期待せずには

期待せずには


  目が合えば すぐに逸らされて
  一歩近づくと 同じだけ逃げられる

  ようやく捕まえた

  そう思っても
  スルリとこの手をすり抜けて 少年は再び遠ざかる





 俺とセイとの関係は、物理的な距離で言えば一進一退だ。
 好いた相手だからこそ辛いと思うこともないわけではないが、それを顔に出すほど子どもではないし、寧ろ、俺の想いに懸命に応えようとしてくれる恥かしがりやの少年に愛しさの方が上回る。
 それに、セイが俺から逃げるのは、互いの心が近づいているからこそなのだ。
 俺を想ってくれているからこそ。想いが通じているからこそなのだ……と思えば、まだまだ幼い彼のペースに合わせることもできるのだった。


 遠征のない日。
 セイは、セントリュシアン城ですべきことを全て終えて時間が空くと、本を持って俺の部屋にやってくることがある。
 己の仕事をしつつも彼の様子が気になって書類から目を上げると、決まって視線がかち合って……それが何度も続くうちに気がついた。

 セイは俺に会うために ―― 俺の傍にいるために読書しに来るのだ、ということに。

 今日もそうだった。
 寝台に腰掛けて本を読んでいたセイの視線を感じて顔を上げれば、目が合った瞬間に逸らされる。それが恥ずかしさからだと理解していても、胸はしくりと痛む。だが、さりげなさを装う余裕もなく、ほんのり頬を染めながら読んでいたはずの本からも目を離してしまっている少年の姿を見ればすぐに痛みは消えていくのだから、現金なものだ。
 気づかない振りで仕事を再開すると、しばらくして動いた気配が執務机の横で蹲る。チラと目だけで確認すれば、机を背もたれに膝を抱えるようにして座った少年が、開いた本で己の顔を隠していた。とても読書しているとは思えない体勢は、それほどこちらを気にしているということだろう。嬉しさに自然と口角が上向く。
 だが、すぐにそこから逃げられてはもったいない。それ故に、顔を向けたくなるのを我慢しながら仕事を続けていると、ゴソゴソする音が数秒間聞こえた後でピタリと止まった。

 一体、何をしたのだろうか。

 気になって、左手に置いた書類を確認しながら視界の端に微かに映したセイは、俺が座っている側に移動していて、それは嬉しそうに俺を見上げていた。
 こちらが気づいていることを知らないからこそであろう。視線を感じることしばし。満足するまでこちらを見ていた少年は、そのままの位置で今度はきちんと本を読み始めたのだった。

 傍にいたいと思ってくれているからこそのこの行動。

 それだけで心は温かなもので満ち満ちて、鼻歌でも歌いたくなる程に気分も浮上する。
 己がペンを動かす音とセイが本のページをめくる音だけが響く心地よい時間。それを楽しみつつ、まずは仕事を片づけようと目の前の書類に集中したのだった。


 1時間ほど経っただろうか。
 処理すべき書類がひと段落したところで息を吐いた俺は、本に夢中になっているセイの様子を目に映す。
 手を伸ばせば触れられる位置に少年がいる。それはとても喜ばしいことなのだが、こちらの存在を忘れてしまっているかのように本ばかり見つめているのは少し面白くもなく、悪戯心が顔を出す。
「セイ」
「ふぇ?」
「そんなところに座っていて冷えただろう。来るか?」
 椅子をクルリと回して示したのは己の膝の上。
 唐突な問いかけに最初は疑問符を浮かべていたが、意味を理解したとたんに真っ赤になって動きを止めたセイは、弾かれたように首を左右に振って行けないことをアピールする。
 そんな可愛らしい様を逃すまいと見つめていたら、ハッとしたセイは本を投げ出すように床へ置き、机の横側に移動すると顔を隠して蹲った。表情を見ることは叶わないとはいえ、隠しきれない耳は朱色に染まっており思わず笑みを誘われる。そのクスリという音が聞こえたのだろう。少年から唸り声が漏れ出した。
「ううぅ……シュウの意地悪っ! ボクができないってわかってて言ったでしょ!」
「仕方がないだろう? 俺もセイが足りていないのだから」
 サラリと本音を告げてやればガタンと机が鳴る。少し覗き込むようにそちらを見れば、両手から顔を上げた彼は驚きに固まっているようだった。が、すぐに立ち上がると、逃げるように扉の方へ駆けていく。

 ……少しからかい過ぎたか。

 例え逃げられてしまっても、俺相手だからこそ照れるその姿が見たいという気持ちは抑えられなかったのだ。だが、共に居られる心地よい空間を自らの行動が壊してしまったことには、ほんの少し後悔していた。
 その時。


「い、いつか…―――…から、ちゃ、ちゃんと空けておいてね?」


 消え入りそうな小さな声が紡いだ言葉が、俺の時間を止める。
 その間に部屋を出て行ってしまったセイは知る由もないが……少年を染めた朱が移ったかのように、熱くなった己の顔を右手で覆う。


『 いつか座ってみせるから 』


 幻聴かと疑いたくなるような答えを何度も何度も心の中で反芻して。
 意思とは関係なく笑む口元を隠すことはできなかった。


 ……もちろん、空けておくとも。


 まだまだその日が訪れるのは先のことだとわかっている。それでも……期待せずにはいられなかった。





  目が合えば すぐに逸らされて
  一歩近づくと 同じだけ逃げられる

  ようやく捕まえた

  そう思っても
  スルリとこの手をすり抜けて 少年は再び遠ざかる

  けれどもそれは 心が近づいている証

  今はまだ 無理だとしても
  きっといつか この距離も縮まる

  そんな未来(さき)を
  期待せずにはいられない

- end -

2016-8-21

この二人…かくれんぼみたいな恋をしてるよな。
なーんて妄想から生まれた産物です。

絵が描けるなら……机の影に隠れて顔を隠して蹲る2主を……描きたかったぜ……。
可愛いと思うんだ……!!!!


屑深星夜 2016.7.19(正式UPは8.21) 初出:ツイッター