サン 3

「ボウズとウサギ」


「おう、ボウズ。治療頼むわ〜」
 ガチャリ、扉を開けた音と共に飛んでくる声に、尾崎 薫(オザキ カオル)は背を向けたまま溜め息を吐く。
「俺ぁボウズじゃねーって何度言ったらわかんだ、サン」
「ボウズはボウズだからいいじゃねぇか」
「この年でそれはねーだろ……って、待て! お前の怪我……」
 急に焦ったような声を出し、寝台の側から玄関へとやってきた薫は、傘を畳んでいないせいでまだ室内へ入れないサンが見せる、包帯の取られた左手を見てピタリと止まる。
 袖口から深い傷跡は見えていた。しかし、それは既に完治しているもの。では何の治療をして欲しいと言っているのか……。それは、手首にチョコンとついた小さな小さな赤い線。流れ出たはずの血も既に固まっている程度のもの。
「そんくらい舐めとけ」
 バシン! と機嫌悪く叩き落とされたサンは、痛み顔を顰めるわけではなく。血の味を思い出してか舌を出す。
「まっずいから嫌だ〜」
「あぁ、正常正常。血はまずいもんだ」
「……吐くぞ?」
「おー、片づけるまで入ってくんなよ〜」
 急ぎ足で寝台の所へ戻った薫は、会話しつつも玄関の方を振り返ろうとはしない。その背に漸く傘を閉じて室内へと足を踏み入れたサンが肩を竦める。
「薫ちゃんは冷たいねぇ〜」
「薫ちゃん言うな……っ!」
「……ん? 誰かいんのか?」
 自然光の入らなくなった室内に入ったことで、漸く寝台に誰かが寝かされていたことに気付いたサン。
「だからお前は近寄んなよ」
 そう薫が言っているというのに、遠慮なく近づいたサンがひょいと顔を覗かせると、ギラリとした赤い目と視線が合う。火傷を負ったらしい彼の頭には、見たことのあるウサギが一匹……。
「お前、ウサギのボウズじゃねぇか! やっぱりな〜! また会えると思ってたんだわ。お前も薫ちゃんに拾われたのか?」
 自分の予感が当たっていたことに喜んだサンは、薫が包帯を巻いて手当している真横に立って顔を覗き込む。しかし、鋭さを持った瞳は数度瞬きを繰り返し、枕に乗った頭を僅かに傾ける。
「…誰?」
「あん? 覚えてねぇのか? ボウズにウサギ風船あげたろ」
「ウサギ、かわいい……」
「おぉ、可愛いよな〜!」
 先ほどまでとは違う意味でキラッと光る目から察するに、ウサギ型の風船のことは思い当たったらしい。しかし、サン自身には繋がっていないようで、その目は男の方を向いてはいなかった。それでも、彼の様子に目を細めたサンは、薫を押しのけて青年に近づきうんうんと頷く。
「だから…治療の邪魔だって言ってんだろ」
「お、悪ぃ悪ぃ」
 イラつきながらも相手をしてくれていた薫の機嫌が限界のところまで来ていることを察したサンは、すっと立ち上がって一歩寝台から離れる。が。
「あ。1つだけ聞いてもいいか、ボウズ?」
「……?」
「お前の名前、教えてくれ」
 人好きのする明るい笑顔に促されるように、青年の唇が動く。

「……香凪…千影(こうなぎ ちかげ)……」

「千影か! おれはサンだ。サン=ナハト」
 よろしく、と言う変わりにクシャリと髪を撫でて行った手はすぐに離れていく。そのまま玄関へと向かった彼は玄関振り返ると、
「火傷、早く治せよ〜! じゃあな!」
そう言いながら右手を上げると、蝙蝠傘を持って部屋から出て行った。

 はぁぁ………。

 疲れの籠った長い長い吐息を零した薫は、呆然としたままの千影の治療を再開したのだった。

- continue -

2013-12-12

我が子、サンの3話目。


屑深星夜 2013.12.3完成