感謝の気持ち





「そこのキレーなねぇちゃん! こっちにビールとオススメの料理頼むわ」
「はぁい、ちょっと待っててね」
 ランドの声に返事をした女は、白いエプロンと共に肩ほどまである艶のある黒髪を揺らして厨房の方へ歩いていく。
その後姿を目を細めて見送ると、彼は懐から出した四角いものに目をやる。

 それは、1通の手紙。

 真っ白な封筒にハート型の赤いシールが貼られただけ。
宛名も名前も何も書いていないそれは、この店の前に落ちていたものだ。
 クレイ・ジュダとの旅の途中でふらりと立ち寄ったこの町で、地面の上にあったそれは、丁度夕食をとろうと歩いていたランドの足を止めた。
 そのままにしておくべきか、警備隊に届けるべきか…。
一瞬のうちに色々考えたが、どれが1番よい方法かなど判断できるわけもなく。
 けれども、今さら見て見ぬ振りもできなかったランドは、気づいてしまったものは仕方ないと手紙を手に取った。
 そのとき、食欲を誘う良い匂いをさせて腹ペコの彼を誘ったのがこの店で。
ランドはそのまま活気溢れる店内に足を踏み入れたのだった。


 早々にテーブルに置かれたビールをひと口飲んで喉を潤した後、器用な指がシールを破らないように封筒の口を開く。
 そして、カサカサと音を立てて折りたたまれていた紙をゆっくりと広げる。
雪のように白いその上には、黒インクで書かれた流れるような文字が踊っていた。


 そこに綴られていた想いは、便箋に相応しいほど清らかで。
封をしていた赤色のように熱く、読んだ者の心に炎を灯す。

 誰に宛てたものかはわからない。
それでも、真っ直ぐな言葉はランドの胸に飛び込んで、キュッと切なく締め付けた。




 まだ時は、浅い。

 忘れようとも忘れられない、記憶。
手紙を書いた人物と決して同じ想いではないけれど、彼にも強く心を寄せた人がいた。
 互いに想い合った時間もあったが、ある時、ランドから離れて行った彼女。

 ……別れはしたが、それでも彼の気持ちは薄れていなかった。

 彼女もまたランドを想い続けていたことを知ったのは、その命の炎が消える間際。
心変わりしたと装って自分を諦めさせた彼女の指には、贈るつもりで買っていた銀細工のリング。
 別れたときに捨てるつもりで別の人間にやったものが、そこで輝いていた。



 こんなおキレイで、純粋な気持ちじゃない。

 けど、あの日の炎のように火傷しそうな熱さは……。



 普段は敢えて考えないようにしていたことを思い出し、ランドの瞳は懐かしさと苦しさに微かに細められた。
そのとき、
「お待ちどうさま! 当店自慢のテールシチューのセットよ」
先ほど注文した女性店員が料理の載ったプレートを持ってやってきた。
「お、待ってました!」
 手にしていた手紙を折りたたみ、封筒にしまうランドの目の前に置かれた料理は、温かそうな白い湯気を出している。
 秋も深まり、朝晩は冷え込むようになっている今日この頃。
店内はそれとは嘘のように暖かかったが、知らず肩に力の入っていたランドはそれを見てホッと息を吐いた。
「お兄さん、それラブレターでしょ。いい男だもんねぇ! ほっとく人いないわよね」
「ははっ! ねぇちゃん、嬉しいこと言ってくれんな!」
 懐にしまおうとしていた封筒を目にしてだろう。
声をかけて来た店員にわざと声を上げて笑って見せたランドは、ひょいと肩をすくめる。
「…って言ってもこれ、この店の前に落ちてたやつなんだけどな」
「あら! 落し物読んじゃってるの? 悪い人ね」
「仕方ねぇだろ? 封筒に何にも書いてねぇんだからよ」
 悪びれる様子も見せず真っ白な封筒を見せてくる彼に頷いた彼女は、僅かに首を傾ける。
「それで、落とし主はわかったの?」
「いんや、さっぱり」
「えぇ? それにしてはいい顔してるじゃない」

 いい顔?

 紅を差した口元を指差してニコリと笑う女性につられるように己のそこに手を当てたランドは、自分の口元がしっかりと上向いていることに気がついた。
 それは全く意識していなかったところで起こったこと。

 夢やほんの僅かな心の隙間…。
ふとした瞬間に思い浮かぶ彼女と過ごした日々。
 それは必ず別れの風景に繋がって、自分の胸を苛んだ。

 普段はおちゃらけて笑っていることの多いランドだったが、そういうときはさすがに顔も強張るもの。

 今まで笑うことなんてできなかったのに……。

 そんな自分の変化に驚きつつ、それをもたらしたであろう手の中のものをチラと見た彼は、フッと微笑む。
「あぁ。ちょっと色々思い出しちまってさ」
「あら! お兄さんにそんな顔させるなんて、どんな思い出なのかしら。気になるわ」
「悪いけどそれは教えてやれねぇな〜」
「どうして? 色男の武勇伝、聞いてみたいのに」
 興味津々で聞いてくる店員の方にわざわざ身体を向けたランドは、思い出の中のものとよく似た黒髪の持ち主である、その人前で指を立てる。


「そりゃ、全部おれだけのもんだからな」


 目に残っている紅い唇の色も。
 手の平が覚えている温度も。

 記憶の中にいる彼女も全て、他人には渡したくない。


 今もまだ、愛しているから。


「あー…もうっ! よくわかんないけどごちそうさまって感じね!」
「へへっ」
 言葉にしたランドよりも、それを聞いた方が頬を赤らめていて。
してやったり、と笑う客に女は肩を竦めた。
「どうぞごゆっくり」
「おう!」
 ランドは仕事に戻る後姿に軽く手を上げ、反対の手に持ったままだった封筒を懐に入れた。
そして、運ばれてきた料理に正対するとスッと両手を合わせる。


 ゆっくりと胸中で唱えられた感謝の気持ちは、食事に関してだけではなく。
先ほどしまった拾い物と……彼の中で生き続ける人物にも、向けられていた。




     fin







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