これは、今から5年ほど前の話である。
「おう、ボウズ。うちに何の用だ?」
「ご主人! お客様になんてこと言うんですかっ!!」
偉そうにソファーに座った黒髪の男に駆け寄って小さな拳を振り上げるのは、己を迎え入れてくれた少年だ。
黒壱 舞蝶(くろい あげは)は、そんな、同い年程度にしか見えない男に仮面の下から疑いの目を向ける。
「吸血鬼のサンというのはお前ですか?」
「そうじゃなかったらどうする?」
面白そうに黒目を細めて聞いてくる男に、黒舞はそっと息を吐く。
会いたい人物はただ1人。人の10倍は長く生きると言う吸血鬼。
男がその本人じゃなかったとすれば、答えは1つだ。
「帰るだけです」
「お客様がお探しの人はご主人に間違いありませんっ!」
慌てて止める少年 ―― モントに、舞蝶は「そうですか」と頷いた。
舞蝶は、その身に纏う軍服からわかるように、能力者達を取り締まる特殊部隊に所属している。今日、サンの元にやってきたのは上司の指示で、ある依頼を持ってきたからである。
渡された封筒の中身を確かめたサンは、ボリボリと頭を掻く。
「あー…わかった。今日の内になんとかしとくって伝えといてくれ」
そのまま舞蝶を帰そうとするが、腕組みをしたまま立つことはない。
「私も行きます」
「あぁ? ボウズ、この依頼の中身わかってるか?」
「わかっています」
「怪我するぞ?」
「お前がちゃんと仕事を完了するかを見届けるまでが、今回の私の任務ですから」
彼らにとって任務は絶対。己が止めても聞きはしないとわかっているサンは、大きくため息を吐く。
「……命の保証はできねぇからな」
「ご心配なく。自分の命くらい自分で守ります」
「何があっても知らねぇぞ?」
ついてくるならついて来い、と言下に告げ、サンはソファーを立った。
そうして出かけた先は、人の気配がほとんど消えた村。もう、廃村と呼んでもいいほどに静まり返ったそこには、血の匂いが充満していた。
準備があるから待っていろ、と村の入り口に置き去りにされた舞蝶。まるで、邪魔だからどいていろと言われているような扱いに、そのまま従っていられるわけはない。
足を踏み入れたそこで、欠けた月に照らされながら、眉を顰める舞蝶の耳に届くグチョリとした音。そっと振り返ったそこには、人の生き血を啜る枯れかけた生き物がいた。その真っ赤に充血した目が己を捕らえ、危ない、と思ったが動くことができない。
殺られる…っ!
「だ…っから待ってろって言っただろうがっ!」
声と同時に突き飛ばされ、地面にゴロリと転がる。衝撃で音まで耳に入って来なかったが、顔を上げた瞬間に視界に映ったのは黒と赤。
牙を突き立てられた左腕からジュルジュルと体液を吸う音が響き、同時に艶を取り戻しはじめるターゲットの白髪に、枯れ木のようだった肌。
「おぉい、誰が吸っていいって言ったよ…っ!?」
男が食いついたすぐ上にパチンと開いたナイフを刺せば、包み込むように現れる赤い龍。それにガブリと片腕を食われてもターゲットのギラギラとした目は健在で、傷から流れ出た大量の血で自分の2倍はあるかという大きな鎌を作り上げる。
「あぁ? それでおれを狩ろうってのか? おイタが過ぎるぜ!」
両腿を傷つけて新たに作り出した龍で鎌に襲い掛かるが、壊すこともできず。ジリジリと少しずつ押されて刃がサンの首に近づいてくる。
「…っ…くっそ! 何ぼさっとしてんだボウズ! さっさと逃げろ!」
そう言われても、この戦いを見届けるのが己の任務である以上、逃げるわけにはいかない。
サンは傷のない右手にふた筋ほど線を引き、溢れ出した血が力を貸したことで、なんとか相手との力の拮抗を保つ。
「じゃねぇと、お前も巻き込んじまう…ぞ……」
徐々に小さくなっていく語尾。
「サン…?」
怪訝に思って呼んだ舞蝶の声は、もう彼の耳には届いていなかった。
「…っは! おれの邪魔するやつぁ誰だぁ〜?」
人が変わったかのようにギラリと目を光らせたサンは、己の牙を舌で舐めながらニィィッと笑う。そのまま、腱を切ることも厭わないナイフ捌きで己を傷つける姿は実に狂気的だ。
「もっと…もっとだ!! ハーッハッハッハッハ!!! そのまま消えろぉぉぉ!!!!」
現れた圧倒的な力がターゲットを一瞬にして押し潰し、地面に残る残骸。一瞬見えたそれすらも消し飛ばすほどの圧力が、少し遅れて爆発する。
ドゴォォォォン!!!!
風圧に地面に這いつくばりながら見つめる先に、見知っていた男はどこにもいない。ガタガタと震える手で銃を構える先にいるのは、悪魔のような能力者。
無意識に狙うその左の胸。
パァン!!
恐怖で逸れたそれはサンの左肩を打ち抜いた。しかし、能力を抑える筈の銃弾は全く効いていないようで、巨大な赤い龍がクルリと振り向き、舞蝶を見下ろす。
「う……ぁ……あ、あああああああああああっっ!!!!!!」
歪んだ口が開く前に発砲した先は、ナイフを握った右手と両足。
新たな傷を作ろうとしている。そして、こちらに飛びかかろうとしている。
それがどうしてか見えてしまった舞蝶は、極限状態の中、それを止めるためだけに発砲していた。
気づけば、赤い化け物は消えていた。
「あー……ありがとな、ボウズ……」
地面に倒れて動かない“悪魔だったもの”から聞こえてきた声は、出会った当初の気のいい男のもの。ハッとした舞蝶は銃を仕舞いながら駆け寄ると、真っ白な顔色のサンが血だらけで笑っていた。
何がありがとう、ですか。
傷を負わせた者に対してそう言う理由がわからず、何も言えずにいた彼に、なんとか動く右手が伸びてくる。
「お前のおかげで助かったわ…」
しかし、血でドロドロになっているのを見てだろう。触れる直前に手を引っ込めた。
「……手当、しましょうか?」
謝ることはできなかった。それでも罪悪感がそう言わせ、携帯させられてい救急セットを取り出す。
「血は、苦手なんで助かる……」
ハハハ…と弱々しいながらも笑うサンに、苦笑するしかない。
「吸血鬼のくせに……変な人ですね……」
「悪かったな……苦手なもんは苦手なんだよ……」
眉を顰めていたはずの血の匂いが何故か今は芳しく。ただただ静かに夜が2人を包み込んでいた。
- continue -
2014-1-4
我が子、サンの8話目。
屑深星夜 2013.12.14完成