機嫌よく薫の家を出たサンが表通りを歩いていると、遠くから耳慣れた声が近づいてくる。眉を顰めはしたが、逃げても意味がないとわかっているサンは、鼻歌を止めて素知らぬ振りして歩き続ける。
「……ぃんんんん! ごしゅじぃぃぃん!!」
背中から激突してくる小さな塊に少しだけ仰け反りながら溜め息を吐く主人に、プクリと頬を膨らませた小学生くらいの少年が人差し指を向ける。
「もぉ〜! いつもいつもサボってばっかりで、何で早く帰ってきてくれないんですか! 今日はせっかくお客様が来て下さったのに!!」
「あー…? めんどくせぇじゃねぇか」
「そんなだから、いつまでたってもそのコートを買い替えられないんじゃないですか!」
裾がビリビリになった黒コートを小さな手で摘む彼に、サンは肩を竦める。
「気に入ってるし……別に困ってねぇからいいだろ?」
「ご主人がかっこ悪いのはボク、嫌ですっ」
本当に不機嫌そうにそう言う彼に思わず苦笑が零れるが、それについては何も触れずに黒髪にポンと手を置いた。
「で? モンが出てきたってことは急ぎの仕事でも入ったか?」
モン ―― モントは、サンが生まれた時から仕えている蝙蝠の一族である。主と決めた吸血鬼がその生を終えるまで、代々仕え続けるのが彼らの使命。夜の間は蝙蝠の姿であるが、昼間は人間の姿になり、太陽嫌いの主人たちを補佐するのだ。
そんな彼は、なんでも屋の事務所兼自宅を滅多に出てくることはない。その理由は……極度の方向音痴だということ。主人であるサンの元へは迷うことなく一直線に向かうことが出来るが、その他の物(者)が目的地であると途端に回路が狂うらしい。いや、元々狂っているものが、一瞬ピタリとはまると言った方が適当か。それほどのモントがサンの元へやってくるのは、大抵が急ぎで重要な仕事が入った場合だけであった。
「はい……っ!?」
予想通り頷くモントだったが、周囲に響き渡る急ブレーキ音に金色の瞳を大きく見開く。
ガシャァァァァ―――――――ンッ!!
30mも離れていない場所で自動車同士が衝突した。その目の間近に1台の自転車が止まっていて、あまりの衝撃に全く動くことができていない。誰しもの目がその惨劇に向いていたとの時、サンの左横を通り過ぎていった少年の上に、バキリと折れた木の枝が落ちてくる。
危ない、と言う余裕もなく少年に飛びつくサン。モントはそれを呆然と見ているしかない。
スローモーションのようになっていた時が正常に動き出したのは、ドサリと木の枝が地面に落ちて少しした頃。
「……っ! ご主人!!!」
誰よりも早く正気を取り戻したモントが駆け寄った先には埃にまみれてはいたが、傷一つない主人と少年がいた。
「よかったぁぁぁぁ!!」
ホッとしたことであふれてくる大粒の涙。身体を起こしたサンは下僕の頭をヨシヨシと撫でてやっていたら、ブフォッ! と吹き出した少年に驚く。
「に、兄ちゃんすっごいな〜っ!」
「はぁ?」
「こんなん初めてだ…ブフッッ!」
「……ボウズ、大丈夫か?」
「だーいじょうぶ、大丈夫っ!」
腹を抱えて笑っていた彼は、笑いすぎで滲んだ涙を拭いながら立ち上がると、己の服をポンポンと叩いた。そこでようやく少年の姿を確認したサンは、己の腕と同じように包帯が巻かれている手足に気がついた。そしてそれには、ところどころ血も滲んでいる。
「ホントに大丈夫か? あちこち傷だらけじゃねぇか」
「いつものことだから問題ないって! でも、兄ちゃんのおかげで助かったぜ。あんがとな!」
いつものことで済ませる彼に驚きはしたが、あっけらかんとした明るい笑顔で礼を言われてしまえば「おう。どういたしまして」と返すしかない。
「んじゃ!」
「き、気をつけて帰れよ〜」
勢いに押されて見送った背中は、数十メートル離れた先でコンクリートの段差に躓いてステンと転がる。本人は笑い飛ばしていたが、遠くで見ているサンとモントの方がオロオロしてしまっていた。おかげで、事故前に自分たちが何をしていたのかすっかりと忘れてしまった2人は、周囲に満ちた騒然とした空気の中で、暫くひらひらと手を振ったままであった。
- continue -
2013-12-12
我が子、サンの4話目。
屑深星夜 2013.12.4完成