「もー…なんであんたはすぐに逃げるんだいっ! せっかくの儲け話がパァになっちまったじゃないか!」
ある都市の宿屋の一室に、よく通る力強い声が響いた。声の主は、ザンバラになった赤茶髪をかきむしる女 ―― イシス・ハーレイだった。
彼女はつい何時間か前までツミレの花を手に入れるためにロボス族の住む森にいた。
ツミレの花は珍しい上に、惚れ薬の材料となることもあってとても高値で売れる。それに目をつけたイシスたちは、ロボス族の住む森へ向かった。
そこには、目的は違うが自分たちと同じようにツミレの花を狙うやつらがいたのだった。
こいつらを利用すれば、簡単に目的の物が手に入る!
にやりと笑みを浮かべた彼女の頭の中の計画はこうだった。
花コレクターのライナーの傭兵であるケイとゼファに姿を似せ、ロボスの子どもを捕まえる。
子どもとツミレの花を交換しろという脅迫状を送っておく。
つり橋が出来上がり意気揚揚とロボスの里へと向かうライナーたちの後を隠れてついて行く。
ロボスの里に彼らがたどり着いたとき、さらっておいた子どもたちをその側に放置して、ロボス族と争わせる。
その隙をついて、ツミレの花をいただく。
計画通りに事が進めば、案外簡単にすむはずの儲け話だった。
けれども、その森にはデュアンたちがいた。それが彼女たちにとって予定外の出来事を引き起こす。
ルルフェットがツミレの花を探しにロボスの里へ向かったことで、デュアンがライナーたちと出会った。そのおかげで、ロボスの子どもをさらったのがケイたちじゃないことがバレてしまっていた。
それを知らなかったイシスたちは、つり橋ができた後、すぐにロボスの里へ向かわないライナーたちに驚く。
日を改めようかとも考えたが、そろそろ森に滞在するために持ってきた食料が底をつきそうだったため、急遽自分たちで取り引きをし、花を手に入れることに計画を変更。臆病なロボス族相手なら、それでもうまくいくだろうと思っていたが、里へたどり着いた後、状況が一変した。ロボス族が取り引きを拒否し、デュアンたちにロボスの子どもたちを奪わてしまったのだ。
それなら…と、力ずくでツミレの花を手に入れようとすれば、今度はどこからか現れたケイたちに邪魔されてしまう。
結局、怪我以外なんの収穫もないまま森から逃げ帰って来て、現在に至るというわけである。
「すまん…」
彼女の向かい側で、小さなピンセットを大きな手で握った巨人族の男 ―― フェズル・ラージャが頭を下げる。彼はそうしながらも、イシスの白い肌についた切り傷を消毒していた。
「痛っ! もっと優しくしなっ!」
「すまん…」
傷に染みて声を荒げた彼女に、フェズルは首を縮めて謝った。その様子を見て、大げさにため息をついたイシスは、悔しそうな顔をする。
「わざわざ髪型や服を似せたってのに……あいつらのせいで、今回は大損だね」
「でも、あいつら強い。俺たちじゃ敵わない…」
ぼそぼそとそう言ったフェズル。イシスは、そんな彼を金色の目でにらみつけた。
「実力で敵わないなら、でっちあげ話でもして情に訴えりゃよかったんだよ!」
「嘘、通じるやつらじゃな…」
「うるさいっ! フェズル!」
「……」
もう聞く耳持たない状態のイシスを見て、フェズルは一度口を閉じた。
イシス自身、自分の言ったことが間違っていることはわかっていたが、ムカムカした気分がどこかへ行かない限り、言うことを止められないのもわかっていた。
今日のように儲け話をパァにしたときは、いつだってそうだ。ああすればよかった、こうすればよかったと言ってフェズルを責めることで、失敗した悔しさを吹き飛ばし、次の仕事への意欲を奮い立たせていた。
フェズル自身、イシスがそういう理由で自分を責めるのを知っていた。だからこそ、もともと無口でしゃべるのがあまり得意ではないにもかかわらず、一生懸命しなくてもいい口答えをしているのだ。
しかし、次のようなイシスの言葉には、必ず本気で言い返す。
「あそこで逃げなきゃ、まだチャンスはあったんだよ! それなのにあんたったら……」
「逃げなきゃ、イシス、危なかった」
「う……」
怒ったように茶色の目を吊り上げ、イシスの肩を大きな手で掴んだ彼の様子に、イシスは次の句を発することができなかった。
フェズルの言ったことは本当だった。あのままロボスの里に留まっていれば、自分の姿を真似されて、相当怒っていたケイの魔法によって、今以上の怪我を負わされていたかもしれない。
フェズルにとって、イシスはとても大切な女性だった。大切だからこそ、いつも彼女の身を案じている。
けれども、愛は盲目とよく言うように、彼にもその言葉はよく当てはまった。愛しい彼女のためなら、たとえ、どんな汚いことでも実行することにためらいはない。今のところ人殺しまではしたことはなかったが、盗み、恐喝をしたこともある。
しかし、フェズルはそんなことしてまで金を手に入れようとするるイシスを、決して止めようとはしなかった。
なぜなら、彼女にとって金儲けは生きがいだからだ。
そこまでイシスが金儲けに執着するわけは、その生い立ちにあった。
貧しい家に生まれたイシスは、毎日必死に働いてもその日暮らしの生活しかできなかった。餓死寸前の状態にまでなったことは、一度や二度ではない。
自分はそんな生活しかできないのに、金持ちの家の子どもたちは湯水のように金を使い、好き放題食べ放題の暮らしをしていた。
お金さえあればなんでもできる。自分もいつか、お金を手に入れてあんなふうに暮らすんだ。
いつしかそう思うようになったイシスは、学のない自分でも金儲けができそうな冒険者となり、金を手に入れるために生きるようになった。
しかし、最近、お金が全てではないことも知った。
ほかでもないフェズルがそれを教えてくれていた。
彼は、お金のためにイシスの側にいるわけでははない。自分が彼女の側にいたいからいるのだ。
イシスはそのことがとても嬉しかった。けれど…自分の根本を変えられるほど若くはなかった。金儲けのために生きることはやめられなかったのだ。
でも、金というものはたくさん持てば持つほど…心が貧しくなるもの。お金が全てではないことを知ったと同じころ、それを実感していた。
……ひもじい思いをして家族と暮らしていたころの方が、よっぽど楽しい思い出が多かったのだ。
金儲けはやめられない。でも金持ちにはなりたくない。
金持ちにならないためには、儲けた金をばら撒けばいい!
そのことに気づいた彼女は、儲けた金を貧しい村に寄付することにした。
おかげで今は、生活には困らないが、それなりに貧しい暮らしをしていたりする。けれども、金儲けだけしていたころより幸せだった。
以前のように捕まれば犯罪者になるような獲物は選ばなくなり、冒険者らしくクエストに積極的に挑戦して宝を得るようになった。金儲けに失敗することも増えたが、それが次の目標へのやる気に繋がった。
やりがいのある仕事でも見つけたように、生き生きと毎日を過ごすようになったイシス。大切に思う女性のその姿に、フェズルはますます惚れこむことになる。
「……あーもー! いつまでも終わっちまったことにこだわってたら、うまい儲け話を逃すよ!」
バンっと床を叩いて立ち上がった彼女に、フェズルがうなずいた。
「まずはギルドで情報収集だね!」
ゆっくり立ち上がりながら、もう一度うなずく相棒にイシスが微笑む。カッと一瞬にして頬を赤く染めたフェズルに、彼女は意地の悪い笑みを見せた。ゆでだこみたいになった自分を見たくてわざとやったことに気づいたフェズルは、恥ずかしそうにポリポリと頭をかいた。
「行くよ、フェズル!」
そんな彼にくるりと背を向けた彼女は、スタスタと部屋を出て行こうとする。慌ててその後を追うフェズルの顔は、まだ赤いままだった。
- end -
2013-11-23
本編中ではほとんど書けなかった敵キャラ二人のお話です。
設定を考えはしたけれど、本編中で全く語れなかったので、外伝で書いちゃいました!
イシスたちの冒険者レベルは10という設定。
高レベルだけど、ケイやゼファには及ばなかった…というオチです。
屑深星夜 2006.3.20完成