の物全てを無に帰すことはなく、吹き飛んだビルの瓦礫が近隣の廃墟にめり込む程度の被害で済んでいた。
 慌てて身体を起こして確かめた場所には、傷らだけになった左手を天にかざして立つ獣人の男と、風穴の空いた腹を押さえて地面に膝をつくサンがいた。
 咳と共に赤黒い血を吐く敗者を見下ろしながら、ゆっくりと左手を下ろす男をよくよく見れば、左手だけでなく右肩や足にも小さいが無数の傷がある。避けることが無理な状況ではさすがに無傷では済まなかったようだ。
「もう終わりか?」
「……あんたに比べりゃ…お、れは、案外、化け物でも…ねぇのかもなぁ…っ…」
 正気に戻ったのだろう。温かみの感じられる声はとても弱々しく、身体を支えることもできなくなったのかそのまま地面に崩れ落ちる。

 少し離れた位置に感じる、舞蝶の気配。

 結局、勝つことはできなかったのだ。この男の標的が自分から舞蝶に変われば、彼の命はない。
 それでも、我を忘れた己の力で大切な者を巻き込まずに済んだという事実は、痛みと苦しみで歪むサンの頬に笑みを浮かべさせ……。

「あ、んがとな……助かった……」

 敵である男にも礼を言わずにはいられなかった。
「……礼? 何故……」
 理由がわからずに首を傾げる獣人の耳がピクリと動く。人間の耳には聞こえないが、派手な戦闘に気がついた特殊部隊が近づいてきていることに気がついたのだ。
 右手を軽く振ってサンの血を地面に落とした彼は、納得がいかないのか僅かに眉間に皺を寄せている。が、長く留まってはいられない。
 殺気の薄まった瞳で一瞥した男は、そのまま人外の跳躍力で姿を消した。

 助かった、のか……?

 急にいなくなった敵の気配は、傍にはない。ホッと息を吐いたとたんに張っていた気が緩んだのだろう。視界が白く霞んでいく。
「サンっ!!! 大丈夫ですか!? 早く手当を…!!」
 悲鳴に似た色を含んでいても、降ってくる声はサンに心地良さしか与えない。重症である腹の傷に触れる手の温もりも…もう、感じられはしなかった。
「……も、…無理、だ……血が……」
 『足りない』という言葉の代わりに出たのは咳で、まだ残っていたのかという量の血がボタボタと地面に零れ落ちる。
 人よりは丈夫な身体である。体内に血が十分にあれば、心臓を失わない限りは死ぬことはない。だが、全ての血が失われては心臓の動きも止まる。吸血鬼にとって命の水である血液は、その身体を動かすエネルギーでもあるのだ。
「そ、んな……そんなこと言うんじゃないっ!!」
 焦る舞蝶の頭に浮かんだのは、以前調べた吸血鬼のことであった。伝承レベルでしか残ってはいなかったが、人の生き血を飲む彼らは不死身の存在として描かれていた。

 『血』が足りないのならば、『血』さえあればいいのではないか。

 確証はないが今はそれに賭けるしかないと思った舞蝶は、軍服の上着を脱いでその首筋を晒す。
「血ならここにあるっ! だから、飲みなさい!!」
 サンが血を嫌っていることを知っていても、言わずにはいられなかった。
 命の灯が消えようとしている今、それはこれまで以上に抗いがたい誘惑ではあった。しかし、既に身体は思うように動かず、そのことにホッとしている己がいた。


 愛する人も。
 愛する家族も。
 多くの仲間も、仲良くしてくれた人間も。
 全てを滅した己に、生きていていい理由はない。

 後始末だけが、自分の使命。

 それさえ終われば、すぐにでも死を選ぼう。


 ずっとずっとそう思ってきたにも関わらず、いざとなれば本能は生きることを選ぼうとするのが浅ましくてならない。

 ボウズが生きてるんだ。それで十分だろ…?

 眷属が残っている可能性はまだあったが、その始末は人間に任せられないわけではないのだ。死がすぐそこまで忍び寄っているならば、それに身を任せよう。
 まだ動かせる瞳を左右に揺らして要らないことを伝えれば、胸元を掴んだ手に無理矢理に身体を引き起こされる。
「いつの間にか好きにさせておいて、勝手に死ぬなっ!!」
 吊り上がった紫色の瞳から、ポロポロと零れ落ちる透明な雫。

「私のために生きろ!!!」

 その叫びは、心の底でずっと求めていた生きるための目的。

 もう、指先すら動かせなくなっていたはずなのに、その声が起こした奇跡だろうか。半ば無意識に伸びた右手が首筋を引き寄せて、白いそこにブツリと牙を突き立てる。

 200年ぶりに口の中に広がる人間の血の味は、少し苦くて……それでいてとても甘い。

 黒い相貌からホロリと涙が溢れ出た。

- continue -

2014-5-1

我が子、サンの21話目。


屑深星夜 2014.5.1完成