新同盟軍たるセイラディア軍は、ハイランドとの戦のことだけ考えればいいわけではない。同盟軍という名を背負っている以上、ジョウストン都市同盟の領域内で起きた問題に対して決して無関心ではいられないのだ。どこそこで人手が足りないとなればただちに派遣せねばならないし、これまで培ってきた資金調達のためのノウハウも取引材料となるのであれば教えもする。また、災害が起きたとなれば人命救助はもちろん、現地復旧のために動く各都市の支援することも仕事のうちだ。
三日前の夜から降り始めた大雨でティントへ向かう街道の一つが土砂崩れで埋まったとの知らせが耳に入ったのが昨日の朝のこと。既に雨足は弱まっており、天候に回復の兆しが見えていたのは不幸中の幸いだった。俺はすぐに情報収集を始め、必要とされている物資と人員の調達、配置などに走り回る。復旧の目処が立つ頃にはすっかり夜も更けていた。
おかげで常の仕事は滞るばかり。急ぎのものだけでも片づけなければ……と遅めの夕食を片手間に済ませつつ机に向かい続けること何時間か。ようやく一区切りついたのはそろそろ人々が起き出す時間であった。
昨夜、レオナの酒場が閉まる頃に先に休ませていたアップルに、これから少し休むことを伝えて眠りについて数時間が経っただろうか。太陽が昇りきり部屋に光が満ちたことで、疲れた身体にも自然と目覚めがやって来た。
俺は、意識の浮上と共にゆっくりと重い瞼を開けていく。普段ならそのぼやけた視界には、見慣れた部屋の風景か丸まった葛の身体が映るのだが、眼前にいる『もの』はそれらとは違った。その正体に気づいたとたん、驚きですっかり目覚めた瞳を見開いた。
一体いつの間に部屋に来ていたのだろうか。寝台横の床にペタリと座ったセイが、俺の枕元で自分の両腕を枕に眠っていたのだ。
少し動けば額が触れる程の近さ。
恥ずかしがり屋のこの少年は、俺が目を合わせて話すだけで真っ赤になって顔を背けてしまう。それ故に眠っている時しかじっくり眺めることのできない彼の顔に思わず見入ってしまう。
クリクリとよく動く瞳を覆い隠す瞼に長い睫。よい夢でも見ているのか、プルリとした唇はどことなく笑っているようだ。
あどけないその寝顔は彼が十五にも満たない少年だということを俺に突きつけてくるが、他の何よりも俺を魅了してやまない大切な存在は彼だけだということもまた教えてくれるのだ。
そっと持ち上げた手を伸ばしてその柔らかな黒髪に触れる。サラリとした感触を楽しむように優しく撫で続けることしばらく。無意識の中でも嬉しそうに笑んだ姿に惹かれるまま少しだけ身体を起こした俺は、上を向いているセイの右頬に唇を落とす。
フルリ。震えた瞼が開いたのはその時だった。
「……おはよう、セイ」
ぼんやりしているだろう彼の視界に微笑みかけた瞬間に一気に覚醒したのか、すごい早さで飛び起きる。
「おっ!? …は、よう……」
先ほどまでとは打って変わって、頬を赤く染めて俯くセイを今すぐにでも引き寄せて腕の中に閉じこめてしまいたい衝動に駆られるがグッと堪える。なぜなら、そうしてしまえば何日もセイに逃げ回られることがわかっているからだ。
己の欲望のままに触れてその身体を貪れば、我に返り羞恥に駆られた少年の気持ちが落ち着くまで避けられる。そのせいで仕事が手につかなくなるのは経験済みであるし、その期間が長くなればなるほど我慢しきれなくなって溢れ出た欲に負けてしまうことになるのも目に見えている。
その時は良い。一時だけは満たされても、その後すぐに逃げられて会えない期間が伸びてゆけば負の連鎖が続くだけ。それくらいならば、ささやかに欲求を満たしつつ避けられる期間を少しでも短くするのが己のため。
「……昨日は徹夜だったってクラウスに聞いたんだけど……よく眠れた?」
「あぁ」
「……ならよかった」
ほっとして頬を緩めるその顔に、また心配をかけていたのかと気がついて心の中で謝罪しつつもセイに笑みを返す。
寝起きに思いがけず得た小さな幸せ。
想い合う相手だからこそ感じるささやかな幸福。
驚くほどすっきりとした目覚めをくれた少年の頭を撫でながら。先ほど唇で触れた頬の感触を反芻することでそれ以上の衝動を抑え込んだのだった。
- end -
2022-05-05
2018.1.4に発行された「幻想水滸伝2 シュウ×主人公アンソロジー 1114」に参加した時の作品。
だいぶ前に転載許可は出ていたのですが……今回やっと作業できました!
大好きなシュウ主アンソロに参加するなら、やはりうちの子のお話……と考えた結果、シュウ、葛、セイ、それぞれの視点の短編3作となりました。
屑深星夜 2017.8.31完成