ご主人様の笑顔

ご主人様の笑顔


「このリッチモンドさんに、何か用かい……って、軍師さんとこの猫じゃねぇか。どうした? もしかして、こいつに用かい?」
 床から声をかけたあたしを覗き込んだ男がそう言いながら示すのは、胸元にいるもっさりした猫。

 もう! 違うわよっ!! 猫だからって猫にしか用がないって思わないでくれる?
 あんた、最近またご主人様のこと嗅ぎまわってるわね? 誰の差し金か教えなさいよ!

「違うのか?」
「にゃー」

 ちょ…っ! 『違う』って、勝手に答えないでくれる!?

 …なーんてやりとりしてたって、あたしたちの言葉が人間に通じるわけもなく。ちょっとでも通じたとしても、自分の都合のいいように取られちゃうのよね。今回だってそう。
「そうかそうか、違うか。じゃ、俺は仕事があるから行くな」

 え? ま、待ちなさいよ! あたしはあんたに用があるって言ってるじゃない!!

「にゃぁ〜ん」

 あたしの声に振り向きもしないでさっさと歩いて行ってしまう背中を見つめながら最初は呆然としてたんだけど、そのうちに怒りでプルプル震えてくる。

 ……『じゃあね』じゃないわよぉぉ!!!!
 あんたたち、あたしの話をちゃんと聞きなさいよっ!! もー…ムカつくムカつくムカつくっ!!

 何かを引っ掻いてやりたいと思っても、床も壁も石造り。机は木だけど傷つけちゃいけないものでしょ? だから、とにかくその場でグルグル回ってたら、斜め上から声がしたの。
「葛ちゃん、どうしたんだい? こっちにきておばあちゃんにお話してちょうだい」
 見上げたそこに座っていたのは、ニコニコ顔でこっちを見ているタキおばあちゃんだった。

 うぅぅ…っ……うわぁぁぁぁん!!! タキおばあちゃぁぁぁん!! 聞いてよっ!!

「はいはい、なんだい?」

 あの男ね!? セイの命令でご主人様のこと探ってるのよ!
 もうすぐ1週間よ1週間! あの子、自分でご主人様のこと避けてるくせに、気になって仕方ないから調査させるのよ!! 避けてるのは自分の都合なのにっ! ……そりゃ、ちょっとはご主人様のせいでもあるのかもしれないけど、ご主人様から逃げてるのは自分なのにっ!!
 そんなバカなことしてるから、ご主人様の調子がおかしいんじゃないの!
 ため息止まらないし、キョロキョロと落ち着きないし、お仕事にミスが出てないのはさすがご主人様って思うけど、書類を逆さまに見てる時もあるし、手を滑らせてコップを割っちゃうし……ご主人様に心労かけさせるんじゃないわよ――――っ!!!

「……あしたは晴れかねぇ?」

 ちょっと! 聞いてる!?

「聞いていますよ。…葛ちゃん、少し落ち着いてごらんなさい。あなた、それ……ちゃあんと言いたい人に伝えなきゃだめよ? あなたはもちろん、あなたの大事な人のためにもね」

 言いたい人…?
 大事な人のため…?

 そう考えて浮かぶのは、やっぱりあの子のこと。
 そして……何より大切なご主人様のお顔。

 ……もぉっ!! お互いがお互いのことを気にしてるくせに、大事だからって一歩を踏み出せないでいるなんて、ほんっとバカなんだから!!!


 あたしは、タキおばあちゃんにお礼を言って急いでセイを探しに行ったの。
 あの子の部屋はもちろん、よくいる屋上にもその影は見えなくて、庭園、大広間、石版の間って見て回ってもいなかった。そのままバーバラさんがいる倉庫の前を通って外に出たとき、図書館がある方向から歩いてくるセイとバッタリ出くわしたの!

 やっとみつけたわ!

「え? 葛? どうしたの?」

 あんた、コソコソしてないで、会いたいならご主人様に会えばいいじゃない。恥ずかしいなんて理由にならないわよ?
 あんたのせいでご主人様だって大変なんだから、さっさといらっしゃいっ!

「な、なぁに?」

 んもー…!! とにかくついて来なさいって言ってるのっ!!!

「ついて…くの…?」

 そうよ!!


 何を言ってるかなんてちゃんと通じてないんだろうけど、それでもあたしの勢いに押されたセイは大人しく後をついてくる。
 でも、その行き先がなんとなくわかってくると足どりが重くなって、その度にあたしは振り返って早く来るように言うの。そうしてなんとか辿り着いたご主人様の部屋の前で逃げ出しそうになってるセイをギロリと睨み上げて、動きを止める。

 ……何してるのよ。早く入りなさいよ。

「葛が連れて来たかったところって…やっぱりここなの…?」

 そ う よ ! 間違いないから早く入ってって言ってるの。

 そう言ってもやっぱり入ろうとしないセイに我慢が限界に達したあたしは、扉に向かって声をかける。

 ご主人様、あたしです〜! 開けて下さ〜い!

『……葛か。今開ける』
 少しの沈黙の後でそう言ったご主人様は、お仕事の手を止めて椅子から立ち上がられたんだと思う。足音が段々近づいて来る。
 扉を見上げながら待ってたら、横に立ってたセイが焦った声で叫ぶの。
「ま、待って! 開けないで!!」
『……セイ…? そこにいるのか?』
「う、うん。葛がついて来てって言ってる気がしたから……」
 そこまで言って俯いたセイは、心配そうな顔で聞くの。
「シュウに何かあったわけじゃ…ない、よね…?」
『……あぁ』
「…よかった…」
 そう言ってホッと胸を撫で下ろした瞬間、ガチャリとノブが回る。
「っ!!」

 逃げないのっ!!

 走り出そうとするセイの足を威嚇して止めた後、少し開いた扉の方に視線を動かしてもそれ以上は開かないし、ご主人様が顔をお見せになることもなかった。
 どうしたのかしら? と思って近づいて隙間から覗いたら、セイから見えないようにピタリと扉に寄り添うように立ったご主人様がおっしゃるの。
「少しだけ話がしたい。決してお前の方は見ないと約束するから…入らないか?」
 その提案にすら頬を少し赤くして迷うセイの足元まで移動したあたしは、しっぽでふくらはぎを叩いてやる。それでやっと観念したのか、セイはおずおずと頷いた。


 セイの足元を縫って部屋に入ると、ご主人様はおっしゃった通りに背中を向けて立っていらっしゃった。
 後ろ手に扉を閉めながらその背中をしばらくボーっと見つめてたセイは、途端に真っ赤になってクルリと背を向ける。そんな背中と背中を向き合わせた奇妙な状態でふたりの会話が始まったの。
「久しぶりだな」
「うん……」
 1週間会ってないんですもの。そりゃ久しぶりよね。その間に色々起こってたらどうしたのよ。ねぇ?
 …なんて思いながらジッと見つめてたら、ご主人様が少し長いため息を吐かれて、前髪を額の辺りでクシャリと掴む。
「お前が俺を意識しているから避けるのだとわかっていても……正直、少しきつかった」
「ご、ごめんなさい…!! 嫌いになったわけじゃないんだよ!! ホントにホントに恥ずかしくって……」
「わかっている」
 恥ずかしがってたことも忘れて振り返って必死に説明するセイに、ご主人様は背を向けたまましっかりと頷くの。
「実際、お前が逃げてくれたおかげでよかったとも思っていたしな」
「え…?」
 その後でボソリと呟いたお言葉は、セイには届いてなかったみたい。
 でも…あたしにはちゃーんと聞こえたわ。だから、どれだけご主人様がセイのこと想っていらっしゃるのか、横から見えた呆れにも似た笑顔も込みで改めて見せつけられた気がした。
 勝手にチクッと痛む胸に目を向けているうちに、ご主人様がおっしゃるの。

「……セイ。手を…繋いでくれないか?」

 その声は、あたしが今まで聞いたことのないようなもので、今度は胸が苦しくなる。
 セイはしばらく悩んでたみたいだけど、そんな風にご主人様に頼まれて断るはず…ないわよね。
「う、うん……」
 頷いたセイは、ご主人様が後ろに伸ばした右手を両手で握るの。
 ご主人様は、その温もりを確かめるようにそっと目を閉じられて……ギュッと握り返す。
「お前が落ち着くまで待っている。だから…安心しろ」
「うん…!」
 手を繋いだってだけで耳まで赤くなったセイは、そこで耐え切れなくなったのかパッとご主人様の手を離す。
「じゃ、じゃあボク行くね!」
 バタバタと慌てて出入り口まで走って行ったセイは、そのままの勢いで扉を開けるの。でも、出ていく直前で足を止めて……。

「……ありがと、シュウ……」

 その言葉を残して行っちゃった。


 本音を言うとね? すっごくすっごく邪魔してやりたかったわよ!
 ご主人様を好きなのはあんただけじゃないの。ご主人様に好かれてるからって、放っておいて寂しがらせるんだったら近づくんじゃないわよ…って言ってやりたいわ!

 でも、ご主人様にはあの子が必要なんだってのもわかってるから。

 ……今日は許してあげるわよ!
 だって、久しぶりにご主人様ご自身の笑顔が見られたんだから、ね。

- end -

2017-1-5

N様が呟かれていた「#ふぁぼした人の絵を自分の絵柄でリメイクする」というやつに反応した結果、文に絵をつけてくれるって言っていただけまして…っ!!
『聞こえぬ問いの』の続きとして昔から温め続けていたネタ(読み返したら無茶苦茶恥ずかしかったので、ほとんど使えてないけど)と、最近思いついた葛の話(リッチモンドの胸元にいるのは猫、ってのを知った時に書いたような記憶があります)を混ぜ混ぜしてみました。

相変わらず葛は叫んでばかりですけそ、なんとか…なんとか書きあげられてよかったです!


屑深星夜 2017.1.5