暗示の言葉

暗示の言葉


  呼びたい
  呼んであげたい
  あなたの名前を
  けど…

  その言葉に続くのは
  自分に勝てない
  暗示の言葉





 そぉっとドアを開けた向こう側に見えるのは、机に向かった大好きな人の姿。シュウさんは、まだボクに気づいてないみたいで、書類と格闘してた。

―― シュウ

 言いたいのは、たったそれだけ。誰よりも大好きな人の名前。
「………っ」
 でも、口を開いても、どうしても喉から先に声が出てこない。
 待ってくれる…って言ったあの日から、もうどれだけたったっけ? 名前を呼んであげたいのに、恥かしくてどうしてもつっかえちゃうんだ。
「…? セイ? どうした?」
 ふいにシュウさんが顔を上げた瞬間、口を閉じる。
 目が合っちゃったら、もうダメ。絶対に言えない。
「う、ううん。何でもない! 今日もお仕事がんばってね!」
 首を振ってニコリと笑顔を見せた後、バタバタとシュウさんの部屋から立ち去った。


 酒場と宿屋の間の通路までやってきてしゃがみこんだとき、後ろから優しい声がした。
「セイさん。どうしたんです? こんなところで」
「……ヒルダ…さん……」
 顔を上げると、心配そうに首を傾げたヒルダさんがほうきを片手に立ってたんだ。
 何でもないよ、って言おうと思ったんだけど、優しい微笑みに顔が歪む。

 ……お母さんって、きっとヒルダさんみたいな人なんだろうな。
 厳しいことを言うこともあるけど、何もかも包み込んでくれるようなあたたかな笑顔。身体を預けたくなるような、柔らかな腕の中。誰もが安らげる……そんな人。

 何にも言わずにボクの頭を撫ぜてくれるヒルダさんに、悩んでいることを相談することにした。


 ボクの悩み。

 それは、大好きな人の名前を呼んであげられないこと。
 “さん”つけてなら呼べるんだよ。会ったときからそう呼んでたもん。
 でも、あの人が待ってるのは…“さん”なしで呼ばれること。
 言いたい気持ちはあるんだよ? でも、言おうとしても、どうしても恥かしくって声がでなくなっちゃうんだ。


「セイさんは『言いたい』とおっしゃってますが、心のどこかで『言えない』と思っていませんか? 『言いたいけど無理』…なんて」
 その言葉に、ビクッとした。だって……ヒルダさんの言う通りだったから。

 いつも、言いたい、言ってあげたいって思ってる。けど…その後に続くのは、恥かしくって無理って言葉。
 自分でごまかしてたけど、最初っからダメだって思ってちゃ……成功しなくて当たり前か。

「……思ってる、かも」
 素直に認めると、ニコッと笑みを向けられる。
「今度は、“言える”って思いながら挑戦してごらんなさい。きっと上手くいきますから」
「うん」
 確証があるわけじゃないのに、自信に溢れたその言葉に、ボクは笑顔でうなずき返してたんだ。


 言える、言える、言える……言えるっ!!

 ずーっと心の中でそう唱えながらシュウさんの部屋に向かうボク。
 開けっ放しになってた扉からするりと中に入るけど、まだ書類に向かってるシュウさんはこっちに気づいていなかった。

 よぉし、今だっ!

「シュウっ!!」
 不思議なことに、さっきまでは全然出てこなかった言葉が、すっと出てきたんだ。
 バッと勢いよく顔を上げたシュウの顔は…滅多に見られない、驚いた表情。じっとこっちを見られて、カッと頬が熱くなった。
 思わず後ろを向いて逃げ出そうとしたところで…背中からギュッと抱きしめられた。
 ますます体温の上がるボクの目の前で、扉が閉まる。
 シュウは、恥かしくて全身に力が入ったままのボクを離してはくれなくて、何も言ってくれないその沈黙がどれだけ彼が喜んでいるかを教えてくれてた。
 それを身体で感じ取るうちに次第に力が抜けていった。
「……シュ…シュウ?」
 もう1度名前を呼ぶと、クルッと向きを変えられた。
 膝をついたシュウと向かい合う形になったと思ったら、また抱きしめられた。
「……セイ」
 呼ばれた声がいつもの冷静なシュウのそれとは違ってて、すんごくドキドキする。
 耳元にあった唇は、ボクの目元から額、鼻を滑って……離れた。
 もう、これだけでこれ以上無理ってくらい熱くなってたのに、シュウはボクの唇をきれいな親指で優しく触って…
「ここに……キスしてもいいか?」
って言うんだよっ!!? もう、湯気でも出そうだったよ……。
 でも、でも……優しく触れていった大好きな人の唇に、もっともっと触って欲しくって。
 視線は合わせられなかったけど、ホントに小さくうなずいた。
 次の瞬間、ボクの唇をおおったあったかいものは、とっても優しくて、柔らかくて……ちょっとコーヒーの匂いがした。





  呼びたい
  呼んであげたい
  あなたの名前を
  けど…

  その言葉に続くのは
  自分に勝てない
  暗示の言葉


  だから
  呼べる
  呼んであげる
  あなたの名前を
  絶対に…

  そんな前向きな言葉は
  自分を負かす
  暗示の言葉

- end -

2016-8-21

2008年の1〜3月ごろ、同志との妄想会でネタを搾り出した、シュウ×2主の続きです。
やっと…キス解禁ですよ〜(笑) よかったね、シュウ!

「いつか貴方を」から、きっと、1、2ヶ月は経ってるのではないかと…。

さて、シュウさんの忍耐力はどこまでもつのか!
こうご期待ですv(笑)


2008.8.14完成(2016.8.21修正)